
本プロジェクトでは、「島に愛のある関係人口プラス100万人」を掲げています。
では、具体的に「島に愛のある関係人口」や「未来のシマ共創会議」が、島で生きる当事者に何をもたらすことができるか。
宮古島移住したからこそ見えてきた外と中の違いを紹介いただいた蛭川さんに続いて、同じくリトケイの活動コミュニティ「うみねこ組」の一員でもある河内佑真さんのメッセージを紹介します。

私が島に魅せられたのは、ほんの気まぐれな「観光」からでした。日々の仕事や人間関係に少し疲れ、何も考えずに過ごせる時間がほしい——そんな思いから、休日にふと思い立って船に乗りました。向かった先で出会ったのは、澄んだ海と空、時間を忘れさせる穏やかな景色、そして新鮮な魚介や素朴で温かい料理。港に降り立った瞬間から都会の喧騒が遠のき、肩の力がふっと抜けていく感覚がありました。当時の目的は、ただ癒やされ、頭を空っぽにすること。それ以上でもそれ以下でもありませんでした。
けれど、何度も島を訪れるうちに、旅の意味は少しずつ変わっていきました。港で荷下ろしをしていた釣り人と交わした何気ない会話、小さな商店で笑顔を見せてくれたおばあちゃん、集落の道端で偶然再会したおじさんの「また来たんか」という一言。そうした小さな出来事が積み重なり、私にとって島は観光地ではなく、関係を築きに行く場所になっていきました。そして気づけば、その関係の輪を広げるように、別の島にも足を運び始めていました。新しい港、新しい人との出会い。それぞれの島で異なる風景や文化に触れながら、つながりのある場所が少しずつ増えていきました。
都会では、自分の行動は多くの人の中に埋もれ、誰かの暮らしに直接影響を与えることはほとんどありません。けれど島では違います。人口が少ないからこそ、ほんの小さなアクションでも波紋のように広がり、思いがけない変化を生みます。野良仕事を手伝った日には「今日は助かったよ」と感謝され、何気なく話したアイデアが次の催しのきっかけになることもありました。その一つひとつが、自分の存在が誰かの役に立っているという実感につながりました。
もちろん、島の暮らしは美しい景色だけでは語れません。人口減少や後継者不足、生活インフラの維持など、課題は数多くあります。それでも、人々は諦めることなく、持続的にしようと工夫を重ねています。港で漁網を修理する手、炎天下で草刈りに汗を流す姿、祭りを絶やさぬよう準備に奔走する背中。そうした営みのひとつひとつが、島の未来をつないでいるのだと感じます。
私は、そうした営みを「音」で残す活動にも取り組んでいます。船の汽笛や港のざわめき、作業の音や鳥の声など、島の日常をそのまま切り取るように記録し、ポッドキャストで発信しています。それは、風景や写真だけでは伝わらない、島の息づかいを未来に届ける試みです。耳を澄ませば、その音の向こうに人々の営みや思いが確かに存在していることが感じられます。
「未来のシマ共創会議」は、そんな営みを支え、次の世代へとバトンを渡すための大切な一歩です。私も、その輪の一部であり続けたいと思います。たとえ小さな存在でも、島にとっての“ひとり”は決して小さくない。その確かな手応えと温かい循環を、そして音として刻まれる日々を、これからも共につくっていきたいと願っています。
うみねこ組/kiteki records
河内佑真






