みなさま、こんばんは。今日も沢山のご支援をいただきまして、誠にありがとうございます!公園がひとつできたからといって、何かが変わるわけではないですが、先日のトイレ問題然り、宮窪橋夢公園がふるさとの未来を考えるきっかけになれば、と思っています。過疎化の問題は余所国だけでなく今治島しょ部全体の問題です。大島では石材業者やミカン農家も激減し、漁業でも獲れる魚が減っていると聞きます。そのため、生計を立てるために島から出て行く若者が後を絶ちません。生産量、漁獲量、採掘量、どれをとっても減少していますが、また、どれをとっても他の土地にはない、私たちのふるさとの素晴らしい資源です。その資源をもとに新しい「価値」を創造できるかどうかに島の未来がかかっているのかもしれません。今日は、しまなみ海道の未来のことを考えさせられた旅のお話をさせてください。5年前、イタリアの西海岸の漁村を小さなボートに乗って巡る旅をました。地形や歴史から見ても、瀬戸内海と多くの共通性があると言われている地中海の、しかも漁村を巡る旅は、わたしにとってふるさとの風景と重なる大変興味深いものでした。5日間の旅の間、1日1回は通りすがりの漁村にボートを寄せてレストランで食事をするのですが、余所国や早川のような小さな村にも素敵なレストランがあり、陸だけでなく海から船で乗りつけた客でにぎわっていました。景色の美しさ、食材の質の良さ、何を比べても私のふるさとしまなみ海道はイタリア西海岸に負けない魅力があると感じ、しまなみ海道にもこんな楽しみ方があったらどんなに素敵だろうと、ふるさとの未来を妄想しながら旅を満喫しました。最後に寄ったポルトフィーノという漁村は、ボートか路線バスでしか辿り着けないような、まさに宮窪のような場所にもかかわらず、まさかの "LOUIS VUITTON” がお店を構えていました。それだけ上質を知る人が、このような漁村を訪れ、ゆっくりとした時間を過ごしているということでしょう。休暇の取り方など、ヨーロッパと日本では違う点もあり、そのまましまなみ海道に当てはめることはできませんが、瀬戸内海の漁村や限界集落がその土地の魅力を活かして生活を保持していく方法を模索する中で、地中海から得られるヒントもあるのではないかと思いました。今治市ではしまなみ海道をリゾート化する計画があるそうで、実際に滞在型の施設も出来ています。徳永市長、今治市職員のみなさん、そして町おこしに携わってくださっている地域のみなさんのご尽力に敬服いたします。宮窪橋夢公園プロジェクトとしましても、少しでも地域活性化に貢献できるように、これからも国内外への周知活動に取り組んで参りたいと思います。引き続きよろしくお願い致します! 宮窪橋夢まつり実行委員会代表 長谷部さやか
みなさま、こんばんは。今日も沢山のご支援と温かいメッセージを頂き誠にありがとうございます!今日はハシムさんと私のふしぎなご縁について、みなさまにお話したいと思います。私がハシムさんに出会ったのは4年前になります。以来、親兄弟よりも密に連絡を取り合い、信頼を深めながらプロジェクトを進めて参りました。一見ハシムさんは私の人生に突然現れた登場人物のように見えますが、実はふしぎなご縁で昔から繋がっていたような気がしています。私が生まれた時から10歳まで住んでいた余所国の家は、ハシムさんの御祖母さま、村上タマノさんのお母さまのご実家、森田家のものでした。森田家は昭和初期に一族で北九州に移住していたので、残された家屋の管理も兼ねて、親戚である私の両親が一時仮住まいしていたのです。その家は「出店」と呼ばれていて、五右衛門風呂がある古い家でした。今年の夏休み、数十年ぶりに出店に行ってみました。誰も住まなくなって大分経つのか、敷地いっぱいに背丈ほどの草が生い茂っていました。かつて、よく手入れされていた庭には、びっくりグミの木が毎夏赤い実をつけ、「権兵衛」と名前を付けたシャム風の野良猫が居付いていたことを覚えています。タマノさんのお母さまは村上家に嫁がれるまでここで過ごされ、小さい頃のタマノさんも、母方のご親族に会いにここに来ていたはずです。ハシムさんと私が今繋がっていることを思うと、遥か遠くから流れてくる時間の河に素足をひたして立っているような、ふしぎな感覚を覚え、出店の前にしばらく佇んでいました。合縁奇縁と言いますが、神様がこの「橋夢公園物語」の脚本を書いたのだとしたら、出店は重要な舞台装置だったのかもしれません。「猫のおしっこの匂いがする」と言われるソーヴィニヨンブランは、私が一番好きな白ワインです。久しぶりに出店に行って、なぜそのワインが好きなのか、解った気がしました。私にとって出店の匂いは権兵衛のおしっこの匂い。その少しツンとした匂いに懐かしさを感じていたのだと思います。みなさま引き続き良い週末をお過ごしください。ありがとうございます。 宮窪橋夢まつり実行委員会代表 長谷部さやか
みなさま、こんばんは。早いものでもう12月、最初の週末がやってきました。今日も沢山のご支援をいただき、誠にありがとうございます!!【活動報告その1】ハシムさんと開園式に向けて決めていくことについて意見交換をしました。その中で、開園式の日にイスラム教のお祈りを捧げるための適切な場所を確保して欲しいとのリクエストをいただきました。日本でいうところの、お祓いやお清めのような儀式でしょうか。できれば宮窪橋夢まつりを、マレーシアと日本の文化的交流が生まれるようなイベントにできたら最高だと思います。これからお祈りの場所をご準備していきます。【活動報告その2】リターンの今治タオル記念品の刺繍が、試行錯誤の末に丁度良い大きさに仕上がりました。【活動報告その3】公園の銘板に彫り込む文字の校正作業を続けています。字彫業者さんにダメ出しの連続。たった数才(才とは石の体積の単位、1辺が1尺)の石にも妥協するつもりはありません。公園内の石ころひとつ、ハシムさんのお気持ちだと思って丁寧な仕事をし、宮窪橋夢公園を100年後の日本人に誇れるものとして残すために、引き続きプロジェクトに取り組んで参ります。みなさまにおかれましても、良い週末をお過ごしください。自分は本プロジェクト最終日12月28日まで、月月火水木金金で活動して参ります!!引き続きよろしくお願い致します! 宮窪橋夢まつり実行委員会代表 長谷部さやか
みなさま、こんにちは。今日も温かいご支援、誠にありがとうございます!!本日はかれこれ5日ほど前から書いておりました原稿をやっとFacebookに投稿することができました。これまで宮窪橋夢公園プロジェクトをお手伝いする中で、みなさまのご協力をいただきながら様々な問題を解決してまいりました。ところが、たったひとつだけ解決ができなかった問題があるんです。「宮窪橋夢公園トイレ問題」です。よろしければこちらのリンクからご覧ください。https://www.facebook.com/miyakubo846このFacebookを開設して2年になります。いつも投稿前には必ずハシムさんに原稿を読んでいただいています。特に小学校跡地の歴史、大島石のこと、余所国の自然や人や文化についての投稿は、御祖母さまが亡くなられてから故郷発見までの70年の歳月を少しでも埋めて差し上げたいという気持ちで書かせていただいております。また、そうして少しずつ地元への理解を深めていただくことは、ハシムさんがなさっていることの地元における重みをしっかりとご本人にご理解いただくためにも大切なことだと考えています。ハシムさんに、「あなたにとって御祖母さまにつながる小学校跡地は、余所国住民ひとりひとりにとっても大切な場所なんです」ということをご理解いただけたらと思っています。いつも楽しみに原稿を読んでくださるハシムさん。あと5か月で公園が完成し、ボランティアを引退する私に次のミッションをくださいました。「さや、次は本を出版しろ。」そんなご無体な。。宮窪橋夢まつりの後はお暇をいただいて、静かな老後生活を送ろうと思っています。引き続きよろしくお願い致します!!
みなさま、こんにちは。今日も温かいご支援をいただきました。誠にありがとうございます!!公園プロジェクトも4年目に入り、最近ミカンのヘッドギアが良く似合っているとのお褒めの言葉を頂くようになりました。今治弁で「ようにおとるけんふだんぎにせい」(標準語訳 よく似合っているから普段着にしなよ)と言われることも。今日はなぜミカンなのか?をご説明したいと思います。理由その1.宮窪橋夢公園が愛媛とマレーシアを繋ぐ架け橋であることから、マレーシアに向けて、愛媛をわかりやすくお伝えしたいと思いました。マレーシアの人口の20%以上が中華系です。中華系の方々にとってミカンは縁起物で、旧正月にはミカンを持って親戚の家を訪問したり、家族で沢山のミカンを食べる風習があります。また愛媛ミカンは、60%以上を占めるマレー系の方々にも受け入れられる可能性を秘めています。私も微力ながら愛媛県産品の輸出に取り組む愛媛県を全身で応援しています。理由その2.宮窪橋夢公園が建設されている余所国は、プロジェクトの本文にご説明した通り大島石の産地でありながら、昭和の頃はミカンの栽培が盛んな土地でした。私の実家も半農半石で生計を立てていましたし、ほとんどの世帯がミカンを作っていた時代がつい最近までありました。これまで宮窪橋夢公園を通して、旧余所国小学校・保育園の卒業生や、余所国を離れた人々が再びつながる機会になればと願いながら活動して参りました。ミカンをきっかけに、みなさんに余所国の昔を懐かしく思い出していただけたら、と思っています。理由その3.本プロジェクトをお手伝いさせていただく中で、人前でお話する機会をいただきました。普段飯炊き母さんをしている私にパブリックスピーキングのスキルはありません。あるスピーチの参考書に「見た目のインパクトが重要」と書いてありました。中肉中背のおばさんの話をみなさんに聞いていただくためには見た目をなんとかしなければ、と思った次第です。苦楽を共にしてきたこのミカンヘッドギアは二代目です。去年の誕生日に義理妹が買ってくれました。退役後も大切にします。引き続きよろしくお願い致します!