みなさま、こんばんは。今日も沢山のご支援と励ましのお言葉をいただきまして、誠にありがとうございます!今日は宮窪橋夢まつりの企画運営をお願いしようとしているイベント業者さまをお訪ねしました。数々のイベントを開催されてきたプロ目線でのご意見をいただき、私にとって大変有意義なミーティングとなりました。例えば、宮窪橋夢まつりで実現したいと思っている餅まきが、コロナの感染対策で「餅渡し」になっていること、ライブ演奏の騒音問題など、これから解決していかなければならない問題がはっきりしたように思います。みなさまのご支援で創らせていただくおまつりです。地域の方にご理解いただき、参加してくださる方に安心して楽しんでいただけるよう、実行委員会としてこれからも努力をして参ります。今日お会いした方々は、ド真剣でよいものを創ってくださるようにお見受けしております。みなさま、宮窪橋夢まつりをどうか楽しみにしていてください。引き続きよろしくお願い致します。宮窪橋夢まつり実行委員会代表 長谷部さやか
みなさま、こんばんは。今日も温かいご支援を、ありがとうございます!!今治も今日は厳しい寒さで、少しの間雪が舞っていました。寒さを言い訳にするわけではありませんが、今日はおとなしく炬燵を仕事場にして、開園式に海外から来られる方のための宿泊施設の調整や前後の日程のご提案、会計表の更新などの作業を行いました。マレーシアの方から今日もいただいたのが、「今治に行くならどこのゴルフ場がおすすめか」という質問です。ハシムさんも大のゴルフ好きで、前回今治に来られた時もレンタカーにゴルフバッグを積み込んでいらっしゃいました。宮窪橋夢公園開園式に来られる際も、次の日はゴルフに行く気満々です。どこかおすすめのゴルフ場がありましたら是非教えてください。近年、しまなみ海道はサイクリングの聖地として国内外から認知されていますが、私がマレーシアと今治を繋ぐお手伝いをさせていただいた中では、ゴルフにもインバウンドの将来性を感じてきました。インバウンドに関しては、世界の人口の約4分の1を占めるムスリムへの対応があった方が望ましいと思います。例えば、宿泊施設やゴルフ場、観光地のレストランなどで、豚由来の食材を使ったものが分るように印をつけるなど、ほんの少しの気遣いで、マレーシアだけでなく世界中の方に今治のおもてなしの心を感じていたくことができます。宮窪橋夢公園プロジェクトは開園式がゴールではありません。開園してから始まる今治市とマレーシアの関係を見据え、地元の民間や行政機関の方々にムスリムフレンドリーな環境づくりへのご協力をお願いしています。引き続きよろしくお願い致します。宮窪橋夢まつり実行委員会代表 長谷部さやか
みなさま、こんばんは。今日も元気が出るご支援をいただきまして、誠にありがとうございます!!残り11日間、お一人でも多くの方に宮窪橋夢公園のことを知っていただけるよう、更なる活動をして参ります。改めて、これまでのみなさまのご支援に感謝申し上げます。引き続きよろしくお願い致します!宮窪橋夢まつり実行委員会代表 長谷部さやか
みなさま、こんばんは。今日も温かいご支援、誠にありがとうございます!私は今、余所国に帰るための荷造りをしています。毎回ふるさとへ帰るたびに、タマノさんは飛行機もない時代、船で命がけの渡航をしたわけですから、片道切符同然の覚悟で海を渡ったのだろうと勝手に想像していました。ある本を手に取るまでは。。。『ハリマオ マレーの虎、六十年後の真実』山本節著 これは、第二次世界大戦下のマレー半島で、マレーの虎と呼ばれた谷豊の生涯について書かれたノンフィクションです。当時南方に渡っていた日本人は、以外と気軽に日本との間を行き来していたことが記されています。マレー半島へ渡るには、福岡の門司港からシンガポール行きの船が運航していて、片道14,5日だったそうです。NYまで13時間、宇宙ステーションまで4時間という便利な時代に生きる私たちにとっては、「気軽に」とは言い難い日数ですが、谷豊も何年かに一度は日本に帰り、地元の小学校に通ったり親戚に会ったりしていたようです。ハリマオのお母さんに至っては輪をかけて気軽で、往復で一か月を費やすというのに、一か月の夏休みを利用して親戚をシンガポール旅行に誘うこともあったのだとか。マーライオンにタッチして帰ってくるくらいの旅行でしょうか(笑)。タマノさんもまた、親戚に会いに帰国していたようで、その時のことを覚えている人が、私の知る限り、門司にお一人いらっしゃいます。戦争がなかったら、タマノさんは日本とマレーシアをそれまで通りに行き来し、ハシムさんが長年そのふるさとを探されることもなかったでしょう。終戦から70余年の時間と感情の蓄積によって、宮窪橋夢公園が生まれたとも言えるかもしれません。宮窪橋夢公園が、平和の大切さを伝えるものであるということも、是非覚えておいていただけたら幸いです。引き続きよろしくお願い致します。宮窪橋夢まつり実行委員会代表 長谷部さやか
みなさま、こんばんは。今日も温かいご支援をいただき、誠にありがとうございます!私はこれまで、100年先に宮窪橋夢公園を残すことを目標に活動して参りました。4年前の公園プロジェクト開始当初、ある方がこうおっしゃいました。「世代交代を30年と考えると、公園を30年保存できれば次の世代に渡したことになり、一つの成功の目安だ」と。「たった30年か。。。」(心の声)ハシムさんのふるさと探しに費やした年数は70年以上、大島石の歴史は400年以上です。それらの年月の重みを受け止めた公園の寿命を初めから30年と見積もるなんて、私には到底出来ませんでした。更に、30年後、多分私は生きているでしょう。そこをゴールにしてしまうと、プロジェクトに関わる決断の一つ一つにおいて、誰かに褒められたい、人との摩擦を避けてうまくやりたい、あわよくば公園を自分の人生のトロフィーにしたい、という「私」の願望が入ってきてしまうおそれがありました。おそれというか、ほぼ確信です。宮窪橋夢公園は、完成すれば今治市の公共の財産になります。その公園を形にしていくプロジェクトは、ハシムさんという「私」的なところに端を発しながら、「公」の視点を基本とするべきだと当初から私は考えていました。公の園と書いて公園。みんなのものです。「私」を離れ「公」に徹する必要がありました。私も含め、今このプロジェクトに関わっている人もそうでない人も、100年先にはみなこの世に居ません。その視点に立ってはじめて、「私」を離れ、誰の利益にも関わりのないところで物事を判断できるのではないかという考えのもと、100年先に視点を置くことにしました。とは言え、宮窪橋夢公園は今はまだピカピカの公共性を持ち得てはいません。これまで関係者に理解を得られず、妥協せざるを得ないこともありました。修復不可能な衝突もありました。そして、私が正しかったのかどうかも今はまだわかりません。それでもこの4年の間、100年先の今治の人にこの公園が価値のあるものかどうか、という基準から物事を判断する姿勢を貫いたことを矜持とし、みなさまにご支援を乞う自分なりの根拠としています。いつでも、誰でも、誰に気兼ねすることなく来ていただける公園になるための種まきをして、宮窪橋夢公園を今治市にお渡ししたい。そんな思いから、開園時に沢山の方に関わっていただけるよう、今回のクラウドファンディングに挑戦しました。みなさまのご支援が「宮窪橋夢まつり」にとどまらず、公園の未来につながるものであることをご理解いただけますと幸いです。引き続きよろしくお願いいたします。宮窪橋夢まつり実行委員会代表 長谷部さやか