クラウドファンデイングでお渡しする稲垣尚友さんの野菜籠(写真) 作家、民俗学の研究者、竹細工職人。多彩な活動をされている稲垣尚友さん。 今回は私の要望を聞き入れてくださり、クラウドファンデイングでもご協力いただき、籠を作ってくださいます。投稿した標記が竹籠、パン籠となっておりましたが、野菜籠に訂正させていただきます。 豊富な知識と人を引き付けるお人柄、お話会では井上さん、小川さんの聞き手、引き出し役としてご登板いただきます。どんなお話が伺えるか、今からとても楽しみです。 また、只今制作中の図録は、もともと稲垣さんが廣島一夫さんに関する本をお出しになるためにご準備されていたものをベースに、そのエッセンスをまとめたものです。と申しましても100ページを超える内容、作品の写真もふんだん盛り込まれた豪華な一冊になるものと思います。写真はフォトグラファー荒川健一さんが撮りためていらしたもので、細部のテクスチャーまで鮮明に記録されています。また、デザインは稲垣さん、荒川さんとも息のあった中山銀士さんが務めてくださいます。正直、この企画に合わせて図録までできるとは思ってもおりませんでしたので、本当に夢のようです。こちらもどうぞお楽しみに。
今回の展覧会でごらんいただくものは、そのほとんどが日之影にお住まいの個人の方からお借りするものです。先にこの2点を届けていただきました。写真右側、カルイについては、前回の活動報告でご紹介させていただきました。これは、この企画に賛同いただき、作品集めにもご協力いただいている赤星秀貴さん(カフェ&ギャラリー ルジェトア)のお姉さまが所有していらしたもので、廣島さんが90歳近くなって作られたもの。それにもかかわらず、実に力強い仕上がりです。写真左側、魚籠は「びく」とるびをふるところですが、「したみ」と呼ばれています。廣島さんの仕事のなかでも、意匠として特徴的で工芸品としても遜色ないものです。それだけに、日之影以外からもこれを欲しいという要望があったと聞いています。しかし、廣島さんはこれを魚籠として使ってくれる地元の人にだけ売るという、ポリシーを貫かれたとのことです。 この展覧会のご案内をインスタグラムに投稿したところ、アメリカ・オクラホマの男性から、次のようなメッセージが届きました。「I love this documentary」1994年から95年にかけて、アメリカで行われた廣島さんの展覧会に合わせて流されたVTRをyoutu.beで観ていたとのこと。その中には地元の人が注文の品を引き取りにくる、なにげない日常が記録されています。あくまで一職人であることにこだわり、使う道具を作る事にこだわった廣島一夫さんです。
「カルイ」 写真に写っているのが廣島一夫さんが作られた「カルイ」です。背負い籠は全国津々浦々使われているものですが、この形状はこの地方独特のものです。傾斜地に作られただんだん畑がほとんどのこの土地で、荷を運ぶのに適した形。下にいくほどすぼまっているので、重心が上になって軽く感じる。また、背負うことをこの地方では「かるう」というところから「カルイ」と呼ばれています。しかもこの形、傾斜地に置いた時安定がいいのです。 カルイは地元の人が自ら作ることが多かったといいます。日之影でカルイ作りを専門にされていたのは飯干五男さんです。飯干さんは民芸品としての小さいものから、3メートルもある大きなものまで作られていたようです。廣島さんは廣島さんなりの工夫を加えたカルイを作られていました。一見、見分けはつきませんが、飯干さんにカルイを習い、しかも廣島さんのカルイ作りをみている小川鉄平さんにはその違いがわかるそうです。職人仕事に名前は入りません。しかし、どこかに作り手にしかわからないサインが残されているものです。それは縁巻きの仕方だったり、補強の仕方だったり。それが職人のプライドなのだと思います。 私が日之影を訪れた時も、畑仕事の傍らに「カルイ」を見かけましたし、隣の高千穂町でお知り合いになった85歳のおばあちゃまは、今も毎日の畑仕事にカルイは欠かせないとおっしゃっていました。それを裏付ける面白い資料があります。平成13年に発行された「日之影町史10 別編(2)日之影の竹細工」に平成11年に町民各々が保有する竹細工の調査を行った結果、竹の箸を除いてカルイが2239個とダントツのトップで、世帯数が2000戸足らずということなので、一家に一個以上あったということになります。また変わった使い方があることを伺いました。幼稚園や小学校の運動会の玉入れ競技、大人がカルイを背負って、子供たちが玉を入れる、そんなふうに今も使われているそうです。 この写真のカルイは展覧会チラシ撮影用に、小川さんがご近所の89歳一人暮らしのおばあちゃんから借りてくださったもの。現役ばりばりの廣島さんのカルイです。「このカルイを借りるために、おばあちゃんの家の雨どいの掃除と、玄関の一部のセメント塗りをしました。」と、小川さん。いやはや、申し訳ない! 今回の展覧会では廣島さん、飯干さんお二人のカルイを展示させていただきます。皆様も会場でその違いを見つけてください。 日之影の景色にはカルイが良く似合います。
小川鉄平さんのこと。 今年の2月、初めて日之影の竹細工資料館を訪れた際、お目にかかったのが最初の出会い。地元のご婦人方(竹細工資料館の鍵を開けてくださった商工会の方)に「てっぺいちゃん、てっぺいちゃん。」と息子か孫のように親しみを込めて呼ばれ、話しっぷりも地元そのものだけれど、もともとは「カルイ」と呼ばれる背負い籠(写真)が作りたくて名古屋からやってきたとのこと。そこで、長年「カルイ」を専門に作られていた飯干五男さんに弟子入りする。3年後に独立。廣島一夫さんにも知り合うことになるが、修行時代は世間話をする程度だったとのこと。 弟子を取らなかった廣島さん。 廣島一夫さんは5人弟子をとったそうだが、いずれも長続きせず辞めていった。以来弟子は取らないと決めたそうだ。なぜ、長続きしなかったのかと問われて曰く「若い人には長く座る仕事は無理だったようだ。」と答えていらっしゃる。はたしてそれだけの理由だったのだろうか?弟子本人の覚悟の問題だったか、時代の変化によるものか、はたまたあまりに師匠の技量が優れていたことに恐れをなしたのかもしれない。ただ、ご自分の仕事を次の世代に引き継ぎたいという思いはお持ちだったようで、特に晩年、その思いが強くなっていらしたそうだ。 だから、小川さんが3年修行されたことをとても評価されて、ご自分の技を伝えるにたる人物とみこまれたようだ。そのあたりの詳しいことは、小川さんのお話会でご本人の口から直にお話いただきたいと思っております。 作品収集。 本展には、日之影の竹細工資料館のものもお借りしますが、そのほとんどが廣島さんのご親戚を含む個人の方からお借りするもので構成する予定です。そのため地元で信頼の厚い小川さんに全面的にお世話になります。日之影で所帯を持たれ、お子様もできて、地元の人になった小川さんだからこそできることなのです。きっと、お借りする作品一つ一つにエピソードがあるはずで、それもお話会で聞かせて頂けることと思います。 タイトルの廣島一夫さんの仕事という言葉には、作品のみならず、引き継がれそして引き継いでいくということの意味も含んでいます。まさに伝統という意味が。
宮崎県西臼杵郡日之影町 宮崎県のはずれ、南北に長い県の北側で、大分県や熊本県の県境にほど近く、九州山地の一画を占める山間の町です。町といっても、その面積は277.7㎢、東京の山手線内の4倍以上です。今年のはじめ私が訪れる前に、日之影町の役場に問い合わせたところ、宮崎空港より熊本空港から車で向かった方が近いとのでした。その言葉どおり、阿蘇山から神話の里・高千穂峡などを通るルートで2時間余り。風光明媚というよりはかなり山深いという印象でした。山と山を繋ぐためにかけられた長い大きな橋・青雲橋を渡ってから、ぐるぐる曲がりくねった道を下った川沿いに日之影町の役場、そして廣島さんの籠が飾られている竹細工資料館があります。川といっても川底が見えるほどの浅い緩やかな流れにみえましたが、よく台風の通り道になるこの地域では、一旦上流で大雨が降ると両岸を削り取る濁流となって、幾度となく水害をもたらすとのことでした。 写真は廣島さんの生家のある樅木尾(もんぎゅう)今も、廣島さんのご親族がお住まいですが、日之影の役場からさらに山道を車で30分以上登りつめた場所にあります。視界が開けた先には山並み、そして急な山肌に整然と作られた棚田。ここだけではなく、日之影全体に拡がる棚田と堅牢な石組みの土台に建てられた家々の佇まいに、自然との長い格闘の末に学びとった人々の知恵の結晶を見るように思いました。 件の青雲橋がかかる以前の日之影はどうだったでしょう。さらにその前は。熊本の友人が「日之影のような山間に敢えて住む人々は民度が高いのですよ。」と言っていましたが、訪れるまではその意味がはっきりとは解りませんでした。歴史を遡れば、戦に敗れた朝鮮の王族が逃れて住みついたとも、平家の落人をかくまう場所であったとも。深い山に囲まれ外界から隔絶された環境のなかで、独特の自給自足の生活が築かれていったということでしょう。そして、その暮らしを支えるために、身近に手に入る竹を使って様々な暮らしの道具が作られていた。そして、その暮らしの形が時代を経てもつい最近まで日之影には残されていたのです。廣島さんの籠の価値にいち早く着目し、それを広めるために尽力された中村憲治さんが「あの橋がかかったら町の暮らしが一気に変わる、その前に廣島さんの籠をなんとかしなくては。」と言われていたそうです。自然との共存であり、自然との葛藤のなかで生まれた籠、つまり廣島さんの籠はイコール日之影の暮らしそのものといえるのです。