第九章 雨音
朝4時に起きると、外は雨が降っていた。雨がテントに当たり、パシパシと音を立てる。この音を聞くと、毎回憂鬱な気分になる。雨の中を行動しないといけない可能性が高いからだ。出発は7時。再び寝ようと目を瞑ってみるが、雨音が気になって寝付けなかった。雨の中を歩くのは気が進まない。そう思っていると、朝6時頃から雨脚が弱まり、出発時刻の7時には雨が止んでいた。晴れ男はタンザニアでも健在のようだ。
今日は、ラバタワー(4600m)を経由し、高所順応しながらバランコキャンプ(3900m)を目指す。今日も昨日とは景色が打って変わり、目の前にキリマンジャロの頂がくっきり見えた。森林限界の境目にキャンプ場が位置していたらしい。昨日のマチャメキャンプもそうだが、キャンプ場がちょうど植生の境目に位置している。毎日見る景色ががらりと変化し、とても楽しい。森林限界が4000mなのも、さすが熱帯気候の国タンザニアである。日本アルプスでは2500m付近が森林限界であるため、その標高差は1500mもある。キリマンジャロ国立公園は、タンザニアの北東部に位置し、ケニアと隣接している。よってタンザニア国内でも赤道に近い位置にあり、ほぼ赤道直下である。ヨーロッパからの登山者が多いのもこの為であろう。もちろんヨーロッパとアフリカで距離が近いのもあると思うが、ヨーロッパの山々はマッターホルン、モンブラン、ユングフラウなどの3大名峰を含む、4000m峰が数多く聳え立っている。しかしこれらの山々は年中を通して雪を被っているため、標高約6000mで頂上以外ほぼ雪がないキリマンジャロは、彼らにとって珍しく楽しいのだろう。
第十章 ラスボス登場
今日もガイドのジャコブと歩く。歩くにつれ初めは遠くに見えたキリマンジャロの頂がどんどん近づいてくるのがわかった。同時にそのスケールの大きさに息を呑んだ。現在標高は4500mであり、キリマンジャロの山頂であるウフルピークまで、あと1400mほどである。だが残り1400mとは到底思えないほど、僕の目にその頂は高く映った。ついに目の前に、今回のラスボス、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロの全貌が露わになった。胸が高まり、つい笑みが溢れる。今思えば半年前の思いつきが現実となり、携帯の画面内の存在であったキリマンジャロが今自分の目の前にある。人生何があるかわからないな、なんて他人事のように俯瞰して見ている自分が面白かった。いやお前が登るんだよ?
キリマンジャロを目前に、右手にラバタワー(4600m)が見えてきた。600mも登ったとは思えないほどあっという間であった。ラバタワーに着くと、コックのバラカがランチにしようと言ってきた。どうやらこの標高で食事をすることで、高所順応することが目的のようだ。ランチは苺ジャムのサンドイッチと茹で卵、チキン、バナナ、マフィン、ビスケット、マンゴージュースだった。これは後で思ったことだが、キリマンジャロ登山の後に参加したサファリツアーのランチボックスも同様の内容であった。どうやらタンザニアのランチボックスはどこも大体同じらしい。茹で卵とチキンはなんとなく怖かったので残した。食事をしていると、リスのようなネズミのような生物がたくさん周りにいることに気づいた。どうやら登山者の食べ物を狙っているらしい。私が誤ってビスケットを落とすと、すかさず食べていった。これもまた一種の生態系である。ランチを食べ終わると、バランコキャンプ(3900m)を目指し、ひたすら下山する。バランコキャンプまでの道では今までと異なる植生が見られた。頭でっかちな歪な形の巨大な植物。ジャイアントセネシオが登山道の両脇にたくさん生えていた。
第十一章 お花摘み
バランコキャンプへ到着すると、ウェイターのブレイッソムがティータイムにしてくれた。この時間で毎日日本から持ってきた味噌汁を飲むと決めていた。ブレイッソムには悪いが、彼が持ってきてくれた紅茶やコーヒーを差し置いて、お湯だけ頂戴した。今朝高山病薬を飲んだからか、この日はトイレが近かった。高山病薬であるダイナモックスは利尿作用がある。高山病の症状は、重篤になると肺に水が貯まってしまう。肺に水が貯まる前に尿として体外に出しましょうよ。というのが高山病薬の正体である。以前にも書いたが、トイレの概念はあっても、的を外さないという意識は低いため、トイレ内がとても汚い。故に小さい方は立ちションで済ませると決めた。現地のスタッフはよく立ちションをしているので、咎められることはない。最悪のなのは大きい方である。大きい方はさすがにトイレ内で致すのだが、匂いを嗅ぎたくないため息をしないうちに済ませようとした。ズボンを下ろしたとこで、ここは標高4000mの高知であることを思い出す。息が続かない。仕方なく嗅覚を諦めることにした。ちなみにトイレに行くことを意味する「お花摘み」の語源は登山用語らしい。
第十二章 甘さ
夕食を終えしばらくすると、ガイドのジャコブがテントに来た。話を聞くとモバイルバッテリーを貸して欲しいとのことだった。私は今回、Ankerの10000mAh一台、20000mAh二台、260000mAh一台の計四台のモバイルバッテリーに加え、ソーラーバッテリーを持ってきていた。主な使用用途は携帯と撮影器具の充電であった。日本からFijifilm-xt4、Gopro11、Osmopocket3を持ってきていたため、かなりの容量が必要であった。この時点ですでにかなりの容量を使用しており、貸す余裕などなかったにもかかわらず、つい反射的に貸してしまった。後になって行程を1日巻くことになったため、結果的にバッテリーを貸しても問題はなく、登山ガイドに親切にしてれば、何か私が困ったときに助けてくれるかもしれないという考えに至ったため、この選択は後悔していない。しかしこれは結果論に過ぎず、考えなしに貸してしまったことが問題である。頂上で撮影できなくなった可能性もあったが、何よりこの甘さが登山では命取りになるかもしれない。反省しこの日は22:00に就寝した。
血中酸素濃度 92% 身体異常なし。