この画像は、令和5年10月15日に実施された、第3階八戸藩加賀美流流鏑馬興行の、流鏑馬本義の後のクールダウン幕間に導入した、騎乗舞の「神楽鈴之舞」です。 友情出演の戸山流流鏑馬会の射手・清川悠女史の振り付け創作を自ら披露された、初舞台でした。直垂に夏鹿毛の行縢(むかばき)をまとった射手の荒業と、巫女の衣裳に衣替えした艶やかさと静けさは、両極の麗しさと言えましょう。 また、興行中のBGM として、「扇之舞」と「神楽鈴之舞」の伴奏曲、琴と篠笛の合奏曲「八戸の未来に祈りを」は、本会のために創作していただいオリジナルで、この日が デビュー初陣でした。ユニット名「あや・まり」コンビが、ここ八戸の舞台で実演してくれる次回が楽しみです。紫月綾子さんと、星野真里さんの和楽器と流鏑馬、騎乗舞の異文化が新たな文化を創造してくれるかもー。
☆「蟇目之式(きひめのしき)」は、矢の先の鏑(かぶら)が木製です。楕円形で風を切る前の面に4つの穴を開けは、ています。悪疫の進入口である北東の方位(鬼門)の空へ、陰陽の矢2本を放ちますと、笛のような音が鳴り響きます。平家の佐藤義清(のりきよ)が北面の武士として皇后の御寝所を警備する勤めの交代時の儀式であったそうな。やがて、義清は23歳の若さで出家し、西行と呼ばれました。陰陽の蟇目矢は、斯道の大先輩であります東京の笠原克美氏から本会の興行記念に戴いたものです。☆予定を繰り上げて慌てていたせいか、手袋をはめて居ませんでした。小桜紋の鹿の皮製で愛用の一つでした。☆八戸はインフルエンザが流行り始めました。予防接種は高齢者故、\1,000でできますが、蟇目の鳴鏑矢の射手を務めた立場なので、「願」が叶うと信じ、予防接種はしません。皆様の健康も祈念しましたよ!
☆鞍上して気づいた。俺がライダーだ!オレが乗る幸柳こそ4Wだと!☆波が寄せても逃げなくなった。真っすぐ行けと命じれば、波に蹄跡が消されようとも、膝を高く上げて側対歩で走る。宮内庁の伝統行事「絹引」は、駆け足でも安定した走りを見せる走法である。私は流鏑馬の馬は側対歩に調教する。子の砂浜で「母衣引き」の稽古をしてみたい。☆雪柳と幸柳は機嫌が良かった。涼しい秋の風が吹き、虻は出てこなかった。稽古の後の蹄の裏堀りは不用でした。砂浜の良い処だ。津波を被り赤茶けて涸れた松の植え替え苗が2メートルにも伸びて頼もしく見えた。☆来春はこの渚で那須与一を体験してみよう!
○裃の正装をしたのは、的奉行と馬止の4人に絞りました。小春日和であれば諸役10人が着用 する予定でしたが、肌寒い気温でしたので普段着の上に着用してもらいました。インフルエンザの、り患者が急増していたからです。○屋外のイベント故、白足袋と白緒の草履には、土が染みついて、普通のクリーニングでは汚れが落ちません。刷毛で土を搔き出し漂白すること2回できれいになります。手前どもでクリーニングします。新品を返せば草履が@¥2,300、白足袋が@\1,300します。浄財をつかわせていただくので、こうした節約法も経験知です。○招待射手衆の橘流師範格・スティーブン.ローソンさんに、記念の「中(あた)り的」をお届けに上がりました。1尺8寸四方の杉の柾目の板的で大きいものです。事業家は商売繁盛の願を懸けて店に飾る縁起物です。日興東照宮では、破片の大きさによりますが、@\3,000から@\10,000で販売しています。○柾目の板的は、希少です。間伐材では得難い希少な大木から伐り出して作ります。従って@\3,500以上です。こういううものにはお金を掛けねばなりません。願を懸ける無地の的はそれ自体神聖なものです。矢が当たれば、柾目板か否か判ります。柾目は縦に真直ぐ割れます。安い板を張り合わせた的は、割れ方が歪んでばらばらになり、拾い集めてつなぎ合わせ、当たり的の記念品を作ろうにも、難儀します。○故実の流鏑馬記録には、ヒバの柾目板を伐り出すため、何か村もの山から巨木を伐り出し納めるよう命じたと記されています(三戸南部家流鏑馬など記録する世襲の神官・佐々木家が書き継いだ『花厳院(かごんいん)文書』より)。