Xにて連載中の「怪童中西太フィロソフィー」第11話から第20話です。
第11話
太っさんは、近年よく宮本慎也に連れ出されていたそうだ。時代遅れの僕だが、ふとユーチューブを見ると、太っさんと宮本慎也の姿が。プロ野球OBクラブのチャンネルや「解体慎書」というチャンネルで、すごいレベルのバッティング談義や解説をしていた。
第12話
7年ほど前の高松一高野球部OB会。「短所を見つけることは簡単だ。長所を見つけることは難しい。」と太っさん。確かに、日常生活でも、僕は他人の欠点ばかりが目に付く。どうやったら太っさんのように長所を見抜く人になれるのか、永遠の課題だ。
第13話
長所なのか、短所なのか。長所であり短所なのか。たぶんどちらにもとれるものだろう。太っさんは、固定観念や先入観というものに左右されず、すうっと物事や人物を見つめる慧眼の持ち主だ。そうした眼が、選手の短所をも長所に昇華させ数多くの名選手を育てた。
第14話
本日、10月11日の四国新聞。「プロ野球観客数V字回復 史上最多・・・」の活字が躍っていた。しかし、かつては球団経営が危ぶまれる球団があった。三原脩と太っさんは、讃岐男の度量を示すかのように、その危機に立ち向かった。
第15話
ヤクルトアトムズが、成績の低迷していた時期、三原脩監督の下、太っさんはヘッドコーチに就任。前述したようにこの頃に指導した選手が成長したこともあり、その後スワローズは6度の日本一に輝くなど、実力、人気ともに素晴らしい球団になった。
第16話
三原脩と太っさんのコンビと言えば、何と言っても日本ハムファイターズ。初代オーナーの大社義規は、高松中学の先輩である三原脩の勧めにより、日拓ホームズを買収し、日本ハムファイターズ創設した。もちろん監督には太っさんを招聘した。
第17話
大社義規はこよなく日本ハムファイターズ
を愛した。リーグ初優勝の時、背番号100のユニフォームを着て、大喜びをしていたのをテレビで観た。日本ハムファイターズはやがて日本一に。現在の本拠地エスコンフィールドは、観光名所にもなるほど魅力的だ。
第18話
三原脩・中西太親子が大きな足跡を残したヤクルトと日本ハム。そこは、前侍ジャパン監督の栗山英樹が選手、また指導者として人生を賭けた球団だ。昨年のお別れ会での弔辞で、彼は太っさんのことを「おやっさん」と呼び掛けていた。それほど深い絆があるんだ。
第19話
栗山英樹は、ドラフト外でのヤクルト入団。
東京学芸大卒業で、教員免許も持っている。入団当時から、僕はなぜこの人は、プロ野球の道を進むのか、不思議でならなかった。大学教授も務める異色の野球人だ。
第20話
「おやっさんは、誰にも分け隔てなく指導をしてくれた。」やがて彼が野球を止めようとした時、太っさんは「誰が野球を止めていいと言った」と叱ってくれた。それから彼は指導者の道を歩むことになったそうだ。