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「五島の伝説・昔ばなし」の本を復活させたい!

平成17年に民俗学者であった私の祖父が創った、長崎県五島列島の伝説・昔話をまとめた「五島の伝説・昔ばなし」という本があります。現在、在庫がほとんどなく、絶版状態です。その本を復活させたい!応援してくださる方お待ちしております。

現在の支援総額

1,621,950

108%

目標金額は1,500,000円

支援者数

158

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/05/25に募集を開始し、 158人の支援により 1,621,950円の資金を集め、 2024/07/08に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,621,950

108%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数158

このプロジェクトは、2024/05/25に募集を開始し、 158人の支援により 1,621,950円の資金を集め、 2024/07/08に募集を終了しました

平成17年に民俗学者であった私の祖父が創った、長崎県五島列島の伝説・昔話をまとめた「五島の伝説・昔ばなし」という本があります。現在、在庫がほとんどなく、絶版状態です。その本を復活させたい!応援してくださる方お待ちしております。

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みなさま、おはようございます。なかなか現状報告ができておらず、すみません。本日、皆さまからいただきました資金とは別に、長崎松下財団様から助成金をいただきました。資金が増えたことで元々計画していた部数より多く製本できるようになりました。現在、製本作業は色々あって業者さんから見積もりを取り直している段階です。もう少ししたら実際の作業に入れると思います。ゆっくりではありますが、進めております。よろしくお願いします。


進捗状況報告です
2024/07/14 10:20

クラウドファンディングから1週間がたち、今、印刷所と調整中です。製本の具体的な流れがまとまったら、支援者の皆様に本に名前を掲載してもいいか個別に相談する予定です。もちろん、個々人の判断にお任せしますのでどのような判断でもかまいません。よろしくお願いいたします。


本日、クラウドファンディングの最終日を迎え、無事、目標額を達成できました!!応援してくださった皆様には心より感謝申し上げます。思えば、今回初めてクラウドファンディングに挑戦するため、慎重に準備を進めてまいりました。思い立った時から、五島市観光協会、五島市教育委員会、新上五島町観光物産振興協会、新上五島町教育委員会をはじめとして、支持や協力いただいた方々もいる中、本業や日々のやることに追われ思うように準備を進めることができず、ヤキモキしたこともありました。クラウドファンディングがスタートしたときは自分の宣伝は足りていたか?誰からも見られないのでは?と不安でいっぱいでした。しかし、始まってすぐに支援をいただいたときはとてもうれしくなりました。支援以外にもいろんなアイデアをくれる方もおり、非常に参考にさせていただきました。また、新聞メディアや、現地ラジオに出演するときも快く受け入れていただき、暖かい気持ちになりました。”私には頼れる仲間がいる”。その事実に私はとても救われ、とても心強く感じました。その後、おかげさまで順調に伸びた支援のおかげで無事に達成することができました。ある時、ある方とお話ししていた時”この夢はもうガータロ(私のHN)のものだけじゃないね”と言われて、私の夢はもう、私のものだけでなくみなさまと歩むみんなの夢だと気づきました。これから、本書の製本と返礼品のご用意を進めていき、みなさまが応援してくれた私の夢、みなさまの夢を実現したいと思います。最後まで私のなすべきことを見届けていただけると幸いです。プロジェクト終了まで少し早いですが、ご挨拶とさせていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。


本日、無事クラウドファンディングの目標を達成いたしました!これもひとえに応援してくださった皆様のおかげです。達成後もまだまだ支援が続いており、余剰資金として今後の活動にとても心強い支えとなっております。本日も祖父にゆかりがある岐宿(きしゅく)に伝わる伝説を紹介したいと思います。岐宿城岳(しろたけ)には今から約600年前、五島の殿様が城を築いたので「城岳」という呼び名がついたそうです。この城岳の周囲にはシカやイノシシ、うさぎ、キジ、山鳥などが多く、歴代の殿様が良く狩に来たという記録も残されています。この城岳の八合目あたりに平地がありますが、昔はここを武者だまりと言って、武士たちの集合場所に使っていました。その頃は殿様も含めて戦がない時はふもとにいて農業を行い、いざ戦いとなったとき、武装して武者だまりに集まったとされております。そのならばしが明治、大正まで続き、年に一回、金福寺の大釣鐘を合図に村中から城岳の武者だまりまで駆け上る「山駆け」が行われました。この山駆けは、道でも山中でも自分の好きなところを自由に走っていいようになっており、この協議で一番になることが最も栄誉あることだったと伝えられております。いつごろからかその風習もなくなり、一時期は運動場としてほかの運動競技も行われていましたが町に小学校の運動場ができてからは使われなくなり、現在は登山、観光客のための駐車場となっています。