――このお店は植村さんが継いでるんですよね? たしか、お母さんから。
そうそう、三代目。初代はおばあさんで、お母さんで、私なんですけど、だいたい八〇年ちょいぐらいかね。それがね、ちゃんと聞いてへんのですよね。歴史を。そやけど、おばあさんが戦前に。このへんって、お寺やとか芝居小屋とか、そういうお寺にお参りに来て、お芝居を見て帰らはるみたいな土地柄っていうかね。そういうとこやったんで、まあ、茶店みたいにおうどんやとかおぜんざいやとか、やったみたいなんです。
そんで、戦争で、小麦粉やとかお砂糖やとかが、だんだんなくなってきて。お参りして遊びに来てっていうのもだんだん少なくなってきて。やっぱり、女の人が働く場所っていうのがあらへんかったんですよね。みんな男の人は戦争に行かはる、女の人が家を支えなあかん、みたいになって。まあ、京都やったらね、そんなに戦争できつうやられてへんから、そこんとこで働きに、いろんな地方から女の人が来はるわけですよ。で、そんな女の人を預かったりしはって、こんな狭いとこですけど、女の人が寝泊まりしはったり、自分のお家とか借りるとこを持ったりして、ただで働きに来はるんです。
――へえー。
で、ここでお客さんにご飯食べさせてもうたりして、売り上げに協力をしはるわけです。で、そのころって、けっこうチップをくれはるわけですよ、お客さんが。それを貯めて、自分で木屋町でお店出したりとか、田舎に帰ったりとかっていうことをしはるわけです。そういう人らが、まあ、一〇人くらい、いはったんですかね。こんな小さいとこに。で、店も、もうちょっと大きかったらしいんです。向こうに小上がりがあったりとかして。様子もちょっと違ったんですよね。
……続きは『京都 中京民商 商人・職人 生活史』で!