Legacy3.11展実行委員会ヤナギサワです。
前編で平井がお伝えしたとおり、帰国日は出足から蓄積した少しずつの遅れが重なり、さらに出国審査で事故のような意地悪にあい、実を採るところから5時間以上かけて作った自家製梅肉エキスと、すごくお得な価格で買えて喜んでいたハチミツを没収(そもそも受託荷物にする予定のリュックだったので、瓶詰めを入れてしまっていました泣)。
ブチ切れそうになりながらも「時間がない!」と20キロ近い荷物を持ってミラノ ・マルペンサ空港の巨大なビル内を汗びっしょりで走り続け、ようやくゲートに辿りついた私たちを待っていたのは、どんなに懇願しても「ドアイズ、クローズド」「トゥーレイト、ソーリー」の一点張り。
「ウソだろ、ウソだろ…夢であってくれ」と現実逃避したい思いを抱えながら、指示された通り、今来た道を到着口まで戻り、飛行機から下ろされた膨大な荷物のピックアップ。38日前に意気揚々と到着した同じ場所が全く別の風景に見えました。
すでに時間は14時過ぎ。焦りながらも調べたところ、エアチャイナの空港カウンターでは払い戻しやチケット購入はムリで、市内の事務所に電話しろとのこと。そこで別れたばかりのイタリアの友人に事情を説明し電話してもらうも繋がらず。メールをしたけどまあムリですよね…(ちなみに返事は今現在いまだに来ず)
とはいえ、市内に戻って泊まるにも遠いしお金もかかる。そもそもこの大荷物を持って移動は無理。かといって他の便を探さないと今日中に帰れない。
刻一刻と過ぎる時間の中、出発ロビーで私たちは必死に議論したすえに「もう今すぐの払い戻しや変更は現実的ではない。こうなったら仕方ないから他の便を探そう」と、予約サイトを検索しはじめました。
とにかく優先順位は今日の便。当然トランジット(乗り継ぎ)の時間が短く安いもの、と探すと、確かに安いのもあるのですが、乗り換え3回、所要時間45時間!?死んじゃうだろ!というものばかり。
必死に検索するのと並行し、ゆうたマン(平井)がエミレーツ空港のカウンターで直接交渉。しかし提示されたのは4429ユーロ(約73万)。絶対無理。
もう無理か…と諦めかけていた頃「ポーランド航空(LOT)ワルシャワ乗り換え成田行き19:30発」という便を発見しました。値段もそこそこ。
しかもこのフライトは、なんとワルシャワでの乗り換えが1時間しかなく、当初の羽田12:30から6時間遅れの18:30に成田に到着するというではないですか!!しかも残席は5。いつ横からサクッととられてもおかしくない。
羽田から成田の変更は余裕で許容範囲だし、こんなトラブルの中でトランジット1時間。ここでまたやらかしたら確実にオワリ。トム・ハンクスが空港で取り残される映画「ターミナル」そのものじゃないか…
精神的な猶予は、もはや私たちにはありませんでした。
協議の末、「これはもう買うしかない!」と3人で一緒にカード決済のボタンを押しました。が、しかし!!ここでなぜかゆうたマンのカードが受付拒否。
ここまですべてにおいて問題なかったカードなのに、何度やってもダメ。
出発時間は迫り、また残席数もわずかな中、何故だ!?とさらに焦るもどうしようもなく、仕方なく中村のカードを通したら、サクッと完了したのです。
あの時の安堵感、一生忘れません。
ともあれ、ようやく発券カウンターに大荷物で行き、チェックインを開始したところ、またもや問題が発生。
カウンターの綺麗なお姉さんが「このチケットは受託荷物のサービスがありません。お一人さま、一つにつき90ユーロ、2つ目は105ユーロお支払いください」と。
さらに、朝急遽作った段ボールは「大き過ぎるのでここでは受付できません。あちらの別カウンターまでお持ちください」と無表情で言うではないですか。
「そんなの聞いてないよ…」と食い下がるも、「これはルールですから。私に言っても困ります。私はLOTの社員ではなく、マルペンサ空港の職員なんで」と剣もほろろ(泣)。
しかもミラノで最後にチケットを切ってくれたのは、その綺麗で、しかし無表情のお姉さんというオマケ付き。
そして最後の最後、唯一の懸念であったワルシャワでの1時間のトランジットは、ミラノとは大違いで空港は小さく、しかもガラガラ。
荷物も成田まで直行だし、出国審査は一瞬で終了。「今までの苦労はなんだったんだ」というほど、スムーズに乗り継ぐことができました。
機内はほぼ満員。日本人のお客さんも多数おり、3人はバラバラの席に座りました。
私は出発後1時間くらいで出た機内食を食べたのち、すぐに爆睡。ハッと気づいたらすでに成田まで2時間半のところでした。さらに到着直前にも二度寝し、最後は成田ランディングの衝撃で目を覚ますという有様。疲れていたんだなあ。
ともあれ、38日間のミラノへの旅は、最後の最後に怒涛&波乱の1日で終わりを告げ、10月16日の18時45分、ついに私たちは成田空港第一ターミナルに着陸したのでした。
私たちは、ここまで最高だったこの旅が、最後の最後でなぜこんなトラブルに遭遇したのか、これをどう解釈したらいいのか、正直なところ悩んでいました。
しかし今回、このプロジェクトにメンバーとして参画してくれ、別の便で帰ったライターのトーコさんの「イタリアで今回の旅の厄落としをしたんだよ」という言葉に、私たちは、感動に近い納得感と励ましをもらったのです。
この日ばかりは本当に長かったですが、終わってみれば38日間はあまりにもあっという間でした。
イタリアでのLegacy3.11展は事故もなく、作品の到着が遅れるという事態はあったものの、それ以外には大きなトラブルもなく、人も親切、ごはんも美味しく、最高でしかありませんでした。
しかもあんな状況で、トランジット1時間のフライトが見つかること自体が奇跡では…と今にして思いはじめました。
帰国した翌日、ミラノで出会った親切な日本人の方が、Facebookに書いてくれた「終わりよければ全て善し.辻褄を合わせてくれるのもイタリア」というコメントの「真逆バージョン」をイタリアは体験させてくれたんだな、と今は愛しさすら感じています。
さて、展覧会も終了、怒涛の帰国も完了し、クラウドファンディングの最終日10/31まで12日となった昨日、支援額はついに300万円を突破しました。
ここまで一緒に並走くださった支援者の皆さまに、心より御礼申し上げます。
帰国後3日を経過し、さまざまにかかった経費も詳細に見えてきた現在、やはり目標である800万円に、少しでも近づきたいです。
一人でも多くの方に「東日本大震災を後世と世界に伝え、未来へと繋げる」という目的だけで動いた無謀なチャレンジを知っていただき、応援していただければと思っています。
引き続きのご支援、何卒よろしくお願いいたします。