創刊号に続いて横田南嶺老師と藤田一照師の対談第2弾を掲載!
創刊号、第2号に続いて、満を持して充実の内容でお届けする『サンガジャパン+ Vol.3』掲載記事をご紹介していきます。
臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺老師と、曹洞宗の禅僧、藤田一照師の対談を、創刊号(https://tinyurl.com/yhne6nrp)に続き、Vol.3にて第2弾対談を掲載いたします。
前回、創刊号では「これからの修行、これからの仏教」をテーマに、修行の道へといざなう大疑団と発心、生き方を方向付ける機縁や出会い、そして修行を深めていく中での学び、師の存在など、禅修行仏道修行の根幹にかかわるお話をいただきました。
第3号に掲載の対談第2弾のテーマは「現代における坐禅の意義はどこにあるのか」です。
横田南嶺老師と藤田一照師
対談にあたってお二人からいただいた言葉をご紹介します。
横田南嶺老師
「私は10歳の時に坐禅にめぐりあい、それ以来ただ好きで坐禅をしてきました。残念ながら、「現代における坐禅の意義」というようなことについては考えたことがないのであります。好きで坐禅して、それで死んでいったら本望なのです。今もそうであり、そしてこれからもこの坐禅の探求に生涯をささげるのみなのであります。そんな私のような者が、何かのお役にたつかどうか心もとないのですが、どうぞよろしくお願いいたします。」
藤田一照師
「40年前、ふとしたご縁で参加した円覚寺居士林での学生接心が私の人生の転機となりました。その思い出深い円覚寺で、横田南嶺老師と現代における坐禅の意義についてお話し合いができることをありがたく思います。釈尊の樹下の打坐、達磨の面壁、道元の只管打坐と連綿と伝わってきた幽邃な坐禅の世界を二人で縦横に語ってみたいと思います。」
坐禅の時代を越えた価値本質と、今日的なありようについての、自由闊達で刺激的なお二人の対話です。
藤田一照師は「坐禅は言い留められない」「言葉ではピン留めできない」と言います。そして、その真意を表す言葉が、この澤木興道老師の残した言葉「坐禅は幽邃である」にあると藤田師はおっしゃいます。
それはともすると「現実とは離れた別次元のところで特別な人たちだけがやる高尚な世界」を言っているように受け止められてしまうだろうと横田老師はおっしゃいますが、藤田老師はそうではないのだとおっしゃいます。
そして、その藤田師の言を受けた横田老師は、それは道元禅師の言われた「ただ坐る」の「ただ」に無限の奥行きを見ることにつながっていくのだと、即座に看破されました。
機知に富み、縦横に話題の広がっていくお二人の対話の続きは、どうぞ本紙『サンガジャパンプラスVol.3』でお読みください。
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