姫野由紀さんのトークショーのご報告の続きになります。間が空いてしまいすみません。
記念誌にも掲載しましたが、小田急遊園地時代にばら苑の責任者をされていた村田晴夫さん。その後、村田さんは自身でばら園を開業し、個人邸の造園やバラ苗の生産販売を行っいます。
一方、遊園地は閉園。川崎市がばら苑を引き継ぎましたが、バラの名前が書かれたプレートが失くなったり、日焼けして文字が読めなくなるなど、名称不明になったバラが多数ありました。
ボランティアも調査をしていましたが、かつての責任者である村田さんにご協力をお願いしたところ、ご快諾をいただきました。2009年からの調査で、稀少なバラの名前が判明し、中には、このばら苑にしかないようなものも見つかりました。冒頭の画像が調査の時の様子です。
村田さんにとって、小田急園芸部は初めての就職先。バラを本格的にやろうと決意したのは、小田急向ヶ丘遊園のばら苑の景色にひかれたからだそうです。
当時、村田ばら園(山のばら園)で働いていた姫野さんも、村田さんと共に不明バラ調査に協力をしてくださっていました。傍で見ていて、ばら苑との縁が復活したことを村田さんはとても喜んでくださっていたとのことです。
その後2010年6月、今度はボランティアの数人で、村田ばら園(山のばら園)の見学に行きました。バラに覆われたガゼボの下を見て、「こんな休憩スペースを、ばら苑にも作ろう!」と、オールドローズコーナー(ガーデン)造りが始まります。
ガゼボのフレームも村田さんが安く提供してくださったものです。徐々につるバラが成長していき、現在ではお客様にも楽しんで頂いています。
残念ながら2012年に村田さんが逝去され、バラがガゼボを覆い尽くした状態を見てもらうことは叶わなかったのでした。