皆さんこんにちは。
監督の亀山です。
今日は『12ヶ月のカイ』のはじまり、企画の発端についてお話ししようと思います。
結論から言いますと、このお話は「某女性映画監督がプロデュースした女の子オムニバス映画の没案」です!
「没案」と言いましたが厳密に言うと「監督募集があった時に短い脚本書いて送ったけど落ちたやつ」ですね。おこがましいので言い直します。
私こういう時だいたい落ちちゃうんですよ。悔しいよねぇ。
でも、こうして自分の作品、しかも長編として企画から生まれ変わらせることができたので、結果オーライでしょうか?
なので、実はそもそもの企画自体は2年ほど前からありました。
その時の5分くらいの短い物語を、もっと深掘りして広げてみようと思って書き始めたのが、この『12ヶ月のカイ』だったんです。
そして、その監督募集企画の数ヶ月後には、是枝監督監修によるオムニバス映画『十年』の日本版が公開されたり、ヒューマノイドやAIネタの作品が日本にも増え始めたり。
つまりここ2-3年は、クリエイターたちにとっても「未来」を考えてそこに創作の焦点を当てるべき時が来たんじゃないか、という気運がなんとなく流れていた時期だったと思うんですね。
「今更ヒューマノイドかよ」って思う方もいるかもしれませんが、 でも私が見た限り、それらの作品は制作資金が少ない日本人なりに上手く考え出された企画だったと感じています。日本版の『十年』は見る人によっては「詰めが甘い」と言われてしまいそうなオムニバス映画ですが、多面的に見ればとても面白い企画でした。未来は暗いけど明るい。すごく日本人らしい作品群でした。
また、世の中的にも「これからの社会のあり方は変わる、変わらなければならない」というひとつの流れがすでにあって、地球環境も人口減少も移民も差別もテクノロジーの発展も、私にとってはこの先の人生から切り離せない・考えずには生きられないテーマとして徐々に浸透してきていました。この感覚は、若い世代には特に共感できるものなんじゃないでしょうかね?
その「変わらなければならない」という意識だけは皆の中にあるにも関わらず、でも日本人ってやっぱり「新しいものに弱い」。モノでも制度でも、なんでこんなに抵抗感だらけなんだろう、なんでこんなに保守的なんだろう、と日々頭を抱えることばかり。
けど頭を抱えてる間にも、自分たちはどんどん歳をとって、世界はこんなにも目まぐるしく変化しているのに、日本だけがガラパゴス状態で数十年前からほとんど変わらない価値観と世界観で生きている。
正直しんどくないですか?
変わらないどころか、悪くなっていると感じられる部分だってたくさんあります。というか、「世界が変化しているのに、私たちだけ変われないから、色々追いつかなくなってその差で余計に生きづらさを生んでしまっている」という状況だと思うんです。
本作の9月撮影と12月撮影に間に、実は『マイライフ、ママライフ』という長編作品をもう1つ撮影していたのですが、『(略して)マイママ』のテーマでもある「現代女性の生きづらさとはなんなのか?」「働きながら子供を産み・育てることがどうして難しいのか?」という問いの根本的な問題は全てここにあると私は考えています。
まさに、ハード(=社会システムや環境)とソフト(=私たちの意識)の不一致。
わかりやすく言えば、iPhone 6をiOS13で動かしてるようなもの。10年前のPCで4Kの編集してカラーグレーディングしてる状態。そんなの無理だって。
(余談ですが、先日家の2012年製iMacに最新のOS入れようとしたら「あなたのPCにMojaveは入れられません」って言われました。つら…)
という訳で、前作の自主映画作品『ゆきおんなの夏』のような恋愛映画の空気感を醸し出しつつも、「世の中の不具合に立ち向かう」というスタンスは『マイライフ、ママライフ』と変わりありません。
愛だの恋だの、キスだのセックスだのの狭間にも、社会的なメッセージを込められないかな、と試行錯誤している作品が、この『12ヶ月のカイ』です。
人間とヒューマノイド。
この、似ているようで全く別物の二者が交わった時に、何が生まれるのか。
人間的だけれど人間じゃないからこそ導き出される、事件と結末に、共に立ち向かってくださる仲間が一人でも多く現れることを、切に願っています。
まだまだプロジェクトは続きますが、どうか最後まで、完成後まで見守ってください。
キャスト・スタッフ一同、スクリーンの向こう側で、あなたにお会いできる日を楽しみにしています。