「国家安全」を名目に、その筋が国内各所で様々な手段を講じて人々の言動を監視している社会では、ときに(いや、「しばしば」と言うべきかもしれませんが)「ミステリー・ドラマ」のような出来事が起きます。オーセルさんが『殺劫 チベットの文化大革命』を台湾で刊行し、その後もチベット・ラサで継続取材を行っていたときのことです。彼女はこんな不思議な事件に遭遇しました。日本では想像もできないことでしょうが、これもかの国の知られざる現実です。以下、彼女の回想です。
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……およそ2ヵ月間、私は炎天下を東奔西走し、撮影したフィルムは19本に上った。しばらくラサを離れるつもりはなかったので、旅行に来ていた漢人の友人がラサを発つ前に別れを告げにわが家を訪れた際、それらのフィルムをできるだけ早く現像するため、彼女に持っていってくれるよう頼んだ。当時、その場には私たちのほかには誰もおらず、2人の間では電話でフィルムの話をしたこともなかった。ところが、翌日、彼女は空港の安全検査を通過しようとしたところ、フィルムを入れたリュックサックに「果物ナイフ」があるとの指摘を受けた。その「果物ナイフ」は彼女が見たこともないものだったが、警察は有無を言わせずにリュックを持ち去り、荷物は彼女の見えないところで「詳細なチェック」を受けてから、搭乗機の離陸直前に返却された。驚いた彼女はあたふたと搭乗し、飛行機が着陸してからリュックの中身をあらためた。私の19本の富士リバーサル・フィルム120は、コダックの135ネガフィルム10本と富士のネガフィルム5本に変身してしまっていた。
現在、このすり替えられた15本のネガフィルムは、記念品の一つとして北京の自宅で保管している。試しにそのうちの1本を現像してみたが、何も写っていなかった。私がラサで苦労して撮った作品はこのようにして国家機関がつくり出したブラックホールの中に消えてしまった。いったい、当局は私の友人がフィルムを持ち運ぶことを、どのような方法で察知したのだろうか? 私には思いつかない。わが家に盗聴器や監視カメラがひそかに仕掛けられていたのだろうか? それとも、数キロメートルも離れたラサ公安局の信息大廈〔情報ビルディング〕の屋上に備えつけられた高倍率望遠鏡がわが家の窓を覗いていたのだろうか? 彼らがどんなハイテク技術の手法を用いたにせよ、私をそれ以上に驚かせたのは、国家の法律を代表する部門が意外にもあのような手段で私のフィルムを取り上げてしまったことだった。