こんばんは、atsumiです。
前回の投稿に引き続き、/pain という活動について綴りたいと思います。
2019年10月24日の二人での撮影は、言葉でうまく表すのが難しいくらい高揚した、だけど、胸が張り裂けそうになるくらいの切なさを持った瞬間の連続でした。
私は20歳に「セルフポートレート」という撮影方法をしっかりと意識してから、写真を撮ること=自分を撮ること、という認識になっていました。
もちろん、身近な家族や友人、恋人、風景なども撮っていましたが、私が「写真を撮っています」と明言するとき、人に見せる写真はセルフポートレートのみでした。
セルフポートレートというものは不思議です。
カメラを構えてファインダーを覗く時、そこには誰の姿もありません。
そして、被写体としてカメラのレンズを見つめる時も、カメラの向こう側には誰もいないのです。
カメラと自分だけの空間で、レリーズを握りシャッターを押すことは、なんてよるべない事なのでしょう。
それでも、私は自分自身の醜さや、頼りない姿の正体を探すために、ムキになって一人で写真を撮り続けていました。
私が何よりも大切に(と、いうよりも執着でしょうか)していた、「セルフポートレート」という領域に、うさこちゃんが入ってきてくれたこと。
これがどれだけ、どのくらい、私の生き方を変えてくれたか、私はうまく言葉にすることができません。
自分の生きるためのよすが。たいそうな言葉ですが、そんな絆が産まれた気がしました。
こうやって、私たちの [ /pain ] という活動は、細く続いてきました。
今回展示に踏み切ったのは、色々な縁やきっかけがありました。
私は故郷の北海道を離れて、東京に引っ越したのが大きかったです。
当たり前にいつでも会えると思っていた人に会えなくなること。コロナ禍での海を超えての移住は私にとって、あまりにも大きな変化でした。
昨年の7月に今回展示をさせて頂く、ユメノギャラリーさんからうさこちゃんに話が来た時、私はふたつ返事で「二人で写真展をやろう!」と言っていました。
一昨年だったら断っていたと思います。三年前だったら、「私には無理だよ」と鼻から検討もしなかったと思います。
去年だったから、「うん、今の自分にならできる。うさこちゃんとならできる」と思えました。
大袈裟でしょうか。
でも、お客さんに足を運んでもらって、自分の作品を見てもらうということは、大袈裟以外の何ものでもないと思うのです。
誰もが何かをインスタントに発信できるようになった今だからこそ、私はそういう感覚を噛みしめながら生きたいと思っていました。
私とうさこちゃんは、はたから見たら「二人」という括りかもしれません。
だけど、私たちは独立した一人の人間です。決して孤立しているわけではなく、一人の力で立つことができる、「独立した一人」なのです。
だから今回の展示は、「一人と一人」の人間が一緒に力を合わせて行うものなのです。
二人、と、一人と一人、の間には大きな違いがあると思います。
私は「二人」ではなく、「一人と一人」という言葉を使って、うさこちゃんとの関係を表したいです。
「一人と一人」の独立した人間の展示。
/pain という活動の名前。
長くなってしまいました。
次の投稿でクラウドファンディングに踏み切ったことを綴りたいと思います。
atsumi