
いつもご支援いただきありがとうございます。
NPO法人ぼこでこの小林純也です。
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前回は「当事者の孤独」の話を書きました。(記事はこちら)
今日は、もう一つの孤独「ご家族の孤独」、特に母のことを、少しだけ書かせてください。
23歳で脳梗塞になったあの日。
病院のストレッチャーの上で目を覚ましたとき、視界の端に、張り裂けそうな顔をした母がいました。何が起きたのかもわからないまま、僕が最初に言おうとしたのは「ごめんなさい」でした。
けれど、言葉がうまく出てこない。
やっと絞り出した「ご…め…んなさ…い」に、母は泣きながら「あんたは、こんな時にまで……!」と言いました。
あの一言には、いろんな感情が詰まっていたんだと思います。
「なんであんたがこんな目に」「謝らなくていい」「とにかく生きていて」…。けれど、それを全部飲み込んで、ただ「母」としてそこに立ち続けるしかなかった。
うちの実家は、年末年始以外ほぼ365日営業のカレー屋でした。
それなのに母は、毎朝6時の電車に乗って、片道1時間かけて病院に通ってくれました。7時過ぎに病室に着き、1時間ほど他愛ない話をしてから店の仕込みへ戻る。その生活を、ほとんど毎日、くり返してくれました。
「毎日は大変だから休んで」と何度も言いましたが、母は決まって、「自分が安心するから」と笑っていました。
正直に言うと、当時の僕はどん底でした。「もう生きていたくない」と思っていたし、その一番暗い部分をぶつけてしまっていた相手が、ほかでもない母でした。
今になって思うのは、「いちばん近くにいる家族ほど、いちばん孤独になりやすい」ということです。
当事者の前では、明るく、強くあろうとする。
店に戻れば、何事もなかったかのようにカレーをよそい、お客さんと世間話をする。
親戚や友人から心配されれば、「大丈夫よ」と笑ってみせる。
本当は誰よりも不安で、怖くて、泣きたいのは家族なのに、「自分がしっかりしなきゃ」と、弱音を飲み込んでしまう。その積み重ねが、「家族の孤独」だと思うのです。
発症から20年たった今まで、母は毎年、発症日になると「おめでとう」と言ってくれます。
毎年決まって、当日に欠かさず、です。
正直、今では私の方が発症日を忘れていることが多いくらい。笑
その「おめでとう」は、「生きてあの日を越えてくれて、ありがとう」「今年も無事にこの日を迎えられて、うれしい」そんな、母なりの祝福なのだと感じています。
重篤な病気は、当事者だけの出来事ではありません。一緒に暮らす家族の日常も、一瞬で変えてしまう出来事です。
だからこそ、ぴあまっぷでは、当事者だけでなく「ご家族」が孤立しない仕組みもつくりたいと思っています。退院直後などに起きやすい「情報の断絶」を埋めるのは、当事者だけではなく、ご家族にとっても同じ課題だからです。
・同じ経験をした家族に出会える場所
・悩みや不安を、専門職やピアと一緒に整理できる場
・「自分だけじゃなかった」とホッとできるつながり
そんな「ご家族の居場所」も、地図の上に可視化していきたい。それが、社会的孤立ゼロへの挑戦の、もう一つの理由です。
もしあなたの身近に、病気や障害を抱えたご家族を支えている人がいたら、「こんなプロジェクトがあるらしいよ」と、そっとシェアしてもらえるとうれしいです。
引き続き、一緒にこの地図を育てていただけたら心強いです。
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