「脳性まひの障がいを持ちながらヴァイオリニストを目指すのは困難な道のりだったのでは?」と言われることがあります。
ヴァイオリンに出会ったのは、4歳の時。脳性まひのリハビリのためにと母からバイオリンを勧められましたのがキッカケでした。実はヴァイオリンの前に、ピアノを弾いてみたのですが、脳性まひの障がいでうまく姿勢を保って座ることができず断念しました。でもヴァイオリンは身体の一部のようにしっくりきたのです。たまたま1回目のレッスンでまひが出ず、音が出ました。その音色が好きで「これなら弾くことができる!」と思えたのです。
しかし、レッスンを受けることはできませんでした。なぜなら10人以上の先生に指導を断られたからです。でも、恩師といえる先生に出会いました。ポップヴァイオリニストの中西俊博先生の演奏を聴き、「人を感動させる音を奏でたい」と中西先生に猛アタックして教わることができたのです。
その後、小学校5年生のときに特別支援学級から普通学級に転校し、小学校6年生の時にはいじめにあいました。
「ヴァイオリンで健常者を見返してやりたい」
「障害を克服したい」
という思いが強くなっていきました。マラソンやボクシングに打ち込み、体力をつけ、車椅子から降りて生活するようにもなれました。
シングルマザーの裕福でない家庭で育ったので、月謝の高いヴァイオリンを習い続けることで母に負担をかけてきました。血のつながらない祖父が自分の家を売って費用を出してくれたこともあります。信頼していた人に出演料・ギャラをすべて持っていかれた経験もあります。でも、バイオリンで食べていくことを諦めませんでした。
そんな気合・根性の精神で生きてきましたが、自分が自分に優しく変わることができたのは、2018年にヴァイオリニストとしてメジャーデビューした時のことでした。当時、脳性まひの障がいを持っていることを公表するか悩みました。理由は、車椅子にも乗っていないしヴァイオリニストとして指も動くので、誰も障害があるとは気がつかないからです。それに、公表して「あの人って本当に障害者なの?ふりをしているのでは?」と疑われるのも怖かったです。とても複雑な気持ちでした。
でも、障がいを隠すことは障がいがある方に対してとても失礼なことだと思いました。悩んだ末、公表する道を選んだのです。この時、自分を受け入れ、価値観も変わりだしました。とはいえ、デビュー後しばらくはヴァイオリンの技術にばかりこだわり、「こんな難度が高いこともできるんだぞ。どうだ!?」と技を見せつけるように弾いていました。自分の障がいを、本当の意味で受け入れていなかったからですね。
でもその後、少しずつ障害は克服するものではなく、「どうしてもできないこともあるんだ」と「弱さ」を認められるように。やっぱり第一は「コンサートに来ていただいたお客さんに楽しんでもらいたい。癒しの音楽を届けたい」という思えるようになっていったのです。
こう思えるようになる前の自分について反省することが多いです。
特に、
「人とのつながりを大切にできていなかったなぁ・・・」
と後悔していました。でも、今回のクラウドファンディングにチャレンジする中で、変わらず応援してくださっている方々がいる・・・存在に、本当に救われています。
ついに、終了まであと9日となりました。
質問があったので、お答えしたいのですが今回のプロジェクトは"All or Nothing方式"といいまして「目標金額未達成の場合はプロジェクト不成立」となります。(支援金がCAMPFIREから返金されリターンの履行ができなくなる形式です)
諦めず、できることをやっていきます。
また、11月16日に開催する「式町水晶メジャーデビュー5周年記念コンサート」の日程も近づいていることもあり、リターンの「参加チケット」を購入もいただきありがとうございます!これまでの"集大成"のコンサートにするため、準備していきます。楽しみにしていてください!
本当にあたたかいメッセージありがとうございます!
式町水晶