
こんにちは!
こちらの活動報告をご覧いただきありがとうございます。
僕らの体制の貧弱さを見かねた有志の方がクラウドファウンディングを立ち上げてくれました。映画実現のためにご支援いただけますと幸いです。
立嶋篤史選手の日本プロデビューから100戦目が終わり、 映画の中での試合としての区切りはここまでとなります。
だいぶ予定していた更新ペースや内容からズレていますが、活動報告の第3弾です!
試合後、水道橋から船橋まで立嶋さんと一緒に走って(歩いて)帰った話の最終回です。
今回分はここから開始です。
なんとか半分の小岩着。
コンビニで休みをいただきましたが、一度座ってしまうと2度と立てないのではないかと思うくらい、体が重いです。
そして、足も悲鳴を上げ始めます。エニタイムフィットネスで(たまに)走っていた成果も虚しく、普段痛くなったことのないふくらはぎの横とか、足の裏が痛い、、
立嶋さん、言ってました。
「いきなり20キロとか走るのは多分無理です。普段使っていないところが痛くなるはずです」
空が少しずつ明るくなってきました。
時間は4時。
もはや体をひきづるように前に進みます。

人生で初の経験をしました。
歩きながら寝る。
人ってこんなことできるんだ。
立嶋さんは、過酷な練習や減量、とてつもない距離のランニングを通して気付いた体の変化を、人体実験と仰っています。これまで多くの常人では経験できない体の変化を体験しているはずです。
※もはや後ろ姿しか撮影できません。。
立嶋さんは試合後だというのに、全くペースが落ちません。僕は正直全然記憶にありませんが、おそらくなんとか歩いてたんでしょうね。
船橋まで残り6キロのコンビニで一休み。
ふと腰を下ろしてしまいました。この時、おそらく少し寝てます。
気づくと立嶋さん、いません、、
撮影班の車が僕のところに来ると、
「立嶋さん、走ってきてたのに、内田さん来ないので心配しました」
正直、この300mほどズルをしました。
撮影班の車に乗せてもらい、立嶋さんを追います。
なんとか追いつくと、
「内田さん、まだ歩けますか?」
先に走って行ってしまったのは、ギブアップしない僕に対する、立嶋さんの無言の優しさだと思っています。

迷惑を掛けつつも残りを共に進みます。

遅れに遅れ、遠くにかすかに映る私です。
もはや歩けない僕を釣ってくれています。

朝は6時半を周ったところでした。
スタートからおよそ7時間半。
ようやく船橋駅到着。
毎回試合後、この行程を行なっている立嶋さんの凄さを思い知るとともに、共に船橋まで走って(歩いて)行けたのは僕にとっても、いい経験となりました。
かつて立嶋さんはテレビ番組で
「第2の人生とか考えないんですか?」と、問われ、
すぐさま
「第1の人生もちゃんと終わってないのに?」
と、返答しました。
たくさんの選択肢がある中でも、
一つのことをとことん貫き、やり切るという立嶋さんの強さに、ほんの少しだけ触れられた気がしました。
またいつか、、、ご一緒できたら嬉しいです。
今回は試合後で早く帰りたかったところだと思うので、ご迷惑のかからない時に、、、






