「おもちゃ映画ミュージアム」の引越し、移転先の改修、原状回復費用にご支援下さい

映像は人類の文化遺産。おもちゃ映画ミュージアムは映画・映像の発掘、関連資料の保存と活用に取り組み10年。4月から京都の西陣で再出発します。現状物件の原状回復、新拠点の改装、収蔵品搬出搬入に想像以上の費用がかかることが分かり、更なる活動ができますように、ご支援をお願いいたします。

現在の支援総額

4,263,345

284%

目標金額は1,500,000円

支援者数

293

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/12/28に募集を開始し、 293人の支援により 4,263,345円の資金を集め、 2025/02/28に募集を終了しました

「おもちゃ映画ミュージアム」の引越し、移転先の改修、原状回復費用にご支援下さい

現在の支援総額

4,263,345

284%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数293

このプロジェクトは、2024/12/28に募集を開始し、 293人の支援により 4,263,345円の資金を集め、 2025/02/28に募集を終了しました

映像は人類の文化遺産。おもちゃ映画ミュージアムは映画・映像の発掘、関連資料の保存と活用に取り組み10年。4月から京都の西陣で再出発します。現状物件の原状回復、新拠点の改装、収蔵品搬出搬入に想像以上の費用がかかることが分かり、更なる活動ができますように、ご支援をお願いいたします。

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アーカイブの対象は劇映画のみならず、記録映画、ニュース映像、アニメーション、コマーシャル映像、小型映画にも広げてきました。アマチュアの人たちが撮った大正から昭和初頭の16mmや9.5mmも今では大変貴重な映像です。映画・映像は娯楽面だけでなく、視覚芸術であり、学術面でも時代や社会風俗・生活を見つめた目撃者、そして歴史の証言者でもあります。人類の文化遺産、記憶遺産であるからこそ貴重なのです。上掲写真は、発掘し、アーカイブした一例。最古の国民的大スター尾上松之助最晩年主演作『忠臣蔵(実録忠臣蔵)』と小津安二郎監督『突貫小僧』です。これらは、国内外の国際映画祭で上映もされました。二ュース映像では、このほど当館が国立映画アーカイブに寄贈した『明治天皇御大葬餘影』と『嗚呼乃木將軍』が12月19日からWEBサイト「フィルムは記録する 国立映画アーカイブ歴史映像ポータル」で公開されました。戦前の長崎また貴重な実写映像としては、長崎の方がパテ・ベビー(9.5㎜)で撮影したホームムービーの中に、被曝前の長崎市内での生活や子どもたちが浦上天主堂の日曜学校に向かう様子が映っていました。後に東京大学大学院情報学環学際情報学府の渡邉英徳教授がカラー化して下さり、ピアノの演奏付きで公開したバージョンはこちらでご覧になれます。


京都映画の歴史
2024/12/30 07:50

かつて京都は「日本のハリウッド」とまで呼ばれた映画のまちでした。今では太秦に松竹と東映の二つの撮影所が残るのみですが、往時は10数ヵ所の撮影所がありました。しかし、数多くつくられた戦前の映画フィルムのほとんどが散逸し、映画に携わった人々の資料類も失われています。そこで、太秦を中心に、東映、松竹、嵐電やJR西日本が連携して、サイトが作られています。「ニッポン・シネマレトロ・キョウト」https://cinema-retro.kyoto/ 当館も参加し、冒頭の動画や「元祖チャンバラアーカイブ」ーチャンバラを作った8人の大スター(尾上松之助、坂東妻三郎、月形龍之介、大河内傅次郎、市川右太衛門、長谷川一夫、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎)の動画提供で協力しています。かつて剣戟映画全盛期だった頃の映像です。都筑輝孝さんが遺した資料展壬生での最後のイベント、2024年12月28日まで開催の展示は、元大映京都のスチールマンだった故・都筑輝孝さん(1914ー2024)から寄贈頂いた映画資料展です。都筑さん(左)と大スター長谷川一夫 1956年頃▼当館チラシ▼都築さんの出世作となった『怪談雪女郎』(田中徳三監督、1968年)戦後大映の全盛期、数々の名作・傑作の照明スタッフとして活躍した都筑さんが関わった作品には、『大魔神』『悪名』『座頭市』『眠狂四郎』シリーズなどが挙げられます。その後スチールマンとして活躍されますが、やがて映画界衰退の時期に遭遇し、遂に大映は1971年に倒産します。『羅生門』(1950年)、『雨月物語』(1953年)、日本初の70㎜映画『釈迦』(1961年)などを作った大映京都撮影所の解体と共に機材類や資料類が無残にも打ち捨てられました。その折の特撮マット原画や撮影機は心ある人々によって一部が救出され、今は当館でも保存しています。倒産時に廃棄された特撮原画やB&Hカメラを散逸から救ったけれども、日本映画が世界の檜舞台でグランプリに輝き、敗戦で打ちひしがれている日本人を元気づけた『羅生門』(1950年)の記念品も散逸の憂き目に遭います。賞状やトロフィー、オスカー像のレプリカは残ったのですが、台座は打ち捨てられました。それが造園業者の敷地に捨ててあるのを見つけた都筑さんは京都文化博物館にも声をかけたのですが、重すぎて「置く場所がない」と言われ、撮影所跡地にできた太秦中学校の校長先生に頼み込み、下掲写真の“グランプリ広場”ができました。このことは都筑輝孝さんのご尽力の賜物です。グランプリ広場太秦中学校の表、大映京都撮影所の正門があった跡地に『羅生門』のトロフィーやオスカー像のレプリカが展示されています。


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