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元自閉症が送る『発達障害克服の3ステップ』医療・福祉に頼らずに幸せに自立する道

「発達障害は幸せに克服できる」「体調の悪い状態で軽作業ができても、幸せな人生とは言わない」青年の発達障害者の人生を導く本を作ります。私は25年間自閉症でしたが、さまざまな転機を経て発達障害を克服しました。その転機を3ステップに分けて解説し、障害者福祉と障害者雇用の限界なども解説します。

現在の支援総額

183,000

12%

目標金額は1,500,000円

支援者数

49

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/10/13に募集を開始し、 2023/11/30に募集を終了しました

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元自閉症が送る『発達障害克服の3ステップ』医療・福祉に頼らずに幸せに自立する道

現在の支援総額

183,000

12%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数49

このプロジェクトは、2023/10/13に募集を開始し、 2023/11/30に募集を終了しました

「発達障害は幸せに克服できる」「体調の悪い状態で軽作業ができても、幸せな人生とは言わない」青年の発達障害者の人生を導く本を作ります。私は25年間自閉症でしたが、さまざまな転機を経て発達障害を克服しました。その転機を3ステップに分けて解説し、障害者福祉と障害者雇用の限界なども解説します。

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【残り4日】応援ありがとうございます!
この出版プロジェクトも、終了が近づいてきました!
ご支援・情報の拡散を頂けましたら、とても嬉しいです

今回は私が発達障害だった20代のエピソードを3つ思い出してみます。


①2002年、情報系の専門学校に通っていた時代

学級があって担任制。その先生は若いけれども、すぐに怒鳴る。
喜怒哀楽がはっきりしていて、時には優しい先生だった。

特に穏やかな男性・女性が突然怒り出すというのは、私にはすごい恐怖だった。

さらに過去を振り返ると、父親・母親に怒られた経験の多さが影響している。
想定外の理由で怒られると、確実にフラッシュバックとなり、何度も脳内に沸いてきた。

この学校でどんな勉強をしたのか、今となってはほとんど思い出せない。
周囲の人とチームで卒業制作をしたと思うが、内容を覚えていない。

会話も困難だったと思うが、いつの間にか卒業できていた。


②2004年、当時「偽装請負」と呼ばれた派遣の仕事にて

1年間に4つのIT系の仕事に派遣された。
携帯電話の動作検証、きっぷ券売機の動作検証、プログラムの動作検証

特に3つ目の仕事は、何をやっていたのか記憶がない。
Windows98かMeの入った、古いノートPCだったのを覚えている。

仕事ができなければクビになると思うのだが、3ヶ月間持ちこたえた。
成果がなくても給料をもらえる?今思えば、不思議な世界だった。

しかし、4つ目の仕事では、上司を怒らせてしまい2日間で終了になる。

また、当時住んでいた調布市飛田給からは、遠い現場が多かった。
 川崎駅まで片道1時間20分。小作駅まで片道1時間20分。

それでも当時は、辛いと思わず通勤していたようだ。
しかし、通勤中の記憶を何も思い出せない。


③2006年、調布市内の作業所(就労継続支援B型)にて

ホームページ 

併設の支援センター

※あれからが15年が経過し、体制が大きく変わっています。

ここではパソコン作業で、書籍や学会誌の原稿をテキストデータとして入力。
入力速度は早く、読みにくい漢字も素早く処理。

当時を振り返って、辛かったことは
・集中力が続かず、すぐに休憩室に入りたくなること
・周囲の人との会話が、ギクシャクしやすかったこと
・夏と冬の通勤(通所)は身体的にきつかったこと

今と比べて、あらゆる面で衰弱していた時期だった。
それでも周囲の人と比べて、作業量と品質は良く、欠勤も少なかった。

2007年、当時の施設長の紹介で、特例子会社に入社することになる。

※現在の支援センターの施設長は、当時お世話になったケースワーカー。
他のスタッフは誰も残っていませんが、今の自分が連絡したらびっくりするかな?

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