(名前を書いた和紙を入れた桐箱を体内に納めている) 株式会社文化財マネージメントの宮本です。 地蔵菩薩像の修復も最終盤となってきました。今回は、クラウドファンディングのリターンとしても設定してある、支援者名簿の納入についての模様をお伝えします。 まず建穂町内にて、クラウドファンディング支援者名と今回の修理記録を和紙に墨書きしました。その後、吉備文化財修復所にて、和紙を巻き、体内の大きさに合わせて制作した桐箱へ納めました。 (名前を書いた和紙を巻いている) (巻いた和紙を桐箱に納めている) この桐箱を体内に納入し、頭部を取り付けました。 (桐箱を体内に納めた状態) (頭部を取り付けている) なお、像の頭部などが白くなっていることに、皆さんも気付かれたかと思います。これは、過去の修理塗膜を落とした頭部、手先、足先に、白色顔料である胡粉(ごふん)を膠水で溶いた「胡粉下地」を塗ったためです。修復前に建穂の皆さんが持っていたイメージを尊重し、元の雰囲気から極端な変化がないように、金色に仕上げるための前段階の状態です。漆塗りなどだと後に剥がすことが困難なので、後年必要になった際には取り除くことも可能な方法を選択しています。 仏像の修復の一般的な周期からいうと、この像も200年300年後にまた修復がなされると思います。そのときに、皆さんのお名前は未来の人の目に触れることになろうかと思います。いわばタイムカプセルですね。
(修復中の地蔵菩薩像。新たに制作している台座なども含めた全体) 株式会社文化財マネージメントの宮本です。 地蔵菩薩像の修復も終盤を迎えています。今回は地蔵菩薩像の新たな発見についてです。 4月のテレビ静岡でのニュースでも明らかにされたのですが、実は像の頭部だけは他の部分よりも古いことが明らかになりました。吉備文化財修復所の牧野さんの見解では、鎌倉時代(13世紀頃)に制作されたものとのことです。 (不要表面を除去し虫穴などを埋めている、修復中の頭部) 修復する前にも、頭部だけは状態が悪く損傷が大きいのが気掛かりであったところでした。以前に活動報告で紹介した「不要表面除去」の修復作業において、過去の修理で塗られた絵具や漆の層を剥がしました。そして、木部の表面が出てきて本来の形が見えてくると、形の上から13世紀頃の制作であることがわかったのです。 地蔵菩薩は、胎内に書かれている墨書きから、慶長19年(1614)に仏師「足立三郎三位」が制作したものと理解されてきましたが、どうやらこれは修理をしたときの墨書きのようです。つまり、13世紀に制作された像がなにかしらの事情で損傷し、頭部以外は失われるか極めて悪い状態になりました。その後、慶長19年に足立三郎によって修理され、その際に制作当初の頭部は再利用した上で新たに体や手足を作って現在の形に整えられた、という経緯があったものと考えられます。 一般に、仏像の胎内には仏師の名前が書かれていることがありますが、それが制作した仏師なのか後年修理した仏師なのかは、なかなか判断が付かない場合があります。今回もまさにそうした事例といえます。修復することで初めてわかってくる貴重な情報の一つですね。
(光背を新たに作る作業を説明しており、その様子を撮影している) 株式会社文化財マネージメントの宮本です。 昨日は、地蔵菩薩像の修復状況の確認のために、建穂神社観音堂評議委員会の皆さんが吉備文化財修復所を訪問しました。所長の牧野さんや所員の皆さんから、現在までの修復の状況と現在進行中の作業などについて説明がありました。そして今回は、テレビ静岡の取材クルーの皆さんもいらっしゃって、そうした様子を取材されていきました。 (光背を新たに作る作業を説明しており、その様子を撮影している) (台座を新たに作る作業を説明しており、その様子を撮影している) (頭部の虫喰い孔を埋める作業を説明している) 今回の訪問や説明の模様は、24日(月)の夕方のニュース(概ね18:30頃)で放送される予定とのこと。静岡県内のみの放送となりますが、県内の方はぜひご覧くださいませ。
(左から田中さん、宮本、佐藤さん、牧野さん 手前に修復中の地蔵菩薩像) 株式会社文化財マネージメントの宮本です。 先月のことになってしまいますが、「吉備文化財修復所」で行われている木造地蔵菩薩像の修復作業の経過を、一緒にクラウドファンディングをやりました建穂神社観音堂評議委員会委員長の佐藤四郎さんが視察しました。佐藤さんと親交のある静岡市美術館館長の田中豊稲さんもご一緒でした。私も参りまして、吉備文化財修復所の牧野さんから現況の説明をいただきました。 (牧野さんから、修復過程についての説明を受けている) 文化財の修復では、修復前に修復方針を定め、具体的な作業内容を決めてから実際の作業に入ります。しかし、作業が進む中で当初想定していた状況と異なるような事態(内部の虫喰いが思ったより大きいとか、制作当初の部分が思ったよりも残っていたとか)も少なからずあります。ですので、修復家は修復過程においても、文化財の所有者(管理者)に対して修復作業内容の確認や修正などの擦り合わせしながら修復を進めます。 また、仏像内部に描かれた墨書きのように、写真や記録を残しても修復完成後には直接見ることができなくなってしまう事柄もありますので、そういったことも修復過程で確認してもらいます。 こういったことがありますので、今回の建穂寺の修復においても、その管理者である佐藤さんが視察と打ち合わせにいらした、というわけです。牧野さんからはここまでの修復作業全体の説明があり、佐藤さんと田中さんからは損傷状態、墨書き、新たに作る台座の部分などについて質問などがありました。 このように、修復家と文化財管理者がきちんとキャッチボールをしながら、修復作業を進めることが重要と思います。修復が終わってみたら、全然イメージと違う姿だった、ということでは困りますから…。 また、この日には某所の取材もあり、佐藤さん、牧野さん、私が今回の建穂寺クラウドファンディングについてお話ししました。この取材も近く掲載されると思いますので、そのときにまた詳細お知らせします。 (取材の様子)
株式会社文化財マネージメントの宮本です。 木造地蔵菩薩像の修復作業が行われています。修復を担当していただいている「吉備文化財修復所」代表の牧野隆夫さんから、修復作業の解説と画像をいただきましたので、掲載します。今回は、仏像の印象がだいぶ変わってくる工程があります。 6.不要表面除去お像の身体は金色をしていますが、これは過去の修理時に塗り直されたものです。実はこの塗膜の下に元の塗膜が残っています。今回の修復ではこの金色塗膜を取り除きます。塗膜を除去すると、黒い漆の塗膜があらわれました。 (胸の部分の塗膜を除去している) 頭部は塗膜の下に過去に彫りなおされた痕跡があり、当初は今と異なるお顔であったことが分かりました。 (頭部向かって左半分が塗膜除去後) 7.剥落止め台座の塗膜が浮きあがり、端がめくれて触れると落ちてしまう状態でした。ここで天然の接着剤である「膠(にかわ)」の登場です。浮き上がった塗膜の下に膠を入れて、貼り戻しました。 (台座の塗膜に筆で膠を入れている)