新潟県の離島粟島で母が遺した民宿『ますや』を再開したい。

 令和7年5月に新潟県の離島の粟島にある民宿『ますや』を再開するための修繕費を募りたい。

現在の支援総額

3,190,000

354%

目標金額は900,000円

支援者数

189

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/02/19に募集を開始し、 189人の支援により 3,190,000円の資金を集め、 2025/04/06に募集を終了しました

 新潟県の離島粟島で母が遺した民宿『ますや』を再開したい。

現在の支援総額

3,190,000

354%達成

終了

目標金額900,000

支援者数189

このプロジェクトは、2025/02/19に募集を開始し、 189人の支援により 3,190,000円の資金を集め、 2025/04/06に募集を終了しました

 令和7年5月に新潟県の離島の粟島にある民宿『ますや』を再開するための修繕費を募りたい。

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木の選別ルームキーのイメージ画素敵なしおりを民宿ますやで販売予定!!WSY FURNITURE * 民宿ますや (予定)夢のコラボ素敵な一輪挿しも民宿ますやで販売予定!!WSY FURNITURE民宿ますや活動報告・ルーム表札製作編ご支援いただいた皆様へ この度はたくさんのご支援とご協力並びに心のこもったメッセージをいただき、心から感謝申し上げます。皆様のおかげで無事クラウドファンディングが終了いたしました。これからはインスタグラムとこの活動報告にて進捗状況をお伝えさせていただきますので引き続きよろしくお願いいたします!! 本日はルーム表札製作の様子をお届けします。部屋の表札とルームキーの製作を長岡市のWSY  FURNITUREの山岸さんにお願いしました。 山岸さんと数年前に初めてお会いした時にその誠実で優しい人柄にふれ、いつかこの方と一緒に仕事がしたいと思っていました。そしてこの度、民宿ますや再開のプロジェクトの一員として加わっていただきました。夢がまた実現し、嬉しい気持ちとありがたい気持ちでいっぱいです。 山岸さんからは表札の大きさや木の種類、加工の仕方を提案していただいただけでなく、様々なお話をしていただきました。 山岸さん、お忙しいところ時間を作ってくださり、本当にありがとうございました。とても楽しい時間となりました!!完成が今から楽しみです!! 部屋の名前や実際の表札とルームキーもまた皆様にこれから報告させていただきます。お楽しみに!!この道の先に、皆さんの笑顔と会えますように


活動レポート 修繕編ご支援いただいた皆様へ この度はたくさんのご支援とご協力並びに心のこもったメッセージをいただき、心から感謝申し上げます。皆様のおかげで無事クラウドファンディングが終了いたしました。これからはインスタグラムとこの活動報告にて進捗状況をお伝えさせていただきますので引き続きよろしくお願いいたします!!襖➡︎仕切り壁へ屋根裏に断熱材 ついに4月9日から修繕工事が始まりました。五十嵐建築の五十嵐竜二さんとそのスタッフの方が粟島に到着し、すぐに修繕工事が始まりました。まずはふすまのところに仕切りの壁をつけていただきました。あっという間の作業に私たちもその職人技の凄さに感動です。続いて屋根裏に断熱材。これまたあっという間の作業です。本当にプロってすごいです!!五十嵐建築さんとそのスタッフ方、本当にありがとうございます!! マネージャーの上村肇も大工さんに料理を提供したり、荷物の片付けをしたり奮闘中です!!なんと弟くん渉くんも手伝ってくれています。渉くんもありがとう!! 皆さんからいただいた資金でこうして民宿ますやの修繕を行うことができています。皆様、本当にありがとうございます!!引き続き民宿ますやをお願いいたします!! この道の先に、皆さんの笑顔と会えますように 


活動報告 クラファン間もなく終了ご支援いただいた皆様へ ついにクラファンも残り1日を切りました。終了に近づいてから、再びたくさんのご支援とご協力をいただきました。本当にありがたすぎて感動しています。間もなくクラファンも終了となりますが、最後まで皆さんと一緒に駆け抜けていきたいと思います。今一度、お力添えをお願いいたします!! 父と母が遺した『民宿ますや』には数々のエピソードがありました。今回はご支援していただいた皆様に民宿ますやを知っていただきたく、エピソード4を紹介いたします。父と母と一緒に民宿ますやで過ごしたあの日々は幸せでした。そんな日々を皆さんにも読んでいただけると嬉しいです。粟島民宿ますやエピソード4『三年寝太郎・サプライズ』 私がいた当時の粟島浦村中学校では文化祭で2年に1度、劇をする。私が中二の時に、「三年寝太郎」の劇を演じた。3年間寝続けた、一見するとただの怠け者の男が突然起き出した末に大きなことを成し遂げる。大きなことを成し遂げるためのアイデアを3年間練っていたという話である。 私は米を取り立てる代官役を演じた。小道具、大道具を自分たちで製作し、先生の指示にしたがい演技をする。このような経験をしたことがあまりなかったので、本当に楽しかった。「衣装はなるべく自分たちで用意してくれ。」 そう先生から言われたので、さっそく帰って母に聞いた。「母ちゃん、今度文化祭の劇でお代官様の役をやるんだけどさ、なんか時代劇みたいな着物あるかなぁ。」「あるよ。山小屋(離れたところにある倉庫)から探しとくよ。」 文化祭前日、立派な衣装が茶の間に置いてあった。「これすごいじゃん。よくこんなのうちにあったね。ありがとう!!」「あいよ。」 と母はニコニコしていた。 劇の当日、緊張しながらも無事代官役を務め、家に帰った。「劇よかったよ!!おもしろかったよ!!」 母は満面の笑みで出迎えてくれた。「ありがとう。」「実はね、あの衣装はお父さんとお母さんの結婚式で、お父さんが着た衣装なんだよ。」「え~!?そんな大事な衣装、オラが着て良かったの!?」「いいの、いいの。」 そう言う母は本当に嬉しそうだった。 きっと母は父と私、結婚式の頃を重ねながらあの劇を観てたのかもしれない。母のサプライズは劇の成功以上の喜びと、温かさを私にもたらしてくれた。この道の先に、皆さんの笑顔と会えますように


活動報告 クラファン残り1日ご支援いただいた皆様へ ついにクラファン残り1日となりました。ここまで頑張れてこれたのは皆様の応援があったからこそです。心から感謝申し上げます!!グランドフィナーレまで一緒に駆け抜けていただけたらと思います。 今一度、お力添えをお願いいたします。 父と母が遺した『民宿ますや』には数々のエピソードがありました。今回はご支援していただいた皆様に民宿ますやを知っていただきたく、エピソード3を紹介いたします。父と母と一緒に民宿ますやで過ごしたあの日々は幸せでした。そんな日々を皆さんにも読んでいただけると嬉しいです。エピソード3『スプーン曲げ』  私の父は超能力、UFOといったたぐいの話が大好きだ。小学生の頃、そういった番組があると二人でよくテレビにかじりついていた。当時、ハンドパワーと言っていたMr.マリックがスプーン曲げをして、日本で大ブームとなっていた。 いつものように二人でテレビを見ているとMr.マリックがスプーンを曲げていた。父が少し興奮ぎみに言った。「やってみるか。まさよし、下からスプーンを持って来てくれ。」「うん。」   我が家は民宿だ。大きなスプーンはたくさんある。何本かスプーンを持って急いで父のいる二階に向かった。大きなスプーンを手にした父はかなりの興奮状態。鼻息がいつもより荒くなっていた。スプーンを持った父が精神統一をはじめた。何かいつもとは違う父の姿があった。「いくぞ。えいっ!!!」「と、父ちゃんっ!!」 スプーンは…びくともしなかった。父は何度も挑戦するがその度、スプーンにはね返された。悔しそうな父。すると、  「曲げてやる。絶対に曲げてやる~。」父の目つきが変わった。目が血走っている。再びスプーンを持った父。上腕二頭筋がぷるっていた。 「うりゃ~。∓≡⊂∝∑∮∂」スプーンはバキバキに曲がった。父にとってハンドパワーなんてもはやどうでもいい。ただ目の前にあるスプーンを曲げることに意味があるのだ。  「とっ、父ちゃん!!!」  「お前もやってみるか。」私ももはや超能力など、どうでもよかった。曲がったスプーンが何個も畳の上に転がっていった。私たちの怪しげな行動を感じとった母が「あんたたち、何やってんの!!!」と雷を落とした。 今でも民宿のスプーン入れには、あのときの曲がったスプーンがさびしそうに置いてある。あんなに曲がったスプーンは誰も使うはずがないのに…。 本日の教訓:  スプーン曲げは1人につき1個までこの道の先に、皆さんの笑顔と会えますように


活動報告 クラファン残り3日ご支援いただいた皆様へ皆様のご支援とご協力のおかげで、ついに300万円を突破することができました。本当にありがとうございました!!心から感謝申し上げます!!父と母が遺した『民宿ますや』には数々のエピソードがありました。今回はご支援した皆様に民宿ますやを知っていただきたく、エピソード2を紹介いたします。この物語を書いたときはまだ父と母が生きていたときです。皆さんに読んでいただけると嬉しいです。<粟島・中3の夏休み>  1991年、私は受験生だった。その年の夏は高校受験という意味で、例年の夏とは違っていた。しかし、例年の夏と違うと考えているのは私だけで、アブラゼミの鳴き声からヒグラシの鳴き声へと替わる間、民宿を経営している私の実家ではいつもと変わらない夏だった。 たくさんのお客がやってきて、あわただしい毎日が過ぎていく。そんな中、受験生である私は時間をみつけてはNHKラジオ英会話を聞き、問題集を開き、勉強をしていた。しかし、あわただしさの中で勉強することは難しく、いらだつことが段々と多くなっていった。そんなある日、いつものように勉強していると、「んな、はよ食器洗えや。(早く食器洗いなさい)。」 という母の大きな声がした。どうして受験生が手伝いを優先的にしなければいけないのかと憤り、「受験失敗したらお母さんのせいだからな。」 とつい怒鳴ってしまった。すると母は「誰のために働いてるんが、んなわがんねあんだが(誰のために働いてるのか、お前はわからないのか)」 と怒鳴り返し、台所で仕込みを続けた。 母が、朝3時に起きて料理の仕込みをするのも、お昼に畑に行って、作物に水を撒くのも、魚をさばいたとき骨が指に刺さり、指が化膿してグローブみたいになっているのも、指を包丁で切り、ビニールテープでぐるぐる巻きにして止血してすぐ働き始めるのも、髪をとかす時間より、化粧をする時間より、洗濯物を干すことを優先するのも、ご飯を食べながら疲れ果てて箸を口にくわえて寝ているのも、父が朝3時に毎日命がけで船に乗り漁に出かけるのも、魚が全然取れなくて網ばかり破れて、それでも網を直し続けるのも、ヘルニアがひどくて、寝られず、お酒を飲んで痛みをごまかしているのも、全ては、私の高校進学のため、私の将来に必要な資金を稼ぐためだった。 中学生のときの先生が「自分のために勉強するんだよ。」 と繰り返し言っていた。しかし、夏が終わり『親のために勉強しよう』という覚悟ができた。命を削り、私のために働き続ける姿は今思い出しても胸が熱くなる。 その年の夏はいつものようにあわただしかったのに、穏やかな記憶として私の心に今でも鮮明に残っている。アブラゼミの鳴き声からヒグラシの鳴き声の間、少し余裕が出て過ごしている現在の両親を見るとホッとし、小さくなった背中を見ると寂しく思い、頭が下がる。父と母がいたこの民宿のおかげで私は大人になれたのだと思う。※父と母が生きているときに書いた自分のエッセーです。この道の先に、皆さんの笑顔と会えますように


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