Xにて連載中の「怪童中西太フィロソフィー」第21話から第30話です。
第21話
野球に「もし・・」はないが、もし日本ハムや太っさんが存在しなかったら、ダルビッシュ有、大谷翔平は誕生しただろうか。僕が学生の頃観た大リーグのオリオールズ対全日本の試合。日本は全く歯が立たなかった。
第22話
オリックスバッファローズ、中嶋聡監督の電撃退任が報じられた。最下位に沈んでいたチームを就任1年目からリーグ3連覇に導き、采配は「中嶋マジック」とも言われていた。大リーガーの山本由伸、吉田正尚、などの名選手が育つ揺り籠のようなチームを作った。
第23話
かつての「仰木マジック」を中嶋聡は、つぶさに見てきた。その仰木彬は、鈴木一朗を「イチロー」で選手登録をした。「がんばろうKOBE」を掲げ勝ちとった優勝は、震災からの復旧、復興にどれほど貢献したことか。この時のヘッドコーチが太っさんだ。
第24話
仰木彬は太っさんの2歳年下、西鉄時代は大打者中西太の足元にも及ばなかった。太っさんは、やがて選手兼任監督として、仰木彬
を指導する立場となる。彼にとって、太っさんは大先輩であり、上司であった。
第25話
仰木彬が近鉄バファローズの監督に就任するとヘッドコーチに太っさんを迎えた。かつての上司を部下として招く仰木彬の心の深さ、そしてかつての後輩に仕える太っさんの心の広さ、大人物とはこうしたものかと思う。
第26話
仰木彬は、近鉄の後、前述したオリックスの監督として一時代を築く。もちろん太っさんを離さない。「仰木マジック」は太っさんとともにあり、「中嶋マジック」につながっていく。そしてこの仰木彬の前に偉大なマジシャンがいた。三原脩その人だ。
第27話
先日、ユニクロ、柳井社長のインタビューを観る。その中で手書きのノートが紹介されていた。紙上で考えをまとめているような書き振りだった。社員にも「書くこと」を推奨しているとのことだ。書くことは難しいが、最も思考力や創造力を養う言語活動だと思う。
第28話
三原脩は、何かを閃くと、パッとノートにメモしたと伝え聞いている。彼は学生時代に早慶戦でホームスチールを敢行するなど、セオリーにとらわれない大胆な戦術を用いた。彼が残した「三原ノート」は野球とは何か、人間とは何かを問うものだろう、思う。
第29話
「三原ノート」は、太っさんから栗山英樹に引き継がれる。栗山英樹は太っさんの門下生であり、よく相談を受けていたそうだ。選手への信頼、個性を生かし適材適所の選手起用は、まさに「栗山マジック」だ。WBCでの采配は日本中を感動させた。
第30話
菊池寛賞といえば、文学賞と思われがちだが、対象分野を広げていた。野球界からは1961年に三原脩が受賞。授賞理由は采配の妙を得て、最下位球団を日本一に導いたことだ。三原脩が西鉄ライオンズから大洋ホエールズの監督となった1年目の快挙だ。