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【野球王国香川の誇り】高松市中央公園に「怪童・中西太」銅像の建立にご協力を!

キャンプファイヤー 寄付型のバッヂ

令和5年5月11日に享年90歳で他界された高松市出身で日本球界のレジェンド、怪童・中西太氏の野球界での功績を顕彰するため、同氏の銅像を、かつて高松市中央球場があった高松市中央公園内に立つ「野球王国・香川」の名を全国に広めた水原茂氏、三原脩氏の銅像に並べて建立することを目的として、寄附金を募集します。

現在の支援総額

2,849,888

18%

目標金額は15,000,000円

支援者数

117

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/10/01に募集を開始し、 117人の支援により 2,849,888円の資金を集め、 2024/11/30に募集を終了しました

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【野球王国香川の誇り】高松市中央公園に「怪童・中西太」銅像の建立にご協力を!

現在の支援総額

2,849,888

18%達成

終了

目標金額15,000,000

支援者数117

このプロジェクトは、2024/10/01に募集を開始し、 117人の支援により 2,849,888円の資金を集め、 2024/11/30に募集を終了しました

令和5年5月11日に享年90歳で他界された高松市出身で日本球界のレジェンド、怪童・中西太氏の野球界での功績を顕彰するため、同氏の銅像を、かつて高松市中央球場があった高松市中央公園内に立つ「野球王国・香川」の名を全国に広めた水原茂氏、三原脩氏の銅像に並べて建立することを目的として、寄附金を募集します。

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Xにて連載中の「怪童中西太フィロソフィー」第41話から第50話です。

https://x.com/nakanishi_6

第41話

 ここでもう少し三原脩に触れる。川崎市在住の高松一高野球部OB会名誉会長、上春三郎先輩からお聞きした話だ。三郎のお父さんは上春次郎。彼は、戦前から高松中学野球部の後援会の活動をしていた。その時、三原が丸亀中学校から転向をしてきた。

第42話

 三原は現在の満濃町の大きな農家に生まれた。三原の父は修(後に脩と改名)に勉強をさせたかったが、丸亀中学では野球に熱中していた。父は野球を止めさせるために、高松中学校へ転校させたが、修は野球を忘れることができず悶々としていた。


第43話

 高松中学校は、当時は高松商業と野球で競い合い三原の入部を待望していた。こうした中、野球部後援会の世話をしていた上春次郎が満濃の家を訪ね、三原の父親を説得したそうだ。だから、三原と上春次郎は終生仲が良かったと、息子の上春三郎から聞いた。


第44話

 三原が高松中に入る前は、高松商業の全盛期だった。三原とは宿命のライバルの水原茂が高松商業に入学した頃は、春の第1回選抜での優勝を皮切りに、第2回選抜準優勝、その年の夏の第11回選手権大会では全国優勝を果たしている。


第45話

 三原率いる高松中学は夏の第14回選手権で準決勝まで進むが、雨天コールド負けを喫した。この時のマネージャは、三原より2歳年上の成田知己。後の日本社会党委員長だ。「泣くな三原、甲子園の花」と報道された。水原と三原の戦いは早慶戦で熱を帯びる。


第46話

 このように上春次郎は、三原に野球を続けさせることに成功した。三原がこの時、野球を止めていたら、日本球界の歴史は変わっていただろう。この上春次郎の野球への情熱は尋常ではない。家業は大規模な傘の製造所だった。番傘、蛇の目傘、日傘を作っていた。


第47話

 上春次郎は息子の三郎が早稲田の野球部で活躍していた時、早慶戦での応援に小さな日傘を特別に作っていた。昭和25年頃から始まり、次郎は「これで応援団は随分儲けている。」と言っていた。昭和48年頃のフクちゃんの描かれた日傘が、今も僕の家にある。


第47話

 父親が上春次郎、その息子で三男が三郎。兄弟なら分かるが親子で次郎と三郎。ややこしい。でも、この二人が三原と太っさんを結び付けていった。太っさんが昭和21年高松一中に入学した時の3年生が上春三郎だ。上春次郎は、物資難の時代、野球部を支えた。


第48話

 その頃、三郎の友だちは、野球部にボールがないことを知っていたので、戦前の古いボールを持ってきてくれた。三郎は父次郎から小遣いを貰いそれを買っていた。次郎は喜んで三郎に小遣いを渡していた。次郎は私財を投じて野球部の強化を図っていた。


第49話

 昭和26年夏、怪童と呼ばれ全国にその名を轟かせた太っさん。その進路を巡ってプロの攻勢があった。喧噪を逃れるため、早稲田大学在学中の三郎は、東京で太っさんを預かることになった。早大野球部の友人に頼み、家を借り、三郎と太っさんは1週間過ごした。


第50話

 当時の早大野球部は、広岡達郎、小森光生、荒川博などスター選手が揃い、一流のプロ野球選手を多数輩出していた。三郎と太っさんは夜、素振りをした。六大学の選手のスイングは、太さんと比べると、まるで子供だったと三郎は回顧している。

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