「こころを磨く お米にまつわるお話し」 (四話)
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お米について「感謝に感謝を重ねる」(弐)
わが国では、この新嘗祭(にいなめさい)までに様々な五穀豊穣の「予(よ)祝(しゅく)」を行います。今年も稲がたわわに実り、「有り難い、有り難い」とイネの実る前にお祝いをするのです。
それは、お正月の田植え遊びから始まります。社殿(しゃでん)を田んぼに見立て、稲作の過程を模擬的に行って、その年の稲の豊作を予祝する神事です。地方によっては、御田(おんだ)祭りなどともいいます。 二月は祈念(きねん)祭(さい)。「としごいのまつり」ともいい、毎年二月十七日に全国の神社では五穀豊穣と国家の繁栄を祈願します。今年も豊作になりますように、と予祝します。 そして、春のお花見。満開に咲く桜を秋のお米の実りに見立て、仲間とお酒を飲みながら予祝します。 その後、御田植(おたうえ)祭(まつり)があります。田植えの時期に田植え歌につれて早乙女(さおとめ)が実際に早苗(さなえ)を植えて豊作を祈ります。また地域によって、夏に雨乞いのお祭りも行われます。 感謝の予祝を繰り返し、その年の最初に収穫した稲穂(いなほ)である「初穂(はつほ)」を天照大御神にお供えする祭りが、毎年十月十七日に伊勢神宮で行われる神嘗祭(かんなめさい)です。 このように、日本には五穀豊穣を願う多くの予祝があります。その本質は、神様に対して感謝に感謝を重ねることです。何度も何度も、大自然の恵みのお陰で「自分たちが生かされている」という感謝をお伝えします。 ときには、日照り、長雨、冷夏などで収穫が思わしくないこともありますが、古来の人たちは自分の感謝が足りなかった、と自らの行いを振り返りました。
「こころを磨く やまとしぐさ」 辻本公著 (エイチエス株式会社出版)より
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たくさんの「予祝」を重ねることで、私たちは大自然の恵みをいただくこと出来るのだと思います。
正すのところでも、正月、春と秋には神棚にお供え物をして、村のお祭りでお初穂を上げて「予祝」をしています。現代は、このような儀式も略式化されてしまい、神様と会話をする時間すら無くなっているのではないでしょうか。
神様に「予祝」することを忘れかけている日本人の方が増えていることも氣になりますね。
日本人は、良いモノも悪いモノもいっしょにひっくるめてものごとに当たることが得意な人種と言われていました。今では、アメリカ方式なのか、良いか悪いかの択一でしか判断しない人が増えています。
最近、800年続いた西洋思想(二元論)では、世界の問題解決が出来なくなった。として、欧米人の先端を考えて居る人たちが、京都の伏見稲荷神社に勉強に来ていることを耳にした。東洋思想(一元論)、特に日本の思想が世界を救えるのではないかと勉強に来ているいうのです。
わたし達の日本人の大多数が忘れかけている日本人の思想(記憶の中には残ってかもしれないが)で世界が救えるのならそんな素敵なことはないだろうと思う。しかし、何パーセントの人が実践しているのだろうか。
昔は稲作の作業に人手間が必要だったので、日本の農村には人が大勢いた。
農業の近代化に伴い、農村から都会に優秀な人材が流出した。このあたりから日本がおかしくなったのではないかと正すは想う。
大切な神事を忘れていく始まりだ。日本に一元論の思想が忘れさせるキッカケ。
かつての日本人は、「意識」についてかなり深い所まで認識する能力を持ち備えていた。日本人にしかできない得意技だよ。
東洋の心理学「唯識」では、八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の見解がある。ここで、八種類の識とは、五種の感覚、意識、2層の無意識を指す。
・五種の感覚(五感)、意識 (表面的な部分)
・末那識(まなしき:無意識)
・阿頼耶識(あらやしき:無意識)
この無意識の領域の「末那識」とその奥にある「阿頼耶識」までも感じ取れていたと。
こんな能力を捨てていくのは、とてももったいないと思うのでありますよ。
日本人のみなさま方と一緒に考えていきたいなーーーーー
正すは、この「末那識」と「阿頼耶識」から発現される稲作をしたいがために、そこに近づけるための「こころを磨き」の訓練をしているのであります。
どんなお米が発現してくるかね。
楽しみです。
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正すの実🄬 代表 佐藤正
新潟県胎内市城塚326
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