注目のリターン
プロジェクトの実行者について
私は青森県でタグボート株式会社の代表をしております水口清人(みずぐちきよと)と申します。
前回のクラウドファンディングでは、1,011名のご支援者様から2,000万円以上のご支援をいただき、本当にありがとうございます!
現在も、世界一のアップルブランデーを作るため日々挑戦をしています。
実は、大学卒業後ホテルやブライダルホールの運営・経営など「サービス業」に身をおいてきた私。
20年間やってみた後、「一度だけの人生で、自分の仕事で社会によい影響を与えられないか」と考えて会社を退職し、「タグボート」を立ち上げたのは40歳のときでした。
一念発起で温泉事業を始めましたが、そこから紆余曲折し、青森の地域課題を一緒に解決できる仕事はないかと考えた末、りんご産業に行きつきました。初めてのりんご酒作りに奮闘した物語については、1回目のプロジェクトでご紹介しておりますので、ぜひご覧ください。
タグボートは「いつでも縁の下の力持ち」みたいな役割を担おう!と思ってつけた社名です。
このプロジェクトで実現したいこと〜300名の仲間を作りたい〜
青森県から世界一のアップルブランデー作りに挑戦し、世界に認められるブランデーに育て、地域を元気にできないかという思いがあります。
そのために、一人でも多くの方に、青森の自然と青森のひとたちの手が、丁寧に大切にりんごを育てているということに想いを馳せていただきたいと考えています。
もちろん、出来上がったブランデーを飲んで、美味しいと思っていただければそれで十分!
ですができることならば、りんごの成長の過程を、知って、感じて、味わってほしいのです。
300名限定!果実入アップルブランデー
果実が丸ごと入ったアップルブランデーは、りんごの成長を感じていただくのにとても適していると感じています。
製造方法はといいますと…。
①春、5月上旬のりんごの実が小さなうちにりんごの木にボトルを丁寧に仕込みます。
②風や雨にも負けずにりんごが成長...
③8月の後半には立派な果実をつけます!
④秋、いよいよ収穫!りんごのつるはカットします。
余談ですが、私は昨年の収穫時期に2度も熱中症でギブアップするほど重労働でした(笑)
⑤瓶の中にわが社のアップルブランデーを注ぎ込んで完成!
数か月もすると、アップルブランデーの華やかな香りと、生りんごのフルーティな爽やかな香りがマリアージュして、最高に特別なブランデーに昇華されます。
瓶の中で守られながら、風や雨にも負けずにりんごが成長します
国内ではりんごの果実入ブランデーは今のところ量産化販売されている事業者はありません。
私たちは2022年に試作品を作り、2023年に本格製造を開始しました。
作るのにかなりの工程を要しますので、昨年は50個しか作ることができず、数日で完売してしまいました。
多くの方のリクエストを頂戴し、来年の仕込み分を限定300名の方に、このクラウドファンディングで先行販売させていただきます。
例えばお子様の出産のお祝い記念にプレゼントするとか!お子様が20歳になり成人した時に家族で乾杯するとか「時」の価値を楽しめるリターンになります。
20年という月日は幸せな事ばかりとは限りません…。
家族にとってはつらい時期もあるかもしれませんが、そんな時にリビングにある、このポム・ド・イブ(瓶の中にりんごが入ったブランデー)を見て頂き「この子が20歳になるまで、家族みんなで頑張ろう!」という、家族を守るお守りのようなお酒になればと願っています!
果実入アップルブランデーの特徴
私たちは、アップルブランデーの名称を「CRAZY DAYS」(クレイジーデイズ)と名付けました。CRAZY DAYSとは「夢中な日々」という意味です。これは私たちが、これから世界を目指して夢中になって旅をすることを意味しており、そしてこのブランデーを飲まれる方も何かに夢中な人に飲んでいただきたい…。そんな思いを込めて名付けました。
お客様の声
2023年の販売開始以来、多くの方に気に入っていただき、うれしいお声をいただいてきました。
前回のクラウドファンディングで瓶入りのブランデーを支援して、お酒好きの父の誕生日にプレゼントしました。
父が味を気に入ったのはもちろん、見た目の珍しさから普段はお酒を飲まない母も一緒に飲みたいと言い、久々に二人でお酒を酌み交わしたそうです。
あっという間になくなってしまい、私が訪問した時にはもう空っぽに。今度は親子で一緒にいただきたいと思います。
(20代・男性)
シードル3種セットとブランデーを購入し、友人宅のホームパーティーへ持参。
私はアップルブランデーの炭酸割が好きでしたが、強いお酒が得意ではない友人はシードルを「とても飲みやすい!」と言って楽しんでいました。
青森の土地の説明を含め、素敵なパンフレットを手に取りながら、まるで旅先でお酒を味わっているようでした。
(40代・女性)
孫の出産を記念して何か未来につなげる贈り物がないかと探していました。
そこで見つけたのがこのアップルブランデーです。
瓶の中のりんごが孫の生まれた年になるので、この子が20歳の成人の記念に家族みんなで乾杯をしてくれたらという思いを込めて贈りました。
このアップルブランデーで20年後、私も一緒に孫の成人のお祝いに乾杯する夢が出来ました!
(50代・男性)
青森の大地が育んだアップルブランデー
最良のアップルブランデーには、最良のりんごが欠かせません。
CRAZY DAYS は青森県平川市で育まれたりんごなど、日本最高品質の青森県産りんごのみを使用しています。ではなぜ、この青森県平川市では最高品質のりんごが育つのでしょうか?
その理由は、青森県内でも平川は標高が高く、寒暖差が大きいこと。雨が少なく日照時間が長く、また傾斜地として水はけもよいこと。そして、土の質がいいことが重要です。
特に土については大きな特長があります。りんご畑は、八甲田山の噴火によって降り積もった肥沃な堆積土からできています。その栄養豊富な土が良い畑を作り、最良のおいしいりんごを育んでくれるというわけです。
また、仕込み水は「世界遺産白神山地」の湧水を使用しています。
天然のダムと言われるほど保水力に恵まれたブナの森に覆われた白神山地。縄文時代に誕生したとされる原生の森に降った雨は、地表を覆う厚いブナの葉土に貯えられ、気の遠くなるような年月をかけて地下に浸透します。
そして、森林土壌のフィルターにより不純物を取り除かれ清らかな水となり、再び地表に出てくるのです。しかも、その生命力溢れる水は、私たちが求めていた「超軟水」でした。
世界基準では、硬度60mg/l以下を軟水とされる中、この白神山地からの水は、硬度0.2mg/lという驚きの軟らかさです。
口当たりが良く、クセのない、世界でも貴重な「超軟水」との出会いが、最高品質アップルブランデーの誕生へとつながりました!
しかし、私の独りよがりでないことを確かめるために、首都圏や青森県で活躍するソムリエやバーテンダーにも試飲していただきましたが特に芳醇なりんごのアロマを高く評価を頂きました。
プロジェクトのその先の目標
今回のプロジェクトのその先に、私には達成したい目標があります。
①青森県のりんご産業の衰退を防ぎ、魅力的な加工品(アップルブランデー)で地域活性化を図り、若者の雇用、Uターンを促進して希望のある街にしたい。
②青森県という田舎から世界のブランデーコンペティションに挑戦して、青森県民や日本の地方の人に希望と勇気を与えたい。
③世界から青森県のりんご酒メーカーを見学したいというインバウンドツーリズムを推進して、地域の雇用と交流人口を増やし街を元気にしたい。
青森県のりんごの歴史は明治4年と約150年前にさかのぼります。冷涼で稲作が難しい青森県の農家所得を安定させようと、栽培されたのがきっかけでした。
先人たちは幾多の病害虫との戦いを経て150年後には日本を代表するりんごの一大産地に育て上げたのです。
青森県のりんご産業の研究を進めると、非常に深刻な危機を迎えていることがわかりました。担い手不足、耕作放棄園の増加、日本国内の生食用りんごの消費数の激減などなど…
青森県はりんご園のほとんどは生食用りんごの栽培でした。生食用りんごは春から秋まで休む暇もなく手がかかり、一つ一つ丁寧に収穫しなくてはなりません。青森県のりんご農家は、このような厳しい労働環境の中、なかなか所得も向上せず若者が定着しなくなり、いよいよ高齢化も加速してきたことにより青森のりんご産業は危機に瀕しています。
他方、ヨーロッパのりんご産業のほとんどはシードルやアップルブランデー用の加工用りんごの栽培が多く、小人力で生産効率を高めていることにより農家の所得も安定していることを知りました。
これらの課題を解決するには、もっと魅力的な加工用りんご産業が必要だと気付きました!
青森県は日本一のりんご生産地です。しかも、各種品種も豊富でアジアへの輸出も活発で認知度も高い産業です。
この青森県のりんご産業をもっと豊かで多様性があり、未来の希望になる産業に発展させるために、私は青森県、そして日本を代表する「りんご酒メーカー」になる決意を決めました。
その後、2022年5月にシードル販売を開始。
まだ新型コロナの影響が強く青森県内の土産物店、道の駅、近隣飲食店などの営業で地道に販路を拡大していきました。
その後、努力が実り、多くのご縁もあって、昨年のクラウドファンディングでは1,000名以上の方からご支援いただき426%と大きく目標達成するまでになりました。
応援してくださる多くの方の気持ちを胸に、これからも3つの目標に向かって走り続けます!
2022年9月、青森県特産品コンクールでりんごの果実酒「CRAZY CIDER」(クレイジーサイダー)が最高賞の「青森県知事賞」を受賞しました!
受賞を機に青森県内の大型スーパーなどでも販売が拡大し、青森県内の認知も広がり少しずつ売上も伸びました!
2023年7月、ブランデー蒸留機メーカーのドイツ人技師ニコラスに訪日していただき、製造指導を数日して頂きました。
リターンについて
リターンは、300名限定のりんご入ブランデーのほか複数ご用意致します。
いずれにしても、私たちが作る商品を一緒に楽しんでいただき、そしてこれからの私たちの活躍を一緒に応援いただけたらと思います。よって、リターンは出来るだけブランデーやシードルなど、我々の商品はもちろん、農園・醸造所を訪れて、りんごの成長を知って、感じて、味わえる特別な体験もお届けしたいと思います。
実施スケジュール
2024年12月8日(土)~2025年2月26日(日) クラウドファンディング実施
2025年4月 リターンのお届け開始
2025年5月 来年度の仕込み(りんごが瓶の中に入った商品のリターンは2026年1月頃の目途です)
最後に
このプロジェクトは、青森県から世界一のアップルブランデー作りに挑戦するものです。
昨年実施した第一回目のクラファンでは全国から1000名を超える皆さんのご支援を受けました!
その成果が社会を大きく動かすきっかけとなり、金融機関やファンドなどたくさんの資金調達も加わり2025年の春には第二工場が完成する予定です。第二工場外観イメージ(資材庫、樽貯蔵庫、販売所兼タップルーム)
第二工場平面図イメージ(左から販売所兼タップルーム、樽貯蔵庫、資材庫)
これもクラファンでご支援頂いた皆さまの「想い」が社会を動かした大きな事実です。
しかも、この第二工場の建設で一つの夢であった、外国から沢山のインバウンド観光客を受け入れる場所も出来ることになります!
私は皆さんから託された夢や想いを受けて、今活動を加速させています。
つい先日は、アップルブランデーの本場ドイツ・フランスに学びに行きました。
ドイツ近郊の蒸留所「Feller社」の熟成樽貯蔵庫
こうして海外の蒸留所を研究し、1日も早く世界に通用するアップルブランデーメーカーになるべく、この1年活動を続けてきました。
私たちは事業規模を今後も拡張し、地域の活性化を目指し、誇りを持ってブランデーを作り上げることを目指しています。
私の夢は、皆さまの夢でもあります!
このりんご酒事業を通じて、私たちの商品がたくさんのファンに愛されるようになり、事業が成長することで青森県の加工用りんご産業がより豊かになる未来が訪れます。
そして、青森から巣立った若者が、もう一度故郷に帰って挑戦したいと思える職場を提供するためにも、我々はカッコよく、しかも東京と変わらない収入を得られる企業を目指したいと考えています。
その先にはどんどん人口が減少する日本の地方都市の課題解決の一つの灯(あかり)になれるかもしれないという思いで挑戦します。
私たちが作るシードル、そしてアップルブランデーをもって世界の各種コンペティションに挑戦し、最初はコテンパンに敗北し続けるかもしれません。
しかし、挑戦し続けた先に、必ず明るい未来が待っているということは、私自身が人生で経験してきました。
フランスのノルマンディー地方の蒸留所でカルバドスのテイスティング研究の光景だから、この挑戦することに躊躇している日本の昨今、そして挑戦することをあきらめている大人も若者も私たちの挑戦を見て、少しだけでもいいので勇気づけられ、そして自分たちもできるかも?と感じていただけるためにもチャレンジを続けたいと思います。
私はこの1年間、あらゆることに挑戦してきました。
はっきりと確信していることは、この取り組みで青森県の未来は変えられるということです。
まだまだ遠い道のりですが、夢物語ではなくなりました。
この未来を一緒につかみ取りに行きませんか?
地域の子供たち(未来)のために。
未来は私たちの行動で必ず変えることが出来ると信じています!
■酒類販売者標識の掲示に関して
1.販売場の名称及び所在地:タグボート株式会社 青森県平川市新屋町道ノ下37-52.酒類販売管理者の氏名:水口清人3.酒類販売管理研修受講年月日:2021年8月30日4.次回研修の受講期限:2024年8月29日5.研修実施団体名:弘前小売り酒販組合
■注意事項
※20歳未満の者による飲酒は法令で禁止されています。20歳未満の方はこのリターンを選択できません。
最新の活動報告
もっと見る青森県内の地元テレビ局のニュースで特集されました!
2025/01/16 11:48皆さんこんにちは。先日、青森県内のローカルテレビ局の夕方のニュースで特集頂きました。ぜひ、青森県外の皆様にもご覧頂ければと思いましたのでご興味のある方はご覧ください。↓ ↓ ↓ こちらからご覧ください!https://news.yahoo.co.jp/articles/929864cc795fef9a22ddd712fb7813e77d3435a5?fbclid=IwY2xjawH1UmZleHRuA2FlbQIxMQABHWzfz-eOT2_4b1FtthnFwymCLhMSli91CezDcusGZJebY0svvNFKi2TwnA_aem_iFin0pIxXmKJGlxpdSi1GAまだ瓶の中にりんごが入ったアップルブランデーのリターン品もございますので、ぜひ応援よろしくお願い致します!https://camp-fire.jp/projects/811008/view もっと見る
ジャパン・フード・セレクションで最高賞のグランプリ受賞しました!!
2025/01/15 09:00皆様こんにちは。今日は嬉しいご案内が一つございます!弊社の樽仕込みをしていないアップルブランデー「CRAZY DAYS WHITE DREAM EDITION」ですが、ジャパン・フード・セレクションにおいて、なんと最高賞の「グランプリ」を獲得致しました!このジャパン・フード・セレクションですが、日本の食のプロによる試食・試飲検査を経て厳正な審査で決定する賞です。よく大手メーカーでも「金賞」受賞!などPRに使われていますが、「金賞」は審査得点が80~89点の商品を意味しています。弊社の商品は何と90~100点を獲得し「グランプリ」と名乗ることが出来ました!!これは弊社の樽仕込みをしていない透明なブランデーの味わい、香り、そして未来感も含めてご評価いただいたものだと大変光栄に感じています。ぜひ、リターン品にもありますので、この機会にお買い物の気持ちでご支援頂けたら幸いです。この受賞を励みに、より皆様の生活に潤いをお届けできるような商品を作り研鑽を重ねてまいりますので、どうぞ引き続き応援よろしくお願い致します。 もっと見る
私がなぜ?この事業に挑戦しているのかご理解頂きたく…
2025/01/13 12:15ご支援頂いた皆様、そしてこれからご支援をご検討頂いてる皆様へ皆様、こんにちは!赤ちゃんが赤ちゃんを背負って運動会で走っているのは、当時2歳くらいの私です。沢山の大人の愛情がこの1枚から伝わっ来たのでトップ画像に掲載しました。今日はクラファンに挑戦している私、水口本人のことについて記載したいと思います。私が「なぜ?この取り組みに挑戦しているのか?」を幼少期からの歴史も含めてご理解頂ければと思い、長文ですがお時間が許しましたらご一読お願い致します。私は1973年12月24日に青森県の津軽地方の鰺ヶ沢町という日本海の海どころに生まれました。12月24日生まれなので「清人(きよと)」なのだと言われています。しかし誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントをダブルでもらったことがなく…。(笑)鰺ヶ沢町というとお相撲が盛んで元力士の舞の海さんが3つ年上の先輩になります。こんな私は、農家の家で4人兄弟の末っ子として育ちました。手前が私で、後ろが兄のツーショット相撲のことを少しだけ触れますと、私の生まれた町は子供のころから強制的に相撲を取らされます。相撲熱の熱い町でした。少し強い生徒は夏休みに毎日学校の校庭の中にある相撲場で16:00から強化トレーニングをさせられます。そして、すり足の稽古をしていると見知らぬサングラスでパンチパーマのおじさんに「腰が高い!!」って、なぜか竹刀で叩かれてみたり…。この時から「なんで知らないおじさんに叩かれるんだろう?」という疑問ばかり(笑)ザ・昭和の時代って感じですよね!でも、不条理な中での忍耐力は、後の私の人生や事業にはとても役に立っています。(もちろん、現代はこんなこと通用しないということは、ちゃんと理解しております。)ところで、私の父は大酒飲みで(血は譲れません…)毎日仕事の愚痴や、社会の愚痴をこぼして酔いつぶれている姿を見てきました。亡き父を思い出すと、その思い出も今は懐かしく…。この少年時代から何となく青森県じゃあ、何をしてもうまくいかない的な大人の愚痴が嫌いで、自分が大きくなったら愚痴をこぼす大人にならないと誓ったことを覚えています。少年時代は、アメリカ映画に心酔して映画とスケボーの毎日でした。高校生くらいの頃かと…いずれにしても小さなころは青森県のような田舎から一日も早く抜け出して、トレンディドラマに出てくるような都会の生活に憧れた何処にでもいる田舎の少年でした。そして、硬式テニスに明け暮れた高校を卒業し、大学ではアルバイトとテニス、そしてバイクでのツーリング三昧のいわゆる青春を満喫していました!お気に入りのヤマハTDR高校・大学時代は本気テニスプレーヤーでした!社会人になったとき、すでにバブルは崩壊しいわゆる氷河期にに突入。特に夢も希望もなく、なんとなく地元のホテルを経営している会社に入社しました。青森県の会社だけあって、同期の大学卒業の仲間の中では一番給料も安く、なんだか学生時代のほうが豊かだった?ってぼやきながら、社会人の生活を始めたのを覚えています。社会人2年目くらいの時のジャイアンツの元木選手とのツーショット最初はホテルの営業職を経験しながら、沢山の大人に叱られながら少しずつですが成長していきます。今でも忘れられないのが、22歳に就職して初めての社員旅行がロシアのハバロフスク市でした。(当時青森空港から定期便が就航し、なんと2時間でハバロフスク市に到着したんです!)当時の地元金融機関がソ連崩壊後の混乱しているロシアに投資し、ハバロフスク市に支店を出していたんです。ハバロフスク空港到着の時の写真(後ろの飛行機は確かツポレフ154?)その関係もあり、その後もその銀行がモスクワ支店出店の際などオープンパーティの手伝いなどでモスクワに行ったり、そのあとウクライナ、ハンガリー、オーストリアなど旅をしたり、運よく沢山の国際経験を若い時代に経験させてもらいました。特にウクライナは本当に美しい町で、料理も人も素晴らしかった記憶があるだけに、今の戦争は心から憂いています。この他、中国各地(北京、上海、武漢、杭州、深圳、鄭州、大連などなど)などにも行かせていただく機会もありました。そして、インバウンド誘致のために韓国、台湾、香港、タイ、アメリカなどにも何度も行けました。今、振り返ってみると、私が今世界に挑戦したいと思っている思考は、これらの経験がとても大きいのかもしれません。前職のオーナーには感謝しかありません。当時勤務していた地元ホテルでしたが、徐々に規模拡張していきます。青森県内中心にブライダルホールの運営、旅館・ホテルの運営、北海道函館にも進出しました。私は新規出店する店舗の支配人などを経験し、30歳には函館市の大型旅館の総支配人という大役を任され、実力も経験もない中でもがきながら徐々に売上を伸ばし、一つ一つの運営施設を黒字化させていきました。最終的には10施設まで事業規模は伸び、300名のスタッフを抱え、約40億円の売上まで成長し、私は34歳の時に専務取締役に就任しました。そして専務取締役になってからは東日本大震災を経験し、会社の危機にも遭遇しました。当時、会社のオーナーは海外に出かけていて、そして社長も出張に出かけており、震災に見舞われた日から約3日間、ほぼ睡眠もせず緊急対策を行った思い出もあります。今振り返っても、30代でこのような経験が出来ることはなかなかないと今でも感謝しています。そして40歳(本厄)の年に会社を退職しました。自分の未来を信じて、家族を守るために新たな道を決断したのです。さて退職して半年くらいが経ち、ご縁があり私は青森県平川市の温浴施設「福家」を経営することになりました。津軽おのえ温泉 福家(外観)3年くらい運営していた温浴施設だったのですが、新たな経営者に運営を委託したいという前オーナーの意向で、私が手を挙げて賃貸で運営を開始したのです。もちろん運営受託は簡単ではありませんでした…。前職を退職後、100ページに及ぶ事業計画を10回以上は説明して、最後に信頼を勝ち取ったという感じです。もちろん独立した私は前職の看板もなく、クレジット(信頼)はゼロから始まったわけですので、正直当時を思い出せないくらい毎日朝から晩まで働きました。前職で300名の会社の専務だったプライドは捨て去り、一からの出発でした。週末になると厨房に入りレストランメニューを提供したり、日々現場仕事の連続でした。数年間は休みもなく、それでも家族の支えのおかげもあり、がむしゃらに働きました。(今も同じような毎日ですが、好きな仕事なので何も苦ではありません!)初めて借入して取得したマイクロバス毎日送迎バスに自分で乗り込み、青森県内の日帰り旅行の送迎をしてファンを獲得し、徐々に口コミで評判が上昇し、当時宴会場の稼働はゼロに等しかった事業が4~5年で宴会場の売上だけで5000万円を獲得するまで成長していました。その当時、マイクロバスは3台所有し、バス送迎するスタッフも5名と創業から急成長して5年目には当時1億円だった温浴施設は2億円まで成長し安定してきました。運営3年目には2期分の決算書を携えて金融機関から融資を受けて物件を取得したのです。このように一見順調に見えるかもしれませんが、長期的目線ではそう感じていませんでした。私には創業時からぶれない危機意識が一つだけありました。それは、今は成長し続けているかもしれない事業でも、長期的には少子高齢化でマーケットは急下降する未来が来るということでした。青森県内の内需に頼った事業構造だと未来は弱いし、一緒に仕事するスタッフの持続可能な給与所得の向上は難しくなる未来が来ると自覚していたのです。そこで、今成長している間に次の未来を創ろうと2017年に1歩を踏み出します。やはり、今あるリソース(温泉施設やスタッフ、地域の環境、特産品など)を生かして、外貨を稼ぐ商品開発をしなくてはいけないと考え始めます。私は20年間サービス業しか知らなかったので、急に製造業や流通のことを学ばなくてはいけないので、一からの道のりです。まずは青森県が主催する商品開発の勉強会に参加し、沢山の学びを得ます。商品開発で大切な3つのポイントを学びます。① ユニークでなくてはいけない。(差異があること)② 私のための商品だ!って少数でも熱狂的なファンがいること(共感を得ること)③ 「誰に何をしてあげたいか?」の気持ちを大切に(贈り物を選ぶ時のような商品開発)これらを四六時中考えながら生活する日々が始まります。商品開発は「永久の迷宮」と私たちは言っています。そして初めて完成した作品は甘未の「ようかん」でした。・・・?・・・???と思いますよね。実は、ようかんって保守的で、もっと未来感のある組み立てをしたらヒットする場面はあるのでは?と開発に挑戦しました。完成したのは「ドルチェようかんYキューブ」。3種類のフレーバーで3センチ角にカットされているのでお茶の席にすぐ出せますユニークな点として「種類と味のバリエーションではみ出す」でした。なんと「こしあん&ミックスナッツ味」、「青森ドライりんご&ローズヒップ味」、「クリームチーズ&レモンピール味」です。もう、ようかんと呼ばなくても「ドルチェ」と呼んでもいいくらいの味です。しかもこの3種類の中に美容健康素材プロテオグリカンという成分を配合し、お肌にぷるぷるを予感させるようかんを開発したのです。この成分を配合することで、カロリーの高い罪悪感のある商品をポジティブに変換しました。共感を得るという部分では「青森発!会話の弾むおもたせ!」です。ママ友会やお姑さんへのおもたせの際に、このようかんを食べながら自然に会話が弾む仕掛けにして、食べる人の思いに寄せて開発したのです。今までのようかんは甘だるく、最後まで食べきれないなどの課題を克服した商品として徐々に人気が出ていきます。2019年、日本最大級の美容・健康の展示会においてジャパン・メイド・ビューティアワードのインナービューティ部門でなんと優秀賞を受賞してしまったのです!このおかげで首都圏でも流通が伸び始め、ようかん商品だけで単月で100万円を突破し始めて未来を確信したのです。※このドルチェようかんYキューブは2025年1月15日からリターン品に追加します!しかし、この時課題も浮き彫りになりました。当時、全国流通を目指してFSSC22000(世界の衛生基準をクリア)を獲得している製造工場に委託していたので、どうしても仕入価格が高くなり、流通マージンを考えると販売価格に転嫁せざる得なく価格競争力で劣勢になることなど理解できました。また、商品開発スピードも委託製造だと、どうしても遅くなることも学びました。振り返ってみれば今、私がりんご酒事業でメーカーを目指そうと決意出来た背景は、このような経験が大きく影響しているのです。いずれにしても順調に推移していたようかん事業ですが、2020年3月に新型コロナが世界中を飲み込み、この事業も温泉事業もすべて危機を迎えます…。正直な気持ち、東日本大震災を乗り越え、独立して創業の険しさも乗り越え、まだ試練が来るのかと諦めたい気持ちも山々でした。しかし、このピンチの状況下でチャンスも訪れます。国が出した「事業再構築補助金」制度でした。まさに、事業再構築にはこの補助金制度を使い未来をつかみ取ろうと研究の日々が始まりました!そして、まさにたどり着いたのが「りんご酒事業」CRAZY CIDERの誕生です。幸いに第1回目の公募で採択を受けて、事業はスタートします。事業予算は総額1億円。コロナ禍で借入が膨らんだにも関わらず、新規設備投資でまた借り入れが増えるのですから背水の陣での挑戦でした。幸い国の補助2/3と青森県からも追加補助があったおかげで、実質負担はかなり抑えられたことは、心から感謝の気持ちでいっぱいです。公のお金が投入されていることもあり、その意味でも地域に雇用や未来につながる希望をこの事業で作る決意が強まったのだと自覚しています。しかし、自己資金が目減りしているときに行う事業で、正直なところつい最近まで本当に厳しい資金繰りの中事業を拡大させてきました。また、今でこそ金融機関様の支援の下、ファンドの形成や協調融資などで支えて頂いていますが、この事業をスタートさせたときには「本当に大丈夫なの?」といった懐疑的な目で見られることも度々あり、悔しさをバネに成長を目指しました。いずれにしても私が取り組むりんご酒事業で目指すポイントは以下の通りです。1. 日本のりんご生産量の60%が青森県産りんごを生かせる→日本に誇る青森県産りんご&世界遺産白神山地の天然水など青森の魅力がいっぱい2.少子高齢化で耕作放棄園が深刻だが、解決のヒントがある→生食用だけではなく、加工用専門りんご栽培(りんご酒用)に割り切れば機械化させ小人力で栽培が可能で、耕作放棄園を我々の事業でカバーできる3. 青森県から離れた若者を戻るきっかけの事業になりうる→青森県一カッコいい産業に育て、東京と変わらない所得を得られて青森に帰りたい若者の受け皿になれる4.インバウンド需要の受け皿になれるかもしれない→ハードサイダー(醸造所)、アップルブランデー(蒸留所)巡りをする外国人観光客をもてなして街を元気にできる。私たちがフランスのワイナリー巡りの旅を夢見るように!5.地元の子供たちに夢と希望を与える大人になりたい→青森県から世界のコンペティションにチャレンジして、青森県からでも世界を見れるんだという夢と希望を子供達に与えるこうして私の幼少期からの青森県のネガティブなイメージをどのように払拭させるかの挑戦が今日まで来て、私の行動に繋がっています。今、間もなくこの事業は4年目になります。確実に、そして加速をしてこの事業は成長しています。今年は3年目にしてりんご酒事業が売上6000万円まで来ました。来年はいよいよ1億円に挑戦します。まだ、私が目指している未来には1%も到達していません。私は10億円、そして100億円規模の産業にできる自身があります。そのためには私だけでなく、地域の仲間や若者が本気を出してチャレンジしなくてはいけません。私はそんな追いかけて来る仲間たちに、私たちが苦労して学んだノウハウをオープンソースで提供します!そしてスピードを持って、みんなで青森県の未来を創ろうと決意しています。最後に。当時から大人たちの口癖は「青森県から何をしてもうまくいかない…。」「早く東京に行って稼ぎに行ったほうがいい…。」「我慢していたらそのうちに…。」こんなネガティブな話ばかりでした。しかも悪いことに青森県津軽ではこんな口癖もあります。「津軽の足引っ張り」…。出る杭は打たれる的な内容です。何かに挑戦している人や、新たな価値を見出そうとしている人を妬み、足を引っ張ることを意味しています。子供のころから、諦めた大人たちを沢山見てきたので、どうしても何処かでこの流れを変える大人がいなくてはいけないと私は決意しました。私はコロナ禍で、本当に資金繰りも厳しく、何度も何度も返済をストップしようと思いましたが、一切の返済を滞らせず生き延びました。何度か地獄の底にタッチしそうな日もありましたが、それでも考え抜いて、仲間の力も借りて歯を食いしばり生き続けました。なぜなら…。こうしてりんご酒事業という未来を沢山の仲間と挑戦する日が来ると信じていたからです!いよいよアフターコロナの新しい未来に、地域の課題解決とともに世界を見据えて動き出す日が来ました。どうぞ、私の残りのビジネス人生を全速力で駆け抜けてまいりますので、クラファンを通じて皆様のお力添えを何卒よろしくお願いいたします。これは私の未来ではなく、皆様と一緒に作る未来なのだと信じています!長文ご拝読感謝申し上げます。タグボート株式会社代表取締役 水口清人 もっと見る
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