今回完全オリジナルで、「立てる自画像」と「煉瓦焼」を墨加工しTシャツとトートバックを作りました。美術史家の橋爪節也先生も大絶賛!!それぞれエピソード付きです!立てる自画像:What do you mean by 'academic'? OMG!!!煉瓦焼:In February 1928, Yuzo Saeki visited the brick kiln at Villiers-sur-Morin. This painting became Hatsujiro Yamamoto's memorable first collection.なお、右横に小さくサインが入っていますが、実際の佐伯祐三のサインからトレースしました。
煉瓦焼(1928年 大阪中之島美術館蔵) この絵は、2023年に大阪中之島美術館で開催された展覧会で初めて知った※。祐三が死去する半年前に書かれた絵で、煉瓦を焼く窯が正面から描かれている。輪郭は太い線で単純化され、勢いのある筆捌きはリズム感がある。「ガス灯と広告」(1927年 東京国立近代美術館蔵)で頂点を極めた感はあるが、フランス東部のヴィリエ=シェル=モランを訪れた際に書き上げた一連の風景画は、作風に変化が見られる。一つ所にとどまることなく、常に新しい絵を求めて鍛錬していた祐三には感動させられる。 この時期の絵は、線は単純化され、力強く、どこかしらユーモラスな作品が多い。加えて、澄んだ空の青、煉瓦色の赤、少しの草の緑がバランスが良く、配色のうまさが際立つ作品でもある。 もう一つこの絵を語るのに収集家山本發次郎の存在が外せない。この煉瓦焼は、發次郎が初めて出会った作品である。この絵をきっかけに数多くの佐伯祐三の作品をコレクションするのである。数多くの作品が残念ながら空襲で消失したものの、疎開させていた40点ほどが残ったことで、今私たちは祐三の作品の変化やバリエーションを楽しむことができる。 ※「佐伯祐三 ― 自画像としての風景」は、2023年4月15日(土)から6月25日(日)開催
このアカデミックめが! 「立てる自画像」(1924年 大阪中之島美術館蔵)にまつわる佐伯祐三の有名なエピソードである。意気揚々とフランスに来た佐伯祐三は半年近く経ったある日、画家で友人の里見の計らいで、パリの北に位置するブラマンクのアトリエを訪ねる。ブラマンクはマティスなどと共に活躍したフォービズムの画家だ。祐三はブラマンクに見せるため、持っていった「裸婦」はきっと自信作だったに違いない。 しかし予想に反して、ブラマンクは「このアカデミックめが!」と一言吐き捨てるように言ったという。 その言葉は、学生がうまく書いた絵にすぎず、画家の絵ではないという意味合いが含まれていたのだろう。その言葉に祐三はひどくショックを受けたという。 ブラマンクの辛辣な言葉の後、まだ自分は何者にもなり得ていない、その焦りが見て取れるのがこの「立てる自画像」である。何者でもない自分、顔は鋭く拭き取られている。 しかし、見方を変えれば、それでもなお画家としての自分を描いているのだ。ブラマンクに言われたあの言葉のままでは終われない、本当の画家になりたいと強く願っているようにも感じ取れる絵である。そしてそれがきっかけで、その後次々と名画が生まれていった。
まずタイトルを見て、中津学園の所在地は北区だけど、大正区って何か関係があるの?そう思われたのではないでしょうか?実は中津学園は大正区にもグループホームを持っています。重度障害者の方が暮らし、加えて中津学園の建て替えに伴い、仮住まいしているこどもたちも暮らしています。また、中津学園は、基本的には障がい児=こどもの居住施設ですが、成人し卒業した方の中には自宅に帰らず共同生活を希望される方がいます。中津学園が市営住宅を借り改修をしたグループホームで暮らしている方もいるそうです。古川大正区長(写真中央男性)と中津学園園長(写真左の黒い服の女性)は、そういった障がい者をめぐる状況や居住ニーズについて、意見交換をしました。同席の方曰く、区長は土日も厭わず地域の行事に出席し、区民からも親しまれているそう。元は東京都庁にお勤めだったそうで福祉行政にもお詳しい様子でした。合わせて、クラウドファンディングのチラシの配架の協力のお願いもしました。快く、クラウドファンディングのチラシ200部を受け取っていただき、地域でも配ると言っていただけました。こんなに区民に寄り添ってくださるなんて、大正区民を羨ましく思いました。#佐伯祐三#佐伯祐正#福祉事業#クラウドファンディング#大正区#古川区長
今回のプロジェクトをきっかけに、中津学園は過去の資料を探索し、新たに写真や図面が発掘されました。それらも含めて、近畿大学寺川研究室では、今までの写真やハガキや図面をデジタル化して整理しています。また、図面やご親族の聞き取りをもとに、佐伯祐正と祐三の時代の建物の様子を再現しています。これを模型にして新しい中津学園の竣工時には披露したいと考えています。