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今回は私が発達障害だった20代のエピソードを3つ思い出してみます。
①2002年、情報系の専門学校に通っていた時代
学級があって担任制。その先生は若いけれども、すぐに怒鳴る。
喜怒哀楽がはっきりしていて、時には優しい先生だった。
特に穏やかな男性・女性が突然怒り出すというのは、私にはすごい恐怖だった。
さらに過去を振り返ると、父親・母親に怒られた経験の多さが影響している。
想定外の理由で怒られると、確実にフラッシュバックとなり、何度も脳内に沸いてきた。
この学校でどんな勉強をしたのか、今となってはほとんど思い出せない。
周囲の人とチームで卒業制作をしたと思うが、内容を覚えていない。
会話も困難だったと思うが、いつの間にか卒業できていた。
②2004年、当時「偽装請負」と呼ばれた派遣の仕事にて
1年間に4つのIT系の仕事に派遣された。
携帯電話の動作検証、きっぷ券売機の動作検証、プログラムの動作検証
特に3つ目の仕事は、何をやっていたのか記憶がない。
Windows98かMeの入った、古いノートPCだったのを覚えている。
仕事ができなければクビになると思うのだが、3ヶ月間持ちこたえた。
成果がなくても給料をもらえる?今思えば、不思議な世界だった。
しかし、4つ目の仕事では、上司を怒らせてしまい2日間で終了になる。
また、当時住んでいた調布市飛田給からは、遠い現場が多かった。
川崎駅まで片道1時間20分。小作駅まで片道1時間20分。
それでも当時は、辛いと思わず通勤していたようだ。
しかし、通勤中の記憶を何も思い出せない。
③2006年、調布市内の作業所(就労継続支援B型)にて
※あれからが15年が経過し、体制が大きく変わっています。
ここではパソコン作業で、書籍や学会誌の原稿をテキストデータとして入力。
入力速度は早く、読みにくい漢字も素早く処理。
当時を振り返って、辛かったことは
・集中力が続かず、すぐに休憩室に入りたくなること
・周囲の人との会話が、ギクシャクしやすかったこと
・夏と冬の通勤(通所)は身体的にきつかったこと
今と比べて、あらゆる面で衰弱していた時期だった。
それでも周囲の人と比べて、作業量と品質は良く、欠勤も少なかった。
2007年、当時の施設長の紹介で、特例子会社に入社することになる。
※現在の支援センターの施設長は、当時お世話になったケースワーカー。
他のスタッフは誰も残っていませんが、今の自分が連絡したらびっくりするかな?