こんにちは。
京都市中京区にある。満福寺の第28世住職。また、六満こどもの家(夜間保育園)の園長をしいています。内海秀乘(うつみしゅうじょう)です。
7月1日から9月13日までの期間で「満福寺を日本一幸せになれるお寺にする」を目標に掲げてクラウドファンディングに挑戦中です。
クラウドファンディング挑戦終了まであと18日になりました。
これまでにキャンプファイヤーのサイトからのご支援。そして、満福寺への直接のご支援合わせて100人を超える多くの皆さまから応援・ご支援をしていただいています。
全ての支援額を合わせると約700万円まで達成することができました。
目標金額の1000万円までは皆さまからのご支援があと少し必要ですが、多くの皆さまからの温かいご支援や応援に本当に感謝でいっぱいです。
「あなたに寄り添える他にはない一人ひとりを大切にできるお寺」を目指して、今自分にできることを一歩ずつコツコツとやっていくので、
この記事を読んでいただいて、満福寺のプロジェクトに少しでも興味を持っていただいて共感していただきましたら応援してもらえると嬉しいです。
今回はなぜ、クラウドファンディングに挑戦するのかについて皆さまにお伝えできればと思っています。
以前の活動報告で
「なぜ、満福寺を幸せになれるお寺にしたいのか?」でもお話ししたのですが、
私はお寺のことを全く知らない状態で一般の家庭から満福寺の僧侶になりました。
満福寺で僧侶として、保育士として働く中で周りの環境に馴染めず、自分のやることなすこと全てうまくいかないことが続き、
「自分には僧侶の仕事、また保育士の仕事は向いていないのかもしれない。もう辞めたいけど辞め方も分からないし、どうしたらいいのだろうか」といった虚無感の中、「何のために働いているのだろうか」と考える毎日でした。
そんな中、師匠が病気で亡くなり、長岡京市にある総本山光明寺に修行に行ったことがきっかけになり、自分の考え方を180度変えてくれた素敵な住職様に出会えることができました。
そして、その方の言葉で今の自分があるというお話をしましたが・・・
実は、もう一人、本山の修行で出会った素敵な僧侶がいます。
運命的な僧侶との出会い。パート2
その、もう一人の運命的な出会いをした僧侶というのは?
私と同じ歳で、私と同じ全くお坊さんの世界を知らない一般の家庭から養子として僧侶になった私の一番の大親友といえる存在であり、私の目標となっている方になります。
その方とは、私が本山での修行を終える間際に出会ったのですが、養子で僧侶になったことなど私と同じ境遇ということもあり、出会ってすぐに仲良くなりました。
私は今では物事をありのままに受け入れ、前向きに考えれるようになりましたが、満福寺のお坊さんになって10年くらいは・・・
「自分はこんなにも頑張っているのに、なんで自分がこんなにしんどい思いをしないといけないのか、これは絶対に周りの環境のせいだ」と他人のせいにして、愚痴ばっかりだった私に対して
その方は、何事にも積極的に前向きに考え行動できる方だったので、そんな私に
「世の中悪いことばっかりじゃないから、大丈夫!今、自分にできることをしてたら必ずいいことが待っているよ。一緒に頑張ろう」といつも笑顔で温かい言葉をかけてくれる素敵な僧侶でした。
今、振り返って思うと彼の言葉がなかったら今でも愚痴ばかりのネガティブ人間のままだったと思います。
本山の修行が終わって、満福寺に戻ってからも僧侶や保育士としての仕事に悩んでいる時も、そ方の存在や言葉があったから今でもこうやって僧侶と園長を続けられているのだと思います。
存在することが1番の幸せ
「あいつも頑張っているから自分も頑張れる。お互いに素敵なお寺にしていこう」という気持ちでお互いに切磋琢磨しながら色々なことに挑戦していく中で、
時には、一緒に銭湯に行って「こんなことしたら面白いな」や「将来的にはこんなお寺にしたいな」などの話をしたり、飲みに行っては家族やお互いの友達のたわいもない笑い話をいっぱいしました。
そして、これからももっともっと色んなワクワクする楽しい話などを話せると思っていました。
しかし、そんな大切な時間も突然自分の目の前から消えてしまう出来事が起きてしまいました。
僧侶仲間から突然連絡が入って、
その僧侶が倒れて緊急で病院に運ばれて、今も意識が戻らなくて、かなり危険な状態なので最後に仲の良かった人達に面会してもらいたいと奥さんから連絡があったということだった。
実は、私がインフルエンザにかかってしまいどうしても法要ができない時に、その方に無理を言って自分のお寺の法事を代わりにお願いして、「今度はそっちに何かあったら代わりに法事するから言ってな」と話をしていた3週間後の出来事だった。
正直、何かの冗談だと思った。絶対に嘘だと自分に言い聞かせていた。とりあえず何も考えられない状態で急いで病院に向かいました。
病院に入り、その僧侶のいる集中治療室に案内され、意識のない状態で人工呼吸器の音だけが鳴っていて、心臓だけが動いているその僧侶の姿が目の前にありました。
3週間前まで、笑顔で冗談をいって笑い話をしていたのに、今は呼びかけても返事も返ってこない僧侶の姿が目の前にあり、僧侶失格かもしれないですが
「なんであいつが倒れてしまわないといけないのか、他に倒れないといけない人なんてこの世の中にいっぱいいるじゃないか」と思ってしまいました。
状況を理解できず、何も考えられず、頭の中では、
「こんなことになるんやったら、もっと一緒にいろんなことに挑戦しとけばよかった」
「もっと飲みに行って色んな話をしたかった」
「もっと将来のこととか語り合いたかった」
でもしょうがないことなんだと何度も自分に言い聞かせようとしたが、色んな思いが頭の中をグルグル回って自分にはこの気持ちをどう整理することが出来なかったです。
そんな、自分には何もできない。どうしようもない日々を過ごしている中で、その僧侶のお葬式を迎えることになりました。
大切な僧侶の為に一生懸命にお経をあげようとすればするほどこれまでの色々なことを思い出してしまい、涙が止まらずお経すらあげることも出来ずに、最後まで何もできなかった自分でしたが、
最後のお別れの時に無理をお願いして、その僧侶の棺に手紙を入れさせていただきました。
「今まで本当にありがとう。これからはお前の分まで生きていくから見といてな」という手紙を入れさせてもらいました。
その僧侶が亡くなるまで、「なんであいつが?」と色々と悩むことも多かったですが、お葬式を終えて、しばらくしたときにふと、あの僧侶と出会ったことで今の自分がいることに気が付きました。
あの僧侶が生きた38年という期間はとても短い人生だったかもしれないですが、その38年間の中で、僧侶として奇跡的に出会えたということ。そこにあの僧侶が存在していたという事実。その出会いや存在に意味があったのだと思えるようになってきました。
「使命」という言葉は「命を使う」ということ
「使命」とは「命を使う」と書きます。
今回の令和大改修工事で復建される満福寺の山門は師匠であった一乘上人が自分の病気の身体で命をかけて建立していただいた山門になります。
そして、38年という若さで極楽浄土に旅立った大切な大親友も命を使って、「今自分のできることを楽しむ気持ちを忘れずにやることが大切なんやで」と命を使って私に教えてくれているのだと思います。
400年以上続く、満福寺の歴代住職さまも色々な考え方の中で「満福寺とご縁を結ぶことができた一人でも多くの方を笑顔で幸せにしたい」という気持ちがあって今まで命が繋がって、その先頭に私がいるのだと思います。
私が生きてきた中の、これまでの多くの出会いやご縁に感謝して、
今自分にできることを考えた結果、もしかしたら明日この世からいなくなるかもしれない自分の命を使ってこのタイミングでしかクラウドファンディングに挑戦することは出来ないと思い。今回、クラウドファンディングに挑戦することを決意しました。
「町の小さなお寺が1000万円を目標にしたクラウドファンディングに挑戦するのは無謀だ。」や「そんな金額集まるはずがない」というお声もいただくこともありますが、
あの僧侶に向けた手紙に
「今まで本当にありがとう。これからはお前の分まで生きていくから見といてな」 と書かせてもらった通り、あの僧侶の分まで挑戦して一歩でも前に進むことができれば不可能も可能になると信じています。
一人の力では何も変わらないかもしれないが小さくても多くの力が集まれば必ず物事は変化すると思います。
最後は笑顔で「みなさまのおかげで達成できました。ありがとうございました」と報告できるように、今自分にできることをしっかりしていきたいと思っていますので、
引き続き、応援してもらえるとうれしいです。