――よう子ちゃんは、俳優さんやってて、そのときにファニィの手伝いに来たんやったっけ?
せやねん。一五歳のときに劇団京芸の俳優教室に行ってて。ほんで二〇歳くらいのときにちょっとだけこっち(スナック ファニィ)手伝って。そのときも実家やったから。(大阪府三島郡)島本町におったから。すぐ終電で一一時くらいに帰る。(店では)じーっとしてただけやねんけど(笑)。
――二〇歳のときは劇団で役もらって俳優やってたん?
ううん。俳優教室やったから。淀にあって練習しに行って、春とかに発表して卒業公演ていうのがあんねんけど、卒業公演してから恥ずかしすぎて一年休んで(笑)、一七歳くらいのとき、なんか知らんけどまた卒業公演に出て。卒業公演に何回か出てん(笑)。ほんで大学ぐらいのときに劇団を立ち上げようみたいなんになって。
――大学って大阪の大学?
滋賀。成安造形大学で。でも学校とかもぜんぜん行ってなくって。
――何してたん?
なんかじーっと。家で暗くしてた(笑)。
――(笑)。それがこないだ言ってた引きこもり期か!
高校生とかもずーっと。劇団京芸とか行く以外は……まあ行ってたけど、遅刻とかバンバンしてて。
――ああ、そうなん? 今こんなに明るいのに。
そう。なんかじーっとしてた。暗かった。
――大きくなってから「あれって、ああいうことやってんや」って解明されたりした?
うーん……。ぎゅーってなってたから。
でも、なんか、やっぱりやりたいっていうのはあったから。劇団京芸に行きたいって思ったのは、小学校のときに人形劇団京芸を見て、「銀色の松ぼっくりと空を飛んだにわとり」っていうお芝居で、鶏たちが頑張って空を飛ぶっていう話で感動してん。六年生のときに。それで、高一の始業式のときにタウンページで劇団京芸って調べて電話して。で、一五歳で京芸行って、俳優教室に行って、たまになんか……せや、劇団を立ち上げて、旗揚げ公演でその劇団がつぶれて(笑)。
――めっちゃ面白い(笑)。
それで(他メンバーが)「アメリカに行きたい!」とか。
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