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静岡市の幻の寺・建穂寺に伝わる400年前の仏像を修復したい!

静岡市にはかつて建穂寺という大寺院がありましたが、廃仏毀釈によって廃寺になり、今は新たに建てられた観音堂があるのみです。そうした経緯から、住職や檀家がいないため収入はなく、地域の人々がなんとか管理しています。今回は観音堂に安置されている、400年前に制作された地蔵菩薩像を修復しようとしています。

現在の支援総額

1,288,000

125%

目標金額は1,030,000円

支援者数

91

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2016/07/11に募集を開始し、 91人の支援により 1,288,000円の資金を集め、 2016/08/24に募集を終了しました

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静岡市の幻の寺・建穂寺に伝わる400年前の仏像を修復したい!

現在の支援総額

1,288,000

125%達成

終了

目標金額1,030,000

支援者数91

このプロジェクトは、2016/07/11に募集を開始し、 91人の支援により 1,288,000円の資金を集め、 2016/08/24に募集を終了しました

静岡市にはかつて建穂寺という大寺院がありましたが、廃仏毀釈によって廃寺になり、今は新たに建てられた観音堂があるのみです。そうした経緯から、住職や檀家がいないため収入はなく、地域の人々がなんとか管理しています。今回は観音堂に安置されている、400年前に制作された地蔵菩薩像を修復しようとしています。

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ご本尊の御開帳
2016/08/12 21:43
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(建穂寺観音堂の本尊・木造千手観音菩薩立像 普段は非公開)   株式会社文化財マネージメントの宮本晶朗です。   今回一緒にクラウドファンディングに臨んでいる杉浦悦雄さんからコメントと画像をいただきましたので、掲載します。     8月7日に、建穂寺本尊の千手観音のご開帳のご供養がありました。クラウドファンディングの宣伝もかねて、評議員の皆さんがご説明にあいつとめました。   近隣のお寺からいらしていただいたお坊さんの読経が朝8時半からあり、地元のご婦人方のご詠歌のご奉仕がありました。近郷近在からの皆さんがお参りにおいでいただきました。あの狭い観音堂の中は一時、座るにも苦労するほどの盛況でした。  


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(牧野さんの長年にわたる仏像修復についての取り組みを記した著作)   株式会社文化財マネージメント宮本晶朗です。   今回のクラウドファンディングで、仏像の修復を担当していただく「吉備文化財修復所」代表の牧野隆夫さんから、以前の投稿に引き続きコメントをいただきましたので掲載します。     ③地域にある仏像を修復・保護する意義 日本全国には無数といえるほどの仏像があります。大半は信仰対象として寺院に祀られ、神像として神社にあるもの、歴史的資料・芸術作品として博物館・資料館に展示されるものなど、規模の大小もあって管理状況は千差万別です。   なかでも明治の神仏分離以降、建穂寺のように消滅し、その遺物である仏像を小さなお堂に移し、地区で管理しているところは日本全国少なくありません。管理者からは、像の由来すら不明になっていることや、細々と宗教行事に用いてきたものの地域社会の変化から、その保存に苦慮していることを耳にします。地域のシンボルとして伝えられて来たとはいえ、より良い維持管理のための基本調査や保存修復は不可欠であり、外部からの支援なくしては困難です。   管理者以外の多くの関心を集めることは、日常的に関っている地域の方々の連帯を高め、気持ちの上で励みになり継承のモチベーションも上がります。さらに調査や修復で得られた情報が分かり易く地元に還元されれば、元の寺院規模などを想像し、歴史の一端を解き明かすきっかけともなり一層興味が湧くでしょう。このように仏像修復は、単にものを直すことに止まらず、像そのものから地域の歴史を再考し、地域社会を再構築する機会ともなります。   身近な過去の遺産を未来へ伝えることには、費用や労力がかかりますが、安置空間の整備・例祭などへの積極的な関わりを通じることで、仏像はその地域の精神的なシンボルとなり、単に一宗教の遺物を超えた力を我々に与えてくれます。建穂寺地蔵尊の修復に向けたこの動きが、現在の観音堂整備や旧観音堂跡地の公園化につながり、これらがひとつの動線を形成し、将来的に地域の新しい財産になってくれることを願っています。   神仏分離に関る仏像の状況については、拙著『仏像再興』(山と渓谷社刊行)をご覧下さい。 以下に紹介しているのは、神仏分離以降150年間里人に護られ続けて来た仏像群24体を新しい保存の場に移した保存継承の一例です。「かんなみ仏の里美術館」のホームページ


中日新聞に掲載
2016/08/05 17:58

株式会社文化財マネージメントの宮本晶朗です。   今回のプロジェクトについての記事が、本日8月5日の中日新聞朝刊に掲載されました。中部・東海の方は、ぜひ紙面をご覧くださいませ。   ネットのほうにも記事が出ております。(会員登録をしないと全文は読めません) 仏像修復へ現代版“勧進” 静岡の廃寺・建穂寺、ネットで支援募るhttp://chuplus.jp/paper/article/detail.php?comment_id=387073&comment_sub_id=0&category_id=203&from=life&category_list=203


仁王像の取戻裁判
2016/08/04 22:15
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株式会社文化財マネージメントの阿部麻衣子です。   建穂寺観音堂には、入り口の左右に一対の仁王像が安置されています。  (現在の観音堂 赤丸のところに仁王像が安置されている) (向かって右側に、口を開いた「阿形像」) (向かって左側に、口を閉じた「吽形像」) 現在のお堂が建てられる前の旧観音堂の写真にも、その姿は確認できます。   (旧観音堂 赤丸のところに仁王像が安置されている)   この仁王像2体は江戸時代の寛政3年(1791)制作と考えられる像ですが、明治初年の廃仏毀釈や明治3年(1830)の火災による混乱のなか、売却されるという危機的状況がありました。   明治3年3月23日、建穂寺最後の住職である建穂俊雄が、廃寺にともない仁王像2体を秋山惣兵衛に金50円で売却しました。買主の惣兵衛は後日これを転売するつもりで証文を取り、仁王像は俊雄が預かり、建穂地区にあった林富寺観音堂仁王門に安置されることになりました。   それから23年後の明治26年(1893)8月23日、惣兵衛は俊雄に対して仁王像を返却するように告訴しました。俊雄は逆に裁判所に「売買証明書取消」を要求しますが、正当な売買が成立しているため、「取消の理由なし」として敗訴しました。   これに異を唱えたのは、当時仁王像が安置されていた林富寺の信徒総代でした。「この仁王は被告・俊雄の隠居・山脇降禅が建穂寺からここに持ってきたのであるから、村の所有と心得るべきである。建穂俊雄の諾否に拘わらず引渡しを一切拒否する。」としたのです。このため同年11月22日、惣兵衛は俊雄と林富寺・総代3名を告訴しました。この時もまた「仁王を原告に引き渡すべし」との判決が下されました。   翌27年(1894)1月8日、今度は林富寺・総代である鈴木平八、中山丑太郎、花村金次郎の3名がこれを不服として控訴しました。そしてついに同年3月23日、静岡地裁は「明治26年12月4日静岡区裁判所が言渡したる第一審判決を変更し被控訴人の請求は相立たず」として第一審判決を棄却、逆転判決が下されたのです。このような事件を経て、仁王像は転売されて建穂から流出することなく、現在の所在を保っています。   この事件は民事訴訟の幕開けの事件としても注目されるものです。日本で現行民法が施行されたのが、明治31年(1898)。まだ民法が十分に整備されていない中での裁判といえます。   さて、こうした危機は、なにも建穂寺に限ったことではありませんでした。明治初年の廃仏毀釈は全国の寺院に混乱をもたらし、実際に多くの仏像が転売され、日本国内だけではなく海外にも散逸したといいます。明治時代以降に失われてしまったものもあるものの、建穂寺の多くの仏像が散逸をまぬがれたのは、当時の地域住民の熱意あったからです。その熱意は現在も誇りとなって地域の人々に受け継がれ、建穂寺の仏像は大切に守られ続けています。


静岡新聞に掲載
2016/08/02 20:11

株式会社文化財マネージメントの宮本です。   今回のプロジェクトについての記事が、昨日8月1日の静岡新聞に掲載されました。だいぶ大きく取り上げていただきました。写真の向かって右側の男性が、今回の一緒に取り組んでいる中心人物、佐藤四郎さんです。   ネットのほうにも記事が出ているので、ぜひご覧くださいませ。 仏像修復へネット出資者募集 「幻の」建穂寺(静岡)|静岡新聞アットエスhttp://www.at-s.com/news/article/culture/shizuoka/266201.html