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農業と子育てを応援する菓子屋をキッチンカー から店舗へリニューアル!

お菓子教室もできるケーキ屋さんをキッチンカーで開店して4年、この度那須の自宅敷地内に店舗としてのリニューアルを致します。地域の『農』を応援しながら、過疎地域の子供たちにも夢あるお菓子屋さんを見てほしい!ネクストゴール達成で、新作試食会、オリジナルグッズ作成や職場体験を実施します!

現在の支援総額

1,274,000

169%

目標金額は750,000円

支援者数

122

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/06/22に募集を開始し、 122人の支援により 1,274,000円の資金を集め、 2023/08/31に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,274,000

169%達成

終了

目標金額750,000

支援者数122

このプロジェクトは、2023/06/22に募集を開始し、 122人の支援により 1,274,000円の資金を集め、 2023/08/31に募集を終了しました

お菓子教室もできるケーキ屋さんをキッチンカーで開店して4年、この度那須の自宅敷地内に店舗としてのリニューアルを致します。地域の『農』を応援しながら、過疎地域の子供たちにも夢あるお菓子屋さんを見てほしい!ネクストゴール達成で、新作試食会、オリジナルグッズ作成や職場体験を実施します!

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搬入
2023/09/29 21:42

こちらの活動報告は支援者限定の公開です。


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こんばんわ!この度ご支援をいただきました皆様へ、今一度感謝を申し上げます。パソコンド下手な店主は、パパ会長にデータを見やすくしてもらい、お一人お一人のお名前を噛み締めながら確認させていただいてるところです。本当にありがとうございます涙。SNSなど何かで繋がっている方は、そちらでのお礼になるかもしれません。少し気長に待っていて下さいませ!今回の店舗計画なんですが、コンテナベースをガレージ内にコロコロを使用し設置したのち、DIYにて内装外装を改良し、店舗とする予定です。そのベースになるコンテナが、9月下旬から末日に設置予定となりました。というのも、ご近所さまに確認をとって道路を通行止めにして塞いだり、晴れの日に行う方がより良く運搬設置できるということで、この時期にということで予定しております(^^)今は床材や窓などのサッシや建具を見ながら、カラーのバランスなども踏まえ準備しているところです。【繁忙期の秋冬に営業を継続しながら店舗作りをする】というミッションになりますので、リターンの欄にも書いてあるとおりリターンの発送スタートは2024年の1月以降になることをご了承下さい。店内の店舗にお名前プレートを飾るリターンの方は、10月にはタイル工房ルナさんへ発注する予定でおります。まだ名入れのお文字が決まらない方は、ぜひお早めにご連絡をお願い致します。写真は今まで頑張ってくれていた冷蔵庫たちを移動し、お掃除をしました!外での営業には、自然のお客様がつきものでしたので、ちょっとドキドキしながら、お掃除をしました。かなちょろさんとか。。。いろいろと。。。笑建具屋さんで膨大な量の窓や扉を発見!モンブランやアップルパイなど、新作作りも盛り上がっております。ちゃんとご報告できるように、少しずつですが邁進してまいりますね★


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【私が死んだらお菓子な人だったと言われたい】最初からまたまたクレイジーな文言をもってきましたが、9歳か10歳からお菓子を作り始めて、勤めるお店は必ず【自分が美味しいと思える、これは自分でも取り入れたいと感じるお店でだけ勤める】ことをモットーに、若い頃を過ごしてきました。組織に属することに難しく、適応する為には、何か納得できる事柄を、学びになる要素が必要だったように感じます。そしてまた自分で試行錯誤をしながら自分の商品を作る時、パッケージではなく、先ず良い商品を作ること。パッケージはそのあと。材料には納得できるものを使うこと。をずっと心に置いてやってまいりました。当店は場所で言いますと、全然人通りが少ない閑静な住宅街にございます。個性的な商品が多いですが、ここまで来て買いたい!!という個性の強い商品がたくさん並びます。今、物価高騰のさなか、材料やさんが次々に値上げします。値上げは仕方ないこととしても、商品、材料の生産中止や、農家さんならばその果物を作ることを辞める、という方も出てきています。お菓子にはひとつひとつ物語が詰まっていて。果樹園やまとさんの『きらめき』桃ちゃん。桃ちゃんは当店の夏の主力商品です。福島の震災後頑張る農家さんのピカピカの桃を使いたい!というストーリー。桃ちゃんはじつは商品になるまで、8年の年月がかかりました。8シーズンという意味です。笑それでも夏のお菓子屋さんにはとてもありがたい主力商品となりました。本当に報われて、感謝しています。秋からはまた主力商品の『茶臼岳のモンブラン』が出ます。こちらもちゃんとした商品にするまで5年かかりました。笑茶臼岳のモンブラン。那須ならではの素材が入った秋の主力メニューです!いつだったか、『ONE PIEACE』の尾田栄一郎先生がコミック100巻目が発売された時に言っていた言葉。『100巻も重いですよねー。スペースとってすみません笑。でも、ワンピースは僕の全てです。人生の全てだと思います。こんなに!とも思うし、たったこれだけ!?っても思います笑。』という記事です。ああ、そんな大作に比べたら私なんてあれなんですが笑。でも、そんなふうに生きたいと思いました。くわえて忘れられないお客様との出会いもあり。私とお客様との間の物語もあったりします。なによりもわたしはお菓子が大好きです!季節の恵みも大好きだし、砂糖や卵の科学も大好き。もしも私から『篠 良美』の名前がなくなったら。店長のママでもなく、人生の淵に立ったときは。間違いなく、お菓子な人だったね。お菓子なばあちゃんだったね。そんなふうに言ってもらえるような。そんな生き方をしたいと思っています。お菓子がいつも、新たな扉を開いてくれる。お菓子によって、ほんの少し勇気がでる。お客様にもまた、そんな発見があった!と言ってもらえることが増えてきました。とてもありがたいことです。こんなの見たことない。初めて食べた。このお店の生クリームは大好き。嬉しいです涙。そしてそれを応援してくださる方全てに感謝申し上げます。あと3日!今回はわたしがお菓子が大好きですというだけの記事です笑。読んでいただきありがとうございました!最後の3日!ご支援もまた、お待ちしております。2023.8.28 篠良美


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こんにちは!お盆がすぎ少し風が秋を匂わせるようになってきました。前回は少し重たい記事を書いてしまいましたが、震災から得たものや、生き方について少し私の思いを聞いていただき、重ねてお礼を申し上げます。職業講和のお仕事コロナ禍のこと、栃木県立矢板高校さまの栄養食物科2年生さんに職業講和のお仕事へ。コロナ禍で校外での実習が難しいなか、なんとか進路を考える参考になる授業を届けるべく、学校にキッチンカー を置いてキッチンカーを見学してもらい、質問に応えたり、お話しを聞いてもらいました。令和3年の秋でした。https://www.tochigi-edu.ed.jp/yaita/nc3/さすがの高校生。進路はそれぞれ決まっている子もいれば、これからの子もいて、パンへ。あるいは日本料理へ。など、栄養食物科というコースを選択しているからこそ、少し専門的なお話をしました。一からお店を作る事はどれくらいのお金がかかるか。専門学校の学費はどれくらいか。何が好きなのか、なにを大切にしたいのか。ショコラティエ、グラシエなど、菓子の分野だけでも多岐に渡ること。レストランデザートとケーキ屋菓子屋で求められるものはどう違うのかなど。たくさん質問くださったので、私の過去のことを含めてお話をさせていただきました。『何を大切にしたいか』が変わってきている明らかに思うのは、『仕事』ということを捉えるときに、お金を稼ぐ方法としての一つの仕事というものが、ここ10年くらいでずっと変わってきていることです。そして『やりがい』『家族の時間』『自由』『人間関係』など、実は大切にしたいものがそれぞれにある、ということ。それぞれに違う。違っても良いということ。でもそれを体現している人に実際に会うことはなかなか珍しいことかもしれません。先生方がおっしゃってくれたのは、『あんなに目を輝かせた生徒たちを久しぶりにみた』という言葉です。面白い、楽しかった、すごく考えさせられた、見つめ直してみたい、そんな言葉をありがとう!コロナ禍という自分には手の届かない問題に直面した時代に生きる人たち二足のわらじ、私はお菓子教室と、お菓子屋さん。お母さんなのに自営業。学校通ってないけど製菓衛生師。こんな人がいても良いんじゃない。こんな生き方もあるんじゃない。https://note.com/lovelabonasu/n/nbc7937a4eed9↑ほかほかの時の気持ちのnoteはこちら。ログインなくても読めます!圧倒的に体験が足りないインターネットの普及によりたくさんの情報が得られるようになり、一歩を踏み出しやすい環境が整ってきているように思います。しかし踏み出せない、そういった子はとても多いです。親に聞かないと何も判断ができない子もいます。もし私がそこに体験を、体験できる場を与えられたら。すこし自信のかけらや、人と違っても良いと、背中を見せたい想いです。最後に世界的に見ても日本の飲食店レベルは品質とサービス共にずば抜けています。だからこそぜひ、次の世代の人にもこの世界に希望を持ってほしいんです。でも専門学校はとても高額です。道具や食材もあるのですから、それがダメだと言いたいわけではありません。道は一つじゃない。縛られるなにかもない。それを伝えたい。見せたい。ただ私が勝手になんですが。何かを作るという創造と手仕事にある、なにかのこと。篠良美でした!


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今回は掘り下げ編第二弾になります!1.震災のあとの私について2023.8.15、お盆で地元の宮城県松島に帰省してきました。こども店長は、ばぁばとじいじに会い、お線香をあげたりする、いわゆる経営とは別の過ごし方です。支援してくださった皆様に、震災の少し後の私について、少しお話ししたいと思うことがありまして、今回書きたいと思います。少し長いですがお付き合い下さい。2.全く希望が見えなかった3.11の後の約1年ちょっとの間、私はこの状態にありました。人生で一番お金がないころ。車を買わなくてはいけない。引っ越しをしなくてはならない。奨学金をもう2年返済しなくてはならない。なのに職場は営業が再開できないのだからお給料はもちろん少なく、ニュースで小さなこどもたちが津波や火事の犠牲になったことを知るたびに、『私が死ねば良かったのに』と。『私はなんで生きてしまったんだろう』と。今思うと、家族が亡くなったり、もう戻ってこない辛い経験をされた方から見たら、こんなものなんだろうって思われると思います。恥ずかしい気持ちも今もなおありますが、本当にこれが2011年のあと、一年半ずっとループしていたことが事実です。3.仕事くらい取り返したいNHK震災の特集TVを見た時、家族を失い、家を失い、それまでしていた仕事(農業)もなくした農家さんが、新たに農地を得て苺をもう一度栽培するという宮城県山元町の男性が写っていました。すごく悔しい。悔しいからこそ、仕事くらい取り返したい。もう戻ってこない人(家族)に、なにかを報告できるならば、仕事はなんとか取り返したぞ!って、俺がそっちに行った時伝えたい。何年かはかかると思う。金じゃないんだわ。負けっぱなしでたまるかよって。ただそれだけだから。こどもにも、奥さんにも、ただそれを伝えたいだけ。見ててくれって。4.自分の気持ちが行動によって現実になるそれを見た時に私、本当に感銘をうけまして。自分より大変な人がいるんだから頑張らなきゃとかではなく。何か大変な時に、ずっと今まで自分以外の何かのせいにしていたかもしれないと思いました。ぎくっとしたというんでしょうか。自分のあゆみを今一度振り返り、どうだったかをちゃんと見なくてはならないと。そしてその上で、自分が悪かった部分を誰か別のせいにして、その部分を感情的に消し去っていないか。見ないふりはしてきていないかを、注視して振り返ることをしました。大切な場面で、私はどうしたかったのか。相手にどんなふうに伝えたかったのか。そして相手の言葉を無視していないか。言葉の裏に隠れた別の意味を知ろうと私はしていたか。していなかったなら、今それを知ろうとしてもいい。遅いことはある。間に合わないこともある。でも知らないままよりも、知りたいと思うことを、言ってはいけないわけじゃない。知ったふうになって、誤解してないか。どうかも確認しなくてはならない。失敗しても自分で決めて、自分で行動していく。責任取れる範囲で。5.一度死んだつもりで、自分から生きてみたい。その後、【好きな仕事を続けるなんて、わがままなんじゃないか。自分の命が助かって、家族も無事で、そんな中にそんなこと、贅沢なんじゃないか】と違う仕事もしてみたこともあったけれど、結局私はお菓子のこと、お菓子作りのことからは離れられませんでした。私はなんてわがままで浅はかなんだろうと思います。ただ少し違うのは、朝は菓子屋、夜は居酒屋とかけもちして、責任を取りに行こう!と決めました。本当に賄いに助けられて、お世話になり、どちらの職場の人にも、絶えず助けられていました。『自分で選ぶ』『自分から生きる』それはいつも、決めることから始まるんですが、本当に人に恵まれていると感じます。6.自分で積み重ねてきたことが、人の喜びになることがある震災そのあとの最中に、秤がなくてもレシピがなくてもあるものでお菓子を作り。お水のお礼にご近所さんに渡したり。地震で散乱したコーヒー豆をすりこぎで細かくして、茶漉しと綿布でコーヒーを入れたり。なにげなく毎日やっている自分の中にあることが、思わぬときにだれかの喜びになることがあったということは、私の中にほんの少しだけ自信のかけらを与えてくれました。なんにもなくても、なにかを生み出すことができる力、ということです。それでもって人に、だれかに、喜んでもらえるという喜びです。そしてお菓子屋さんでは営業を再開した直後、ある中年の男性のお客様が、震災のところにより遅れたホワイトデーのお品物を買いたいとご来店に来られました。そのときに、『また営業してくれてありがとう!またここで営業を続けてくれてありがとう!すてきなお店だ!』と言葉をかけてくださいました。わたしはそのとき雇われで自分のお店じゃないのに、感激して泣いてしまいました。。。。7.定期的に思い出したいわたしは、間違えたり、よく失敗もしています。でもいつもそれをどうしたら良いかを考え、次に活かせるようにしようと頑張ります。ただ一生懸命やることをします。不器用だし、申し訳ないし、謝りたい人もいっぱいいるし良くない自分だったことも事実あります。反省も絶えません。ただ生きてる間にあやまりたいただ生きてる間にありがとうと言いたいもしもその中で、私が人を喜ばせることができることがあるとしたら。そしてそれで私も幸せを感じることができあるいは家族のなにかを応援できる糧になるならば。お菓子で生きていくことを、一つ貫きたいと頑張りたいです。8.生きろ近年、若い方の自死のニュースが顕著です。それが本当に心苦しい。素晴らしい才能を持つ人の、心の痛みが。亡くなった方の命が悔しいです。私の命は借りもので。たくさんの人の喜びの種を作ることでなにかを返したい。と思っています。でないと、今日を生きれなかった人に顔負けできない。というだけのもので。でも確かに、死ななくて良かった!生きてて良かった!そう思う瞬間は、来ると思います。私がそうでしたから。だからこそ、その背中をこれからの人達にも見せたいです。でも商品には、そんな重たいこと込めません。ただ『美味しい』と言っていただけたら幸せ。引き続き8/31まで頑張って走ります!篠p.sお盆には気仙沼市立旧 向洋高校さんにも行って参りました。いまは東日本大震災遺構伝承館として、建物の保存されたままになっています。当時の若い人たちの面影も残る場所です。そして東松島の美しき離島をご覧ください。ありがとうございました!東松島市と松島町の間。遊覧船コース。