洋画家佐伯祐三の生家で障がい児と地域のアート拠点とアーカイブギャラリーを作りたい

佐伯祐三の生家が福祉事業を始めて100年。 大正末期から母子寮、幼稚部、図書館、日曜学校、お寺カフェ、相談指導、保育所、障がい児の入所施設など社会福祉事業を続けてきた歴史ある場所「中津学園(光徳寺善隣館)」を、障がい者と地域の人々やこどもがアートを通じて交流できる場所として再生したいです!

現在の支援総額

2,449,997

48%

目標金額は5,000,000円

支援者数

226

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/11/01に募集を開始し、 226人の支援により 2,449,997円の資金を集め、 2024/12/16に募集を終了しました

洋画家佐伯祐三の生家で障がい児と地域のアート拠点とアーカイブギャラリーを作りたい

現在の支援総額

2,449,997

48%達成

終了

目標金額5,000,000

支援者数226

このプロジェクトは、2024/11/01に募集を開始し、 226人の支援により 2,449,997円の資金を集め、 2024/12/16に募集を終了しました

佐伯祐三の生家が福祉事業を始めて100年。 大正末期から母子寮、幼稚部、図書館、日曜学校、お寺カフェ、相談指導、保育所、障がい児の入所施設など社会福祉事業を続けてきた歴史ある場所「中津学園(光徳寺善隣館)」を、障がい者と地域の人々やこどもがアートを通じて交流できる場所として再生したいです!

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いよいよクラウドファンディングもあと2日。今日、200万円に達しました!!本当にありがとうございます!!当初の目標の500万円には遠く及びませんが、なんと188人もの方々の尊いご支援だと思うと、胸が熱くなります。あと2日間、精一杯頑張ります。 さて、今期のテレビドラマ「ライオンの隠れ家」(金曜日22時T B S テレビ)を楽しみに見ています。市役所で働く洸人(ひろと)と自閉スペクトラム症の弟・美路人(みちと/みっちゃん)が二人で暮らすなか、謎の男の子「ライオン」と出会ったことで、“ある事件”に巻き込まれ、生活が一変していくというドラマです。美路人(みちと)はこだわりが強いが、動物が好きでそれをモチーフにした絵が得意です。そして、お兄ちゃん思いです。美路人役の方の好演が光ります。昨日の回ではある理由から美路人がお兄ちゃんと離れて障がい者の方たちが集まって住むグループホームにお試し体験をするものでした。 中津学園ではこどもたちが集団で暮らしています。家族と離れ寂しい思いもありますが、それぞれの事情がありやむなく家で暮らせないことから中津学園にやってきます。預かる以上は、日常の基礎的な生活習慣の自立(洗面、排便、着脱、私物の整理整頓)や人との関係性の構築などを目指し、職員が伴走します。新しい中津学園では、個々の生活も尊重できるように大半は個室を用意し、だんらんや食事の場である共有空間も充実しています。こどもたちは家庭で暮らすことがいいのは基本ですが、中には中津学園から巣立つ際に、果たして戻して大丈夫なのだろうかと不安になるケースもあるそうです。また、元の家庭には戻らず独立して暮らす選択をする人もいます。「ライオンの隠れ家」の美路人が体験したグループホームのような暮らしを選択する人もいます。中津学園も近くにグループホームを運営しています(大正区泉尾にもあります)。職員がサポートをしながら自立した生活をしています。金銭管理、生活支援、トラブル対策などのサポートを職員がします。(写真はグループホーム中津の遠足 右端が渡辺祐子園長)また、今は家庭で暮らしていても、親がお亡くなりになったり、高齢になることで家では生活できなくなるケースも出てきます。近年は、グループホームのニーズが高まっていますが、なかなかつくることが難しい状況にあります。偏見や不安などから、総論は賛成だが自分の家の近くに来られることは避けたいと考える人もいて、住まい確保は苦戦することが多いのです。地域に開く活動を通じて、少しでもその垣根が解消されたらいいなと考えています。地域に開くことは中津学園のこどもたちの将来のためでもあります。 泣いても笑ってもあと2日、精一杯頑張ります!


いよいよクラウドファンディングもあと3日。ご支援が続々と集まっており、毎日感謝の気持ちでいっぱいです。今までは祐正や祐三の時代の話を中心に書いてきましたが、今回は現在の中津学園のお話を少しだけお伝えたいと思います。 祐正が空襲で大けがを負い、わずか49歳で亡くなってしまったあと、祐正のもとで働いていた役僧の中には、檀家さんを引き連れ自分の寺を建てて出て行ってしまった人もいて、檀家さんも減り、残されたのは事業のことを知らない女性とこどもばかりだったそうです。しかし途方に暮れる間もなく、刀根山カントリーハウスを含む不動産の一部を処分し、妻千代子は保育所を作ります(1949)。その当時は第一次ベビーブームが到来し、働くお母さんのための保育所が不足していたのです。常に定員を上回り95名の定員にまで膨れ上がり、地域でも非常に喜ばれたそうです。他方、1951年ごろになると、祐正の長男・祐元は、精神薄弱児のための施設であり、先進的であった近江学園(滋賀県大津市)に実習に行くことにしました。この施設で祐元はなりふり構わず児童と寝食を共にし頑張ったそうです。その体験が元になり、中津学園でも精神薄弱児施設を運営してみようということになりました。地域では、徐々に保育所、幼稚園が盛んに建設されその役割は他施設に任せることができると考え、むしろ、当時はまだまだ家の中で閉じ込められ阻害されていた障がい児を家庭的な雰囲気の中で育てることが重要と考えたようです。そんなわけで、保育所をたたみ障がい児の居住施設「中津学園」が誕生しました。1961年(昭和36年)の出来事です。戦争や社会情勢の変化の中でも、その意思を絶やすことなく社会福祉事業に邁進してきた佐伯家ですが、現在も次のステージに向けて、中津学園の建て替えを進めているところです。現園長・渡辺祐子(佐伯祐正の孫)は言います。「祐正の妻・千代子が、保育所を始めた時から今まで、なりふり構わず社会福祉事業を進めてきました。しかし、建て替えを機に、近畿大学寺川研究室などの力を借りてアーカイブを整理する中で、もう一度、祐正が目指していた地域に開かれた拠点としての要素を取り入れていきたいと考えています」泣いても笑ってもあと3日、精一杯頑張ります! 


クラファン終了まであと4⽇! N H Kニュースと読売新聞で報道されました! いよいよあと4日になり、苦戦中ですが、N H Kと読売新聞に取材いただき、昨日と今日報道されました。誠にありがたい限りです。N H Kは本日(12/12)朝2回、夕方の「ほっと関西」の計3回ニュースで報道いただきました。 また、讀賣新聞は、昨日(12/11)の夕刊で。クラファンのQ Rコードまでつけてくださってました。 どちらも報道の後、クラウドファンディングの支援が増えました。優しいコメントをくださる方も多く、ジーンときます。一つずつ読んで、返事を書いています。  


いよいよ、クラファン終了まであと5⽇です!! ぜひ、応援や拡散をよろしくお願いします。  今回は、佐伯祐三一家が第一回目の渡仏の後、大阪で過ごした1926年のお話。祐正・祐三の姉・文栄さんは、現大阪市港区弁天町で金融業を営む裕福な家に嫁いだ。実家で居心地が悪かった祐三は、ここに長期滞在していたようだ。文栄の娘、息子とも交流があった。この家に滞在した祐三は、文栄の息子を伴ってよく写生に出かけたという。中之島の吉村洋画材料店(現ホルベイン)で画材を買い求め、その後安治川沿いでスケッチをしていたようだ。※吉村洋画材料店は、現在も絵の具など画材を製造・販売するホルベインのこと。https://www.holbein.co.jp/company/history/chronology.html イーゼルや絵の道具を分担して持たせて出かけ、祐三は夢中になって滞船を描いた。真横から描かれた船は、帆柱が垂直にそそり立ち、大きな空を分割しリズミカルで緊張感のある絵に仕上がっている。また、祐三の筆さばきによって、船の胴体のざらつきや風水に耐えるテクスチャーが見事に表現されている。この時期にいくつもの作品を残している(下図は、「滞船」1926年ごろ ENEOS株式会社蔵)。文栄さんのお孫さんが聞いた話によると、「写生をしていると、水辺に立てかけたイーゼルが突風で吹き飛ばされることもあった。これを文栄の息子は度々とりに行かされたそうだ。風が木屑や藁を拾い祐三の描く絵に張り付くことがあった。気を利かせて取り除こうとすると、作品が損なわれるからそのままでいいと祐三に諌められたという。」無頓着なようでいて真っ直ぐに絵だけを極めたい祐三の心持ちがよく現れているエピソードである。 また、祐三は、蟹の絵をこの家で描いている(下図は、「蟹」1926年ごろ 個人蔵)この蟹の絵にもエピソードがあり、お話を聞かせてもらった。ある時、この家の主人が茹でたカニをもらったそうだが、いつ料理したかわからないから食べたくないとゴミ箱に捨ててしまったそうだ。「おそらく、主人は活(イケ)のまま仕入れ、家で茹でたものでないと口にしたくないと思ったんでしょう。今思えば、なんて贅沢だったんでしょうね。」と笑って教えてくれた。ところが、それを見つけた祐三はすぐにそれを拾い上げ、そそくさと写生をし、その後ペロリと平らげてしまったそうだ。確かに、赤く茹で上がり勇ましくも、とても美味しそうである。それを見事に表現している。


いよいよ、クラファン終了まであと7⽇です!! 今日は少し趣向を変えて、佐伯祐正の小ネタを披露します。中津で働く人たちの生活を少しでも良くしようと私財を投じて、寺の敷地内に善隣館という施設を作った佐伯祐正。真面目で堅苦しい人かと思いきや、文献を見るととっても楽しくてお茶目だった人柄がうかがえます。当時の事業を紹介した文章にこんな一文があります。善隣館の授産部(今でいう就労支援事業)を紹介する内容の中に「ノシスルメ製造、ブラシ製造、王冠、ミシン、縫製等」とあります。ノシスルメ製造?? このエピソードはどうやら本当のようで、過去に、佐伯家と関係者の人たちが集まった座談会の場で祐正の娘さんがこんなことを語っています。「アメリカ産の車で市場までイカを大量に買い出しに行って、それを善隣館でノシスルメにして売っていました」と。当時、かなり高級だった外国車でイカを買い出しって。。。そのあと、車に乗ったらイカの匂いが充満してたんじゃないかと想像すると爆笑しました。 また、ある時は刀根山カントリーハウスに客人を招き松茸狩りを楽しんだそうです。そう都合よく庭に松茸が生えているはずもなく、種を明かせばわざわざ市場で松茸を買ってきて、それを庭先にあらかじめ植えて松の葉を被せて、客人に松茸狩りを楽しんでもらったそうです。※刀根山カントリーハウス:煤煙の中津の街を離れ、澄んだ空気、緑多い場所で労働者にリフレッシュしてもらおうと、祐正が作った保養施設。豊中市にあった。 社会福祉の黎明期にいろんなアイディアを出しながら、自身も楽しんで社会福祉に奔走した様子がうかがえます。 横道にそれますが、下記の写真では丸い小さな部品を山高く積んだ中に、作業をする女性と祐正が写っています。これは何の作業をしているのかなと不思議に思っていたのですが、先の授産事業の中に「王冠」とあるので、王冠を作る作業だったのではと思います。王冠は昔の瓶の蓋のことです。今の中津学園に続く社会福祉事業を創設した佐伯祐正は、人を喜ばせることが大好きな人だったようです。 


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