この写真は、民俗学者 宮本常一の著書「忘れられた日本人」の中で、文字を持つ伝承者として紹介された田中梅治翁の短歌を記した石碑です。
田中梅治翁は牛市が賑やかだった頃に出羽で生まれ、隣の田所村鱒渕という集落の農家の養子となり地域に貢献した博学な篤農家でした。正岡子規が主宰したホトトギスという歌壇に参加して投稿を続け、入選した句を記念して田所村の句会「柚味噌会」の同人により昭和14年12月に建立されたものです。
同じ時期、田中梅治翁を宮本常一がアセッチ・ミューゼアムを主宰する渋沢敬三(渋沢栄一の孫)を伴って翁を訪ねていて、9月に開かれる出羽の夏牛市を案内し、翁が千屋(岡山県)、比和、神石(広島県)、飯石(島根県出雲)から来た牛の特徴を説明したことが「忘れられた日本人」の中で紹介しています。
下の写真は、その出羽牛市の繋留場です。ごらんの通り屋根が崩れかけていましたが、昨年夏に取り壊されました。この建物自体は戦後2~30年代に建てられたものでしょうが、牛市のシンボルとなっていました。
中国山地の山陰と山陽の結節点に位置する出羽。往還が山陽と山陰の四方に向かっているところです。20年前まで広島バスセンターから広島電鉄バスが一日4便往復していました。賑やかだった家並みも少しずつさみしくなってきましたが、この映画をとおして中国山地の歴史と文化を伝えていけたらと思います。