1940年代の名作USミリタリーウォッチを2種復刻:Buships Watch

1940年代に米海軍特殊部隊で使用されていた、ミリタリー界の名作ウォッチ Buships(ブシップス)をアンティーク調で忠実に復刻! 大人の色気漂うスモールセコンド付きの「Buships small second」、本体の水侵入を色でアラートする「Buships Marker」の2種展開です。

現在の支援総額

502,280

251%

目標金額は200,000円

支援者数

22

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/05/13に募集を開始し、 22人の支援により 502,280円の資金を集め、 2023/06/13に募集を終了しました

1940年代の名作USミリタリーウォッチを2種復刻:Buships Watch

現在の支援総額

502,280

251%達成

終了

目標金額200,000

支援者数22

このプロジェクトは、2023/05/13に募集を開始し、 22人の支援により 502,280円の資金を集め、 2023/06/13に募集を終了しました

1940年代に米海軍特殊部隊で使用されていた、ミリタリー界の名作ウォッチ Buships(ブシップス)をアンティーク調で忠実に復刻! 大人の色気漂うスモールセコンド付きの「Buships small second」、本体の水侵入を色でアラートする「Buships Marker」の2種展開です。

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

人類と時計
2023/06/04 00:00

私は時計を創っていて時計が好きです。スマホにはない時計の魅力を少しでも普及できればと思っております。今日は人類と時計の歴史に少し触れてみます。人類の歴史の中で、最大の発見の一つは”時間の発明”でしょう。これによって人類は季節を読み解く事を始め、計画的に物事を進め発展を遂げてきました。その”時間”を測る道具として、日時計から始まった時計は、砂時計・火時計・水時計・振り子式時計と徐々に人類と共に進化を成してきました。やがて、人々は”時”を持ち歩くようになりました。懐中時計の発明です。しかし、庶民はまだ持つ事が困難でした。王族や貴族の夫人達が競い合うように、豪華な宝飾品としての時計を求めました。芸術品や宝飾品として競い合いは、時計のデザイン性や新しい素材の発展へと導き、技術的発展は時計を小型化に導きました。その環境下で、宝飾品と小型化の融合として腕時計が生まれました。しかし、残念ながら時計の精度はあまり良いとは言えませんでした。また、男性には腕時計は普及しませんでした。始めは懐中時計を腕に巻くようなモノでした。男性が腕時計を使うようになったのも、腕時計が工芸品ではなく量産になったのも、精度が向上したのも皮肉なことに「戦争」でした。諸説ありますが、1880年、ドイツ皇帝が海軍将校用に2,000個の腕時計を、ジラール・ペルゴー社に製作させました。これが、腕時計量産の始まりだとされています。ここから人類と腕時計の歩みは本格的に始まります。”人類の腕時計に対する信頼はとても深い”と云われます。”身体に機械を取り付ける事を唯一許されたものだから”とも言われています。メガネも身体に装備する道具ではありますが、機械ではありません。時間を知る道具としての時計は、現代ではスマホにとって代わられているのかもしれません。前記の時代のように、工芸品、美術品、ファッションアイテムとして戻ってきているのでしょうか。何かわかりませんが、腕時計の魅力は、それだけではない気がします。


19世紀末に戦場で生まれたミリタリーウォッチ。しかし20世紀初頭においては、腕時計はまだまだ高価で、とても一般層に手の届く代物ではありませんでした。まずは出身階級の貧しい士官やパイロット、潜水部隊など軍の中でも時間の把握が命に関わるところから支給が始まりました。特殊部隊用の高機能なハイスペックは現代における高級ブランドのルーツになったのです。一方、続く戦争の中で、各軍は時計製作工場にさらなるコスト削減を要請。任務遂行に当たり、同時に複数の時計を生産する技術を要求するようになりました。大量生産技術の発展です。これはダラーウオッチ(1ドル時計)という廉価な時計の流れを作り、機能に特化した腕時計が生まれる裏では、戦場で使い捨てできるシンプルな腕時計も進化を続けていました。ここで、特殊部隊用の高機能なミリタリーウオッチと、一般兵用の量産品にミリタリーウォッチは二分されていくことになっていきます。これはミリタリーウオッチに限らず、腕時計全体が二分化していく原点と言えるのではないでしょうか。その歴史上から紐解くと、Buships時計は現代における高級ブランドのルーツの一つといっても良いかもしれません。この風貌、高級ブランドのイメージではないですよね。そこがまた良い。やはり欧州ではなく米国だからでしょうが?ミリタリーウォッチというとラフなイメージをもっている方も多いかもしれません。しかし、ヨーロッパの時計愛好家には、ミリタリーウォッチの出自は当然ですが、軍服に合わせるために生まれた時計で、スーツのルーツは英国軍の軍服。ミリタリーウォッチはスーツにも当然好相性だという人もいます。個人的にも英国のミリタリー時計はスーツに合うものが多いと思います。お客様の一人はスーツも現代の戦闘服、ミリタリーウオッチが似合うのも当たり前と言っていただいた方がおりました。Buships時計は、ラフなスタイルは当然スーツでも意外に合います。また小ぶりな事から女性にも似合うのです。今後ともBushipsご支援の程、宜しくお願い申し上げます。


前回戦時中、ミッションを正確に遂行するのに必要であった時計、自らの命を守る時計は、正確性を求められました事を記させていただきました。同時にその正確性を、過酷な戦場で維持する為の丈夫さも求めらるようになりました。ミルスペック(MIL-Specs)はアメリカ国防総省が制定する軍用品の調達規格の総称、とりわけ米装備品の耐久性能に関する規格の通称です。これはいわゆる『タフさ』の基準です。各軍にもこれに似た基準が設けられています。「防水」「耐磁」「耐衝撃」を測るものです。戦争は時計機能の”正確性”を維持する ”耐久性”を飛躍的に向上させました。これらは現代に於いても、製作者側・使用者側に於いて腕時計に求めるものです。パネライはイタリア海軍からの要請で「ダイバーズウオッチ」を開発し水中での耐久性を現実にしました。また、パイロットが飛行中に平均速度や消費燃料などを計算する「クロノマット」もブライトリングにより開発されました。「Buships」も水中爆破という特殊任務の為に製作されました。まさに時間の把握が命に関わる状況下でした。また、戦争に於いてはミッション遂行中の為(飛行機や車両を操縦しながら等)瞬時に時間を把握しなければなりませんでした。正確性、耐久性を向上した事に加え、戦争はデザインの明示性(視認性)のニーズが高めました。これが、シンプル且つ、機能美に優れたデザインを育む事になったのです。ある意味ミリタリーデザインは”究極の機能美”と言えるかもしれません。正確性、耐久性、機能美デザインを兼ね備えているミリタリーウオッチであれば、戦後に於いても長年愛さ続けているのも理解できます。Bushipsもその時計の一つである事は間違いはありません。ご支援お待ちしております。


ロレックス、パネライ、オメガ、ジン、IWC、セイコーをはじめ、高級ブランドと称される時計ブランドの殆どは、軍事向けに時計を製作及び部品供給しておりました。皮肉な事に「時計」と「戦争」は切っても切れない縁にありまります。それどころか戦争が時計に磨きをかけたとも云われております。諸説ありますが、世界が戦争に突入した時代、あるドイツ砲弾士官が懐中時計を腕に巻き付けたのがミリタリーウオッチの始まりと云われています。1899年~1902年に起こった第二次ボーア戦争でもイギリス軍兵士達が腕時計をしていた事がわかっています。しかし、1916年7月9日にニューヨークタイムズは「腕時計」に関する記事を掲載し、この中でヨーロッパの人々の時計が懐中時計から腕時計へと変化しつつあることを報じています。それまでは懐中時計をポケットに入れておくのが主流だったため、手首に時計を付けるヨーロッパ人を見たアメリカ人は一種のジョークだと感じたとのことが記されています。当時はヨーロッパとアメリカの間には、かなりの意識の差があった事が伺えます。図らずも戦争が時計に磨きをかけた、理由は必要性からでした。19世紀末期、通信手段がまだ開発途上であった当時、戦場における“正確な時間の把握は、最重要視すべき切実な課題でした。 前記の砲弾士官にとって、砲弾の到達距離を測るために時計は欠かせませんでした。パイロットは当地図とコンパス、そして時計を使って正確なルートを導き出していました。また時計は飛行時間を計測して距離や燃料を割り出すという重大な役目も担っていました。Buships時計も潜水活動の中で時間の把握により隊員の命を守りました。大規模な一斉射撃から時限式爆弾のセットまで、兵士がすべてのタイミングをそろえるには、時間の共有が不可欠だったのです。米軍では「HACK! ハック!」という掛け声で同時にリュウズを押込み時間を合わせていました。これが転じて、今でもリュウズを引っ張って秒針が止まる事をハック機能と呼びます。ちなみに日本軍は「じかーん!」と言って合わせたとか。どんな優秀な戦略も、それを実行する兵士たちが正確に動けなければ意味を成しません。時間の正確を保つ事は自らの命を守る事でもあったのです。世界中で戦闘機の駆動音が轟き、爆風と粉塵にまみれた極限の状況下で、トレンチコートのポケットから時計を取り出し、蓋を開けて時間を確認、そしてまた戦場へ意識を戻す必要のあった懐中時計は時間を要する為、腕時計にとって変わったのも頷けます。Bushipsは腕時計です、無駄な時間を要しません。添付写真は1955年5月27日発行のCollier's the National Weekly Magazineの表紙の人物はBuships watchを着用しています。左下に記載のThe NAVY FROGMANとはUDTの隊員の呼び名であります。


実は人気のBuships watchには大きく別けて2種類有ります。1940年代米国陸軍と海軍の先鋭達から作られた特殊工作部隊向けに作られたBuships watchはエルジンの他にハミルトンからも供給されていました。エルジンバージョンは弊社を含め、何度か復刻をされているアイテムですが今回のハミルトンバージョンは復刻される事はあまり有りません。それはエルジンバージョンのリュウズカバーはより大きく目立つからでしょう。しかし今回のハミルトンのケースにはアンティーク加工をした文字盤印刷に希少なスモールセコンドを配置。実物も少なくレアなモデルを採用しました。そこに革ベルトを起用する事で、とても大人のBUSHIPS WATCHに仕上がりました。右がエルジンバージョンのBuships watch、左が今回のハミルトンバージョンの復刻時計です。本文でお伝えしている様にBuships WatchはUDT(水中爆破特殊部隊)用に開発されました。米軍はww1の経験から水陸両用攻撃の必要性を重視し、海軍と陸軍の隔てない人員の養成所を1942年フロリダに設立しました。敵国に大量の兵力を上陸させる為には、偵察・水中の障害物や防護物の把握が必要であり、またそれを排除・爆破する必要があったのです。先陣を切る、いわゆる特攻隊長的存在です。あとから控える大軍の計画も彼らに掛かっている為、優秀な人材を集める必要がありました。海兵隊レイダース(海兵隊のコマンド部隊)と陸軍のエリート達が選ばれ、海軍の建設工兵隊であるSEEBEEシービーズ(効率的な爆破には建設の知識も必要だった事が伺えます)の志願者加え結成されたチームになります。ピアーズの基地では『人間の身体は10倍以上の仕事を実行する事ができる』という無茶なコンセプトにて過酷なトレーニングが行われました。現在のNAVY SEALS選抜過程、通称”ヘルウィーク”の元と云われています。選抜されたエリートが過酷な訓練に残った者のみが腕に巻くことを許された時計。それがBuships watchです。当時、特別な防水ケースはハミルトン社によって開発され1950年代になるとエルジン社の軍用モデルがでてきた。その形はハミルトンのものに良く似ているがリュウズキャップの形状が異なります。歴史はさておいて、1にも2にもかっこいい!


machi-ya official account

誰でもかんたんに、よりスピーディーに、
クラウドファンディングを始められるようになりました。

プロジェクトを始める
新しいアイデアや挑戦を、アプリで見つけるcampfireにアプリが登場しました!
App Storeからダウンロード Google Playで手に入れよう
スマートフォンでQRコードを読み取って、アプリをダウンロード!