シェア型書店のポテンシャルと、運営団体に労働者協同組合を選んだ理由について、本日9月12日付の毎日新聞朝刊「オピニオン」面に代表理事の古波藏が寄稿しました。ぜひご意見お寄せ下さい! ▼ウェブ版記事はこちら(有料)https://mainichi.jp/articles/20240912/ddm/004/070/016000c
沖縄発 旅と暮らしのマガジン「おきなわいちば」最新号(9月5日発売)で、栄町共同書店を紹介していただきました。すでに県内の様々な店頭に並んでいます。皆さま是非お手に取ってご覧ください。▼取り扱い店はこちらhttps://www.okinawa-ichiba.jp/shop.html▼オンラインでも購入できますhttps://shop.okinawa-ichiba.jp/?pid=82772325
「あなたの痛みを教えてくれ」 僕には、どうしたってあなたの痛みはわからない。言葉を尽くして教えてもらったとしても、たとえその「痛み」について分かり得たとしても、それがどう「痛い」のかは実際のところ全く分からない。けれども、だからといってあなたの「痛み」そのものがこの世からきれいさっぱりなくなってしまうわけではない。 たぶんもう色々なところで言われてきたことだろうけど、誰かと話すことは、本を読むこととよく似ている。ひたすらに、分かりそうで分からない文字の連なりを追い続け、いつのまにかちょっとずつ「書かれていること」の輪郭が見えてくる。目の前のページに書かれたこのことばが、あなたの口から放たれたそのことばが、僕の中のことばと同じ意味であるようにと願いながら(時には慎重に確認し合いながら)、恐る恐る音をなぞっていく。本当は誰だって、同じことばを使えている人なんてほとんどいない。 「あなたの痛みを教えてくれ」という態度は、少し暴力的だと思う。あなたのことばはわたしのことばで、あなたが使うそのことばを私は理解できる、という姿勢がうっすら見えてしまうからだ。「多様性が大事だ」と誰もが知った顔でうたっているにも関わらず、お互いに使うことばはまるで単一のものであるかのように会話が進んでいく。この私が理解できないのは、「あなたが口下手で、言葉足らずだから」。いやいや、そのあなたが理解できないのは、「あなたが聴き下手で、言葉知らずだから」。どうしたら誰かの痛みを分かるようになれるんだろう、といつも思う。たとえお互いに同じことばを使っていたとしても、同じことばには思えないような時が往々にしてある。 誰かのことばを理解できるようになるには、自分の語彙を開いていくことが重要な気がする。自分のことばが相手のことばと違うことを、そしてその違いに自分が決定的に無自覚であることを自覚しながら、自分の語彙を開き、改訂し、異なる生への想像力を養うほかない。区分けされ、管理される都市に住んでいては難しいことのように思えるが、こういうときこそ、むやみやたらと本を読み、おもむくままに筆を走らせればよいと思う。そうやって途方もないひろがりを見据えながらお互いにお互いの想像力を開いていければ、誰かのことを全て知らずとも、隣で一緒に生きていくことはできる。 みなさん、なんでもいいから、いま近くにある本を一冊だけ手にとって、明日から毎日持ち歩きましょう。読まなくたって、「これ実は読んでないんだよね」とか言いながら友人と笑い合って、その中身を想像してみて、ボロボロになるまで持ち歩いてみましょう。そして移動中に本屋さんを見かけたら、何も買わなくてもいいので、ぜひ入ってみてください。所狭しと並べられた、知らない人の知らない人生を少しだけ垣間見ることができます。大久保勝仁https://x.com/KatsuhitoOKUBOhttps://www.instagram.com/katsu_okubo?igsh=MW0wMXpsbzY0YjdybQ==電気湯https://www.instagram.com/denki_yu/https://x.com/denkiyu1010
今は選択肢の多い時代で、自分好みのものたちを身の回りに集めることができます。SNSも、動画配信サービスも、音楽アプリも、私に「おすすめ」を流してきてくれます。目に届く範囲が好みで埋め尽くされた生活は快適である一方で、それ以外の情報に触れる機会が少なくなりました。社会の一員である感覚が薄らいでいないでしょうか。 沖縄への基地集中などあらゆる問題が解決に向かっていかない要因の一つに、社会への無関心、つながりの喪失があると常々考えてきました。だから、栄町共同書店プロジェクトの紹介文にある「自治の感覚を培う」という文言に惹かれました。この取り組みが見本となって沖縄社会に浸透してほしいと思います。 「社会を構成する一員であること」を自覚する一つの方法として、好みにかかわらず多様なニュースが目に入る新聞を読むこともおすすめです。一方で自分自身の身体を使って自治を実践できる場は重要だと思います。小さな書店が、私を、あなたを、広い世界につなげてくれると期待しています。
徹底的な対話を基本とする労働者協同組合が、市場という昔ながらの共同体の中でシェア型書店を運営するという。初めてその話を伺ったときはとてもワクワクした一方、実はモヤモヤした気持ちもぬぐえなかった。「対話?」 SNSでも現実でも、目にするのは対立と分断ばかり。「市場?」 どこもかしこも大型商業施設に押されて寂れていってるじゃないか。「書店?」 本よりもインターネット上の言説が信じられてしまう今の時代に?本と同じく紙媒体を中心とし、先行き厳しい新聞業界に身を置く私としては、ついつい悲観してしまう。いや、しかし、だからこそ、だからこそ、期待したいのだ。対話を重んじ、共同性を見直し、多角的に知と向き合う場所を。対等な人間関係に基づく丁寧な議論によって切り開かれていく未来を。正直、書いていてこそばゆくなるような理想だ。そしておそらくは多くの人が効率や生産性の名の下に、諦めてしまった生き方なのではないだろうか。日本において、沖縄ほど「対話」の必要性が叫ばれている土地はないだろう。その一方で、「対話なんて無意味だ」という空気をこれほど強く感じる土地もない。そんな沖縄にできるシェア型書店にはどんな人たちが集い、どんな本が並ぶのだろうか。労働者協同組合の運営メンバーはこの店をどう育てていくのだろうか。この場所は沖縄にどんな化学変化をもたらしてくれるのだろうか。 大きすぎるかもしれない期待を寄せて、応援していきたい。