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故郷喪失者たち(総勢13名)の作品をまとめた『沈んだ名 故郷喪失アンソロジー』

「故郷喪失」をテーマとした、故郷喪失者の表現を掲載する自主制作誌『沈んだ名 故郷喪失アンソロジー』を制作します。

現在の支援総額

358,800

119%

目標金額は300,000円

支援者数

101

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/03/30に募集を開始し、 101人の支援により 358,800円の資金を集め、 2024/04/30に募集を終了しました

エンタメ領域特化型クラファン

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故郷喪失者たち(総勢13名)の作品をまとめた『沈んだ名 故郷喪失アンソロジー』

現在の支援総額

358,800

119%達成

終了

目標金額300,000

支援者数101

このプロジェクトは、2024/03/30に募集を開始し、 101人の支援により 358,800円の資金を集め、 2024/04/30に募集を終了しました

「故郷喪失」をテーマとした、故郷喪失者の表現を掲載する自主制作誌『沈んだ名 故郷喪失アンソロジー』を制作します。

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故郷喪失アンソロジーの藤井佯(ふじい・よう)です。

なんと、目標達成率が50%を突破しました!ありがとうございます!!

クラウドファンディング実施は4月30日まで!残すところあと10日ほどとなってまいりました。引き続き何卒ご支援・ご協力のほどよろしくお願いいたします!


まえがき公開

さて、今回は『沈んだ名 故郷喪失アンソロジー』の「まえがき」を全文公開したいと思います。まえがきをお読みいただければ、故郷喪失アンソロジーがどのような思いで編まれ、どのように皆さまのご協力のもと制作されていったのかが伝わるかと思います。それでは早速下記に転載いたします。

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まえがき

 二〇二四年の一月ごろ、特定の地域を舞台とした小説の公募を目にした。その公募には応募条件があり「その地域に住んでいた、または住んでいた経験がある」者のみが応募できるようになっていた。そこでふと、私は自分の故郷について書くように言われたら、すんなりと書くことができるだろうかと疑問が湧いた。あまり前向きに書きたいとは思えない、というのが率直な感想だった。それで、突然「故郷喪失」という言葉がやってきた。午前四時のことである。私はどうしても、故郷喪失者による故郷喪失者のための本が読みたくなった。ないものはつくるしかなく、気がつけば応募要項をつくりあげ、SNSで作品の応募を呼びかけていた。

 二〇二四年一月二四日から三月一七日にかけて「故郷喪失」をテーマとした作品を募集した。応募にあたり、「広義の故郷喪失者であること。故郷を喪失したと自認している方」という応募資格を設けた。本書の方針として、まずは故郷を喪失したと感じている人々の語りを掲載したかったため、そのようにした。三十四件の応募があり、その中から十二篇を選び、自身のエッセイを含めた全十三篇のアンソロジーとして本書を編纂した。刊行にあたってはクラウドファンディングを活用している。

 故郷喪失という言葉が包括する概念は複数あると考えられる。高度成長期の都市開発による故郷喪失、あるいはグローバル化に伴う故郷喪失という、現代社会を貫く大きな流れがありつつ、また、日本においてはヒロシマ、ナガサキ、ミナマタ、そしてフクシマなどの積み重なりが存在する。そして、現在「故郷喪失」を語るにあたって、パレスチナにおける大虐殺や能登半島の被災状況を無視することは決してできない。そのうえで、そうした大きな流れのなかに現代を生きる私たち個人の語りがある。そのような普遍性と特殊性を持つテーマでありながら、これまで故郷喪失者の表現が故郷喪失者の表現として十分にアーカイブされてきたかと問われると、私にはまだ、その営みが不十分かつ発展途上であるように思えてならない。本書では、あくまで作者自身の考える故郷喪失を書いてもらうことに主眼を置いた。そうすることによって浮かび上がってきた現代の故郷喪失観について、あとがきに代えてささやかな論考を書き下ろした。本アンソロジーを形にしていくにあたって、編者である藤井がアンソロジー参加者を巻き込んで故郷喪失という言葉と格闘してきた軌跡であり、ひとまず到達できた場所についての記録として記したものである。

 語るということは特権的な行為である。この本において当事者が語ることでさらに不可視化される当事者が出てきてしまうことは避けられない。また、故郷喪失という言葉自体によって不可視化される語りが存在する。本アンソロジーに採用された作品はどれも、作者が作者自身について俯瞰し、故郷喪失という言葉と自身との距離を測り、それを言葉を用いて語るという離れ業を以て書かれたものである。しかし、応募された中で私が不採用にした作品について、ではその語りは語られるに値しないものだったのかと問われると断じてそのようなことはない。紙幅と予算という制約によりやむを得ず選考を行ったものの、作品の価値はそのようなものによっては決して損なわれることがないのである。さらに、そもそも生み出されなかった語りについて、故郷喪失という言葉では掬い取ることのできない場所にある語りについても同様である。しかし、どこかで進まなければならない。まずは言葉を投げかけ、さらに言葉を投げかけ、絶えず語られない声に応答し続けることによってしか前に進むことはできない。故郷喪失を語る試みはいつまでも途上である。それは読者に届くことによって一歩ずつ前進する。読者の中に何らかの感慨を引き起こすことによってまた一歩、読者がそれに触発されることによってさらに大きな一歩が刻まれる。まずは、投げかけること。それを目的に、この本は編まれた。この本を触媒として、読者のうちに沈んだ言葉を喚起することができれば幸いである。


二〇二四年四月   藤井佯

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今回の活動報告は以上となります。引き続き『沈んだ名 故郷喪失アンソロジー』をよろしくお願いいたします。

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