なぜ、町家を残すのか?それは、活気のある地域が好きだから、活気のある地域でいて欲しいからです。町家は、その土地のアイデンティティー、コミュニティ、郷土愛、帰属意識に繋がると思っています。サザエさん的な、3世代でちゃぶ台囲んで、縁側で、という風景に裕福な時代の日本を思うのかもしれませんし、町家のある景色が更地や駐車場に変わり、ガラパゴス化していくのが嫌なのかもしれません。昔話ですが、私が長く育った盛岡も、伝統ある建物がいともかんたんに駐車場へ変わって行きました。例えば地元の人はわかる、創業明治5年、上の橋の丸竹茶屋さん。河川敷の散歩、肉の米内の焼き肉、藤原養蜂所で蜂蜜アイス、そのまま見晴らしの良い天満宮か、南下して肴町までなどなど...その北の端が、後継おらずであっという間に取り壊しへ。久しぶりに帰省もしましたが、駐車場...この気持ちの喪失感といったら本当に酷いものです。更には鉈屋町のかわてつさんも倒産・差押となるとここも更地になるのか...とhttps://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/kankou/1037106/rekishi/1009379/1009399.htmlhttps://www.iwate-np.co.jp/article/2022/4/2/112780そんな盛岡の一例ですが、話は戻り、無くした町家は戻りませんし、それはきっと、そこを心象風景としていた誰かの、故郷へ帰ってきた気持ちの喪失に繋がるのではないかな、と思うのです。そうすると、他所へ勉強や仕事に行った人たちの帰る機会も減り、結果として地域の活気が失われていくのだと思うのです。ただ、町屋の保存はお金と手間がかかります!涙誰かが無理をして維持するのではなく、ビジネスとして、地域の人も、訪れる人も、働く人も喜ぶ様なそんな町屋の保存、ひいては活気のある地域づくりに寄与したいと思うのでした。日々小話すみません!ご協力よろしくお願いします〜
初日からたくさんのご支援、メッセージをありがとうございます!m(_ _)mメッセージを頂いた中で確かに、と思いまして、なんでサウナ?についての小話を一つ。1. 1年間サウナと共に生きていました→実は私(米田)、1年間フィンランドに住んでいました。その際、もちろん湖畔のサウナ小屋へ行き、冬のワカサギ釣りさながら氷に穴を開けた湖に飛び込んだこともあります。笑さらに、住んで居たアパート?の地下に共同サウナが二ヶ所あり、浴槽が無い代わりにサウナに毎日入り、癒され、地元の人たちともサウナ交流してました。フィンランドのマーケット。確か...ムーミン村へ行く道すがらだったような記憶。2. 温泉に代わる癒し→長く住んでいた東北や石川は温泉が多く、疲れたら温泉!でした。ですが、滋賀は温泉が少なく、町中となると更に難しい。そんな中、豊富で綺麗な伏流水、安土桃山頃から伊吹山周辺で研究・栽培されていた薬草、更に日本古来の蒸し風呂、茶湯の文化...これらを掛け合わせた癒しコンテンツとして、サウナがあるではないか!と閃きました。伊吹山周辺では、昔から薬草栽培が盛んでした。お灸の「もぐさ」も。3. 父親の影響→私の父親は、岩手でスーパー銭湯の支配人を長いことしていました。そこを数年前改装する際に、サウナ好きの父親から様々こだわりを聞き、特にこだわって広く取った「水風呂」は良いもので、ここでもサウナナイズドされていきました。笑そんな訳で、私自身の人生での経験や、地域資源が頭の中でつながり、これはサウナを作るしか無い!と決断するに至った訳です。ご一読ありがとうございました!年明けにはちゃんとした進捗のご報告をさせて頂きます。★引き続き、拡散のご協力よろしくお願いいたします!m(_ _)m★1/10〜3/30まで全国旅行割の延長が決定しました。公式HPからのご予約のみ、現在適用可能になっております。じゃらんなどは、おそらく年明け以降の適用になりそうです。よろしくお願いいたします。ありがとうございます。ひといき 米田