みなさま、こんばんは。
今日も温かいご支援、誠にありがとうございます!
私は今、余所国に帰るための荷造りをしています。
毎回ふるさとへ帰るたびに、タマノさんは飛行機もない時代、船で命がけの渡航をしたわけですから、片道切符同然の覚悟で海を渡ったのだろうと勝手に想像していました。
ある本を手に取るまでは。。。
『ハリマオ マレーの虎、六十年後の真実』山本節著
これは、第二次世界大戦下のマレー半島で、マレーの虎と呼ばれた谷豊の生涯について書かれたノンフィクションです。当時南方に渡っていた日本人は、以外と気軽に日本との間を行き来していたことが記されています。マレー半島へ渡るには、福岡の門司港からシンガポール行きの船が運航していて、片道14,5日だったそうです。NYまで13時間、宇宙ステーションまで4時間という便利な時代に生きる私たちにとっては、「気軽に」とは言い難い日数ですが、谷豊も何年かに一度は日本に帰り、地元の小学校に通ったり親戚に会ったりしていたようです。ハリマオのお母さんに至っては輪をかけて気軽で、往復で一か月を費やすというのに、一か月の夏休みを利用して親戚をシンガポール旅行に誘うこともあったのだとか。マーライオンにタッチして帰ってくるくらいの旅行でしょうか(笑)。タマノさんもまた、親戚に会いに帰国していたようで、その時のことを覚えている人が、私の知る限り、門司にお一人いらっしゃいます。
戦争がなかったら、タマノさんは日本とマレーシアをそれまで通りに行き来し、ハシムさんが長年そのふるさとを探されることもなかったでしょう。終戦から70余年の時間と感情の蓄積によって、宮窪橋夢公園が生まれたとも言えるかもしれません。宮窪橋夢公園が、平和の大切さを伝えるものであるということも、是非覚えておいていただけたら幸いです。
引き続きよろしくお願い致します。
宮窪橋夢まつり実行委員会代表 長谷部さやか