授業をする際に、机間巡視にて見つけた生徒の考えを全体に共有する機会はだれもが作ったことがあるだろう。
しかし、特にその説明しなければならない内容が複雑な場合は、生徒の発表が長くなり、共有が難しくなったり、発表する生徒が緊張のあまり説明がぐちゃぐちゃになることも珍しくはない。
この場合、発表してくれた生徒も嫌な気持ちになるだろうし、周りの生徒もその大変そうに発表する姿もあり、理解できていない箇所があっても質問は行いにくい。
私自身、自分の授業でこういった場面が生じることもあった。では、こういった場面への対応はどうすればよいのだろうか。
これは以前見学させていただいた東大附属の2限目の授業が参考になると考える。
そこでは生徒が全体の前に出てきて考えを説明していたが、それに対して他の生徒が自由に質問したり補足をしたりしていた。議論が停滞したり、発散した際には教師が適宜焦点化や整理を行い、また全体で議論が進められていた。同時に、全体の議論とは別に班で話を進めている班もあった。
もちろん大学のゼミのように少人数(5~7人)であれば、全体で1つの議論ができるだろう。しかし、35人ほどのクラスでそれは難しい。そのため全体での探究と班での探究との複線性が、様々な理解の仕方や理解スピードの生徒が、同時に学ぶ上で有効なのだろうとも感じた。
また、説明をする生徒の説明力についても育成が必要である。大人であっても質問がやたら長く、結局何を聞きたいのか、何が言いたいのかわからなくなるケースは多い(筆者もよくやる)。例えば、一文を短くはなし、結論を先に述べ、補足は小出しにするなどの説明の仕方を身に付ける練習をすることで、自身の考えを、交流しやすい形で表出することが可能になるようにも思える。
もちろん、探索的な説明(表出)も認められるべきであり、それについては、発表者がしどろもどろになりつつも、周囲の生徒が補足したり、言い換えを行ったりして、考えを精緻化するといった形をとるだろうし、それも学びを深めることに寄与する。また各々の生徒に居場所を作るだろう。
また、発表者が事前になにかしら自分の考えをもっているということも必要条件である。
つまり、(私も現在書きながら考えるという探索的な記述をしていたが)全体場面で生徒の言葉で考えを共有したり、精緻化・深化させるためには、
1.発表者に事前に自分の考えを持たせる(持てるような発問、検討形態にする)
2.発表者(つまり生徒全員)に発表スキルを身に付けてもらう(一文を短くはなし、結論を先に述べ、補足は小出しにするなど)
3.表出された説明については、質問できる風土や文化を形成する
4.仮に全体場面で理解できなくとも、班に戻って教えてもらえるなど次善の策を準備する
が重要な視点と言えるだろうか(まだしっくりこず、暫定的な考えであるが)。
正直、大人数に対して説明するのは大人でも難しい。ましてや、答えがわかっていない問題に対する自分の考えを子供が説明するのだから、難しいのは当然である。
しかし、全体に対して自分の考えを説明することは、より多くの視点からのフィードバックを得ることを可能にし、自分の考えを深めることに寄与する可能性を高める。よって、そのための機会を確保すること、その機会を有効に活用できるように説明スキルを習得することは、教育的に価値のあることだろうと思う。
もちろん、あわせて授業として全体の思考が深まるためにもそれが有効に機能する文化の醸造、適切な支援、次善の策(そこについていけない生徒に対するセーフティーネット)は必要である。
今月は様々な授業を見学させていただく機会を得たため、様々なことを考えることができた。ありがたいことである。