Xにて連載中の「怪童中西太フィロソフィー」第31話から第40話です。
第31話
もう一人、野球界で菊池寛賞を受賞したのが、栗山英樹。侍ジャパン監督として、2023年ワールドベースボールクラッシックで選手たちの力を結集し見事世界一に導き、人々に感動を与え、野球の魅力を再認識させたことが受賞の理由だ。
第32話
太っさんのお別れ会のために高松を訪れた栗山英樹は高松市中央公園に菊池寛の銅像があるのを見て驚いた。太っさんとの繋がりを通し、「三原ノート」を指南書としていた栗山英樹。この年数々の賞を受賞したが、この菊池寛賞を最も喜んでいたのではないだろうか。
第33話
1961年、三原大洋が日本一になった時のシリーズMVPは、高松一高から早稲田大学を経て大洋に新入団した近藤昭仁だ。横浜、ロッテの監督。ヤクルト、西武、巨人のコーチなど、引退後も球界で活躍した母校高松一高のヒーローだ。
第34話
近藤昭仁は築地小学校、太っさんは松島小学校。とは言え、家はすぐ近所だった。4歳年下の近藤を太っさんは、弟のようにかわいがった。この二人は、1989年の日本シリーズで対峙することになる。
第35話
近鉄は仰木彬監督、太っさんはもちろんヘッドコーチ。対する巨人は藤田元司監督、そて近藤昭仁ヘッドコーチ。このシリーズは高松一高出身の二人の参謀対決とも言えた。結果は近鉄が3連勝したが、その後巨人が4連勝しシリーズを制した。
第36話
近鉄3連勝後のある選手の発言が、巨人の闘争心に火をつけたと言われている。この年の年末、香川県庁前のホテルで巨人軍ヘッドコーチ近藤昭仁の日本一を祝うパーティーに出席した。兄弟のような二人の対決、勝負とはなんと厳しく非情なものかと思う。
第37話
三原脩の監督歴。先ず巨人、そして西鉄、大洋、近鉄、ヤクルトと続く。その後、日本ハムの創設にも関わり、球団社長となる。この間、二人の「二刀流」の選手起用が有名だ。近鉄監督時代の永淵洋三と、ヤクルト監督時代の外山義明だ。
第38話
永淵洋三は、水島新司の野球漫画「あぶさん」の主人公、景浦安武のモデルだ。打者として、投手としてフル回転していた。そして
外山義明。1971年、三原監督は彼を「1番・投手」で先発出場させた。神宮球場がどよめいたに違いない。
第39話
それから45年後の2016年、日本ハム大谷翔平が「1番・投手」として先頭打者ホームランを放ち、劇画の世界が現実になったような衝撃が日本中を走った。日本ハム監督はもちろん栗山英樹。三原脩の選手起用を更にスケールアップして再現したのだ。
第40話
太っさんも、大谷の二刀流を推奨していた。「ピッチャーの投げる動作が、バッティングにも生かせるんだ。」高松での懇親会でそう話していた。大リーグでの大谷翔平の活躍、バッター大谷は、ピッチャーを経験しているからこそ、世界の大打者になったと思う。