総額2億円 被災過疎地に “防災×観光”の 拠点をつくりたい

奥能登豪雨ですべてを失った「もとやスーパー」は、全国からの応援メッセージとボランティアさんによって再起動できました。奥能登も全国の皆さんの力で復興に向かっています。「限界集落モデル」と名付けた、行政ではなく民間が主導する災害復興活動の新拠点としてMOTOYA Baseをつくることを決意しました。

現在の支援総額

2,845,750

56%

目標金額は5,000,000円

支援者数

176

24時間以内に4人からの支援がありました

募集終了まで残り

43

総額2億円 被災過疎地に “防災×観光”の 拠点をつくりたい

現在の支援総額

2,845,750

56%達成

あと 43

目標金額5,000,000

支援者数176

奥能登豪雨ですべてを失った「もとやスーパー」は、全国からの応援メッセージとボランティアさんによって再起動できました。奥能登も全国の皆さんの力で復興に向かっています。「限界集落モデル」と名付けた、行政ではなく民間が主導する災害復興活動の新拠点としてMOTOYA Baseをつくることを決意しました。

【残り45日 52%達成 支援者160名 支援総額2,636,750円】


今回のクラウドファンディングのリターンに、プロジェクトオーナーである本谷一知さんの講演があります(リターンNo.1, 18, 20など)。

「どんなお話をするんですか?」というご質問がありましたので、お答えします。


そもそも本谷さんってどんな人?

本谷さんは、輪島市町野町にあるもとやスーパーの3代目社長です。


近畿大学で大学時代を過ごしていた頃は、実家のスーパーを継ぐことは考えず、プロ野球選手を目指していました。


しかしながら、その時の監督に「勤勉さは買うけど、努力だけではプロになれない。センスが足りない」とはっきりと言われ、プロ野球の道から方向転換しました。


時を同じくして、実家のお父様(もとやスーパーの2代目社長)から「実家に帰ってくればもとやスーパーという資本があるんだから、その資本を活かせば一生夢を追えるぞ」と言われ、スーパーマーケット業界に入ることを決意します。


大学を卒業して最初に入ったのは、関西のスーパーマーケットチェーン「コノミヤ」でした。「商売のイロハはすべてコノミヤの社長の背中に教えてもらった。社長は本当にかっこよかった」と本谷さんは振り返ります。


数年間コノミヤで、社会人として、またスーパーマーケット業界人として修業した本谷さん。満を持して実家のもとやスーパーに戻ってきます。27歳の時でした。


田舎の赤字スーパーマーケットを立て直した凄腕経営者

「もとやスーパーという資本があるんだから、その資本を活かせば一生夢を追えるぞ」と、先代社長である実父から言われていた本谷さんは、意気揚々と実家に戻り、もとやスーパーを継ぎました。


その時に初めて知る驚愕の事実が。


「億単位の借金がある!?聞いてないよ!」


誰がやっても絶望的という状況だったのです。


原因のひとつは、町野町から離れた市街地のディスカウントストアに価格帯を合わせていたこと。町野町に1軒しかない貴重な生活インフラという立ち位置をうまく活かしきれていなかったそうです。


ディスカウントストア並みの価格で提供することで、町野町の外への顧客の流出は防げる。でも、現金が手元に残らなければ、明日にでも倒産しかねない。

そんな緊迫した状況を知らず3代目社長に就任した本谷さんですが、20代の若さはこの状況にむしろ燃えました。


方々に頭を下げまくり、必要な経営環境を整え、5年で億単位の借金を完済するという凄腕ぶりを発揮しました。


「当時の帳簿は手書きだったから、自分で一から勉強して手書きの帳簿と格闘して、数字の管理もやっていきました」


「夜のうちに仕入れの発注をして、朝届いたものをすぐ並べて、昼間はずっとレジに立って。そんな毎日を続けてました」


「随分多くの従業員にも頭を下げて辞めてもらいました。でも、辞めた従業員を慕ってくれていたお客さんもいるので、今度はお客さんからも突き上げられました」


今でこそ笑って話せるようになりましたが、当時はものすごい苦労の連続に疲弊していたそうです。


(本谷さんの講演のリターンにおいては、リクエストすれば一連の建て直しのことを詳しく教えていただけます)


もう一旗を目指して大阪へ

田舎の赤字スーパーを建て直した凄腕は、それだけでは満足しません。


億単位の借金を返した勢いを駆って「もとやスーパーを100店舗にしたい」と息まくものの、人のいない町野町で100店舗は無理。でも、まだ一勝負したい。


そういう葛藤を抱えた本谷さんは、夜逃げ同然でもう一度大阪で挑戦します。


この時、お父様は「人生1回だ。誰が何を言ってきても、俺が防波堤になって守ってやるから、1回行ってこい」と言って送り出してくれたそうです。


跡取りとして帰ってきた長男が突然大阪に行ってしまうというある種異常な状況にも動じず、本人のやりたいことを応援する。お父様のこの姿勢は本谷さんにも受け継がれ、今でも何かをやろうとする人を前向きに全力で応援する本谷さんなのです。


「関西に出たはいいけど、お金はない。そこで、コンビニスーパーの業態で攻めていたある会社に出会いました」


直営店での店舗出店を重視していたその会社に正社員として入社。かつて社長をやっていたプライドなど捨て、新入社員として一から信頼を積み上げ、店長に上り詰め、圧倒的な実績を作って社内スピーチの機会を得ます。


そこで語ったのが、フランチャイズ化の提案。100店舗目指してフランチャイズとして自身の店舗を増やしていきたいという想いがありました。しかしながら、最終的には会社からの「やはり直営店での出店にこだわっていきたい」という回答を受け取ります。同じころ、実家のお母様から「帰ってきてほしい」という連絡をもらい、もとやスーパーの3代目として復帰したのでした。


被災を経てBCPの専門家としても活動

経営者としてのチャレンジを続けてきた本谷さんですが、2024年の能登半島地震と奥能登豪雨の被災を経て、BCPの専門家としても発信を始めました。


スーパーマーケットの経営者として、実際に被災をしたことで、多くの想いや気づきがあったと言います。


「資金や資産は分散させておく。1か所に集約すると、濁流で流される、火災で燃えてしまうといったリスクが考えられます。普段から分散させて管理していれば、有事の際にすべてを失うリスクを減らせます」


「再建にはやはりお金。再建資金を引っ張ってくる。お金はズバリ◯◯と◯◯の2つです!」


「2ヶ月で事業を再開することができました。そのために1つ一番重要なものを挙げるとすれば絶対◯◯です!断言できます!」


こうしたことを、被災の当事者として、企業経営者として、伝えてくれています。


「今だからこういうふうに言えるけれど、豪雨災害の時はできなかったことがたくさんあって。『もっとこうしておけばよかった』『もっとこうしたほうがいい』と思うことはたくさんあるんですよ。そういうことを伝えていくためのMOTOYA Baseでもあって、今回のクラウドファンディングは大事にしたい。そしてクラウドファンディングが終わってから、MOTOYA Baseの成功に向けてプロジェクトを大事に育てていきたいと思います」


講演はオーダーメイドで

今回のリターンに入っている本谷さんの講演は、内容が決まっているものではありません。支援を入れて下さったみなさんのリクエストに応じて内容を調整します。


紹介してきたように、本谷さんにはスーパーマーケット経営者としての圧倒的な経験と実績があります。そのお話は、これからの企業経営のヒントになると思います。また研修の講師にお呼びいただくのも相性が良さそうです。


同時に、被災を経て気づいたことや取り組んだこと、たくわえた知見は、いずれくる大災害に備えるBCPの視点で役立つ情報があるはずです。


ぜひ、内容をリクエストのうえ、本谷さんの講演を聴いていただきたいと思います。


文章:柳田正芳(合同会社6483works)


本谷さんの半生、人生観を変えた能登の災害、そしてBCPの話を、オンラインでお届けします


リクエストに応じた内容を心を込めて語ります


講演とともに、豪雨災害で唯一流されなかった奇跡の太鼓での演舞をお届けします


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