Xにて連載中の「怪童中西太フィロソフィー」第1話から第10話です。
第1話
怪童と呼ばれ、日本球界屈指の強打者でありながら、球界のレジェンドたちを数多く育てた名白楽。「太っさん」と誰からも敬愛される中西太先輩。僕はその生き方にフィロソフィー(哲学)を感じる。しばし、自分なりに彼の歩みを追ってみたい。(高松一高野球部OB)
第2話
「俺は体が小さかったから工夫を重ねたんだ。」数年前に太っさんから聞いたこの言葉に驚かされた。確かに、172cmだから大きくはない。小柄な身体を補うために、体幹を大切にし、下半身と上半身を連動させた打法を生み出した。
第3話
小さな大打者と言われた若松勉は、中西打法の典型だ。プロ入りを拒んでいた若松を、当時ヤクルトアトムズのヘッドコーチをしていた太っさんは、入団へと翻意させ、熱心な指導により球界を代表する強打者に育て上げた。
第4話
太っさんは、都合3度ヤクルトのコーチ等に就任する。1度目は義父である三原脩監督時代、2度目は武上四郎監督時代にヘッドコーチ兼打撃コーチ、そして3度目は若松監督のもとアドバイザーとなり数多くの名選手を育てた。
第5話
太っさんとヤクルトの関りは深く、現在の杉村繁打撃コーチもその一人。高知高校では「中西二世」と呼ばれ、ヤクルト入団後に太っさんの教えを受けた。彼は中西理論をベースにした指導を行い、今では名白楽と言われている。
第6話
杉村繁が指導した選手には、青木宣親、山田哲人、村上宗隆などが挙げられる。太っさんの教えた選手が指導者になり、次の世代の選手育成に大きく寄与する。こうして、日本の野球界発展の好循環が生まれていると思う。
第7話
八重樫幸雄、宮本慎也、岩村明憲、真中満・・・皆、太っさんの門下生だ。ずっと思っていた、ヤクルトからは、なぜこうも素晴らしいバッターが生まれるのかと。太っさんの打撃理論が卓越したものであり、選手とともに歩む指導の姿勢が受け継がれているからだ、と思う。
第8話
大リーグでも活躍した岩村明憲が入団したての頃、太っさんは「お前のバッティングを俺に教えてくれ」と言ったそうだ。太っさんを師と仰ぐ岩村は、「何苦楚」(なにくそ)という太っさんの言葉に「何苦楚魂」とちゃっかり魂を付け加え自分の座右の銘としている。
第9話
僕の家には「何苦楚」(なにくそ)と書かれた太っさんのサインボールがある。義理の父で西鉄、大洋、近鉄、ヤクルト監督を務め、4度の日本一などで名将をと謳われた三原脩(高松高校)が座右の銘とした「何苦楚日々新也」(なにくそひびあらたなり)を源とする。
第10話
高松市はフロリダのセントピータースバーグ市と姉妹都市連携協定を結んでいる。この地をフランチャイズとするタンパベイ・レイズのホーム球場に、ワールドシリーズ出場を決めた瞬間の岩村明憲の銅像が建てられている。師匠の銅像を早く建てなくっちゃ。