八丈島 宿&住まい 再建プロジェクト

八丈島の「暮らしの灯」を取り戻したい ― 台風22号・23号で被災した宿と住まいの再建支援をお願いします

現在の支援総額

3,351,944

223%

目標金額は1,500,000円

支援者数

344

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/10/23に募集を開始し、 344人の支援により 3,351,944円の資金を集め、 2025/11/30に募集を終了しました

八丈島 宿&住まい 再建プロジェクト

現在の支援総額

3,351,944

223%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数344

このプロジェクトは、2025/10/23に募集を開始し、 344人の支援により 3,351,944円の資金を集め、 2025/11/30に募集を終了しました

八丈島の「暮らしの灯」を取り戻したい ― 台風22号・23号で被災した宿と住まいの再建支援をお願いします

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

最近の八丈島の状況についてお伝えします。島内の断水は全体の8割から9割ほど解消され、半分ほどの方は少しずつ普段通りの生活に戻りつつある印象です。ただ、その一方で、まだまだ課題が多く残っています。家屋の被災家が壊れたままになっている方も多く、業者さん自体が圧倒的に足りていないため修繕に手が回らない色々制度はあるけれど制度の隙間に落ちてしまっている人・住民票を移していなくて水道光熱費の支払いが会社持ちだった・町営住宅に避難後、ご年配のため前の家の修繕をする気力がないからなおせない、修繕をしないという選択をとると保証はでないなど色々見えない部分に対する対応はみえないままのようです。農作物の被害ビニールハウスが直ったとしても、中の農作物は保険で守られないため、そのシーズンの収入がまるごと失われるケースもあります。一年で復活しない農作物もあるため、長期的な影響が避けられません。観光地の復旧私の知る限り「南原千畳敷で夕日を見る」「釣り」くらいしか、いわゆる「観光地」といえて行ける場所が今はほとんどありません。観光の受け入れは11/1~再開されていますが、実際に訪れているのは釣り目的の方が中心で(それもまだやはり少ない)、温泉もまだ再開できていない状況です。そのため、飲食店や観光業の方々は非常に厳しい状態が続いています。都や国、町の補助についても、現時点では明確に決まっていません。あいつぐイベントの中止町役場の方々もさまざまな対応に追われており、人手が足りず、イベントの中止が相次いでいます。パブリックロードレース、産業祭、ライブイベントなども中止になり、島全体がなんだかよくわからない自粛ムードに包まれています。そんな中で、私にできること「島に少しでも元気を届けること」だと思い、友達と一緒に復旧活動を楽しめるような形で行ったり、地域を盛り上げる活動を続けています。具体的には、荒れた木々の伐採をしてその木をただ捨てるのではなく焚き火をして楽しむBefore 台風により落ち葉や木々が倒れて危ない状況肉体労働して綺麗になって食べるお肉は格別!ハロウィンイベントで仮装をして子どもたちが安心して遊べる場所をつくったり総製作費632円八丈高校にプログラムの一環としてダンス指導に行ったり 運動会では仮装して、商工会レンジャーとして走ったりもしました。暗い顔をしてても始まらないので、こうした活動を通じて、子どもたちや地域の方が笑顔になれる時間が少しでも増えてほしいと願っています。今週からはダンスクラス再開、12月の年末には友達と「年越しイベント」を開催しようかと企画を進めています。なるべく明るいニュースや、希望を届けられるよう、これからも頑張っていきます!今後ともあたたかく見守っていただければ嬉しいです。最後までお読みいただきありがとうございました(^^♪


今回は、被災認定の件と、今後の支援金の使い道についての現状を共有させていただきます。被災認定についてまず、レピュート富士とアパートメント富士の2棟について、それぞれの被災証明書が発行されました。「無事」という言葉は少し違うかもしれませんが、街の方から正式に被災認定が下りました。場所によっては「半壊」と認定されてしまっている箇所もあります(こちらの判断は担当者によるところもあるそうです...)、みんなすごい被害を受けているのだから、住めない家はすべて全壊認定だしてあげればいいのに。。今後のサポート体制に違いを想像すると、半壊認定されてしまった方に心が痛むのと、なんだかもやもやする気持ちは残ります。修繕業者・保険会社との相談内容先日、修繕業者さんと保険会社の両方にお話を伺いました。修繕業者さんの話によると、レピュート富士は外壁が膨らんでおり、開けてみないとわからない部分が多いそうです。最安で「とりあえず使える状態」にする場合、内装は消毒・壁紙・石膏ボードの張り替え程度で済むものの、電気系統などに不具合があれば修繕費はさらに増える見込みとのことでした。見積もりとしては、レピュート富士:約2,000万円〜3,000万円アパートメント富士:約1,000万円〜2,000万円両棟合わせておよそ3,000万円〜5,000万円の範囲になるとのことです。一方、保険会社からは「老朽化による減額」があるとの説明を受けました。そのため、実際に支払われる保険金は全体の50〜60%程度、約2,000万円前後になる見込みです。クラウドファンディング支援金の位置づけ皆さんからの温かいご支援により、クラウドファンディングでは多くの資金が集まりました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。しかしながら、修繕費用全体から見ると、まだまだ足りない部分があります。また、現在島内では修繕業者さんのスケジュールが非常に混み合っており、実際に修繕が始められる目途も立っていません。先述した見積は、今すぐ修繕に入った場合の見積です。屋根がないので雨で柱が傷み、腐食が進んでいく状況です。父も現在73歳、「修繕を終えて、また住む人を見つけて、そこから回収していく」と考えると、現実的にどう考えても80歳を超えてしまう見通しで、精神的にも負担が大きいと話しています。クラファン立ち上げ時の想いクラウドファンディングを始めた当初は、「宿泊のキャンセルが相次いだこと」と「オラキノを立ち上げたばかりで、毎月約60万円の融資返済がある」ことから、その運転資金の補填を目的として考えていました。しかし、CAMPFIREの担当者さんから「運転資金としての使用はできません」とまさかの許可が下りて打ち出したあとに案内を受け、クラファン資金は別の形で活用する方針に切り替えました。そのため、実際の運転資金は、直接ご連絡をくださった方々からのご支援を、CAMPFIREを介さずに充当させていただきました。直接口座番号を送るなんてとてもじゃないけどこちら側から頼める事ではなかったので、申し出してくれた方々本当にありがとうございました。支援金の今後の使い道アパート修繕については、保険金の確定後に再度方向性を決定する予定です。ただ今現在の想いとしては、皆さんからいただいたご支援を「アパートの見えない部分の修繕」だけに充てて、しかも補いきれない、というよりも、「支援してくださった方々が形として実感できるもの」や、「地域の仲間たちと一緒に前を向ける取り組み」に生かしたいと考えています。たとえば、オラキノやケンチャルマなど、誰もが訪れて「ここに支援が生きている」と感じられるような形で残していく。そのような方向性で検討しています。復旧ではなく、復興。なるべく「楽しい」「前向き」「みんながハッピーになる」ような復興を目指して、島内外の仲間たち、そして支援してくださった皆さん全員が笑顔になれるような使い道を心がけています。正確な金額や内容が固まり次第、改めてご報告いたします。最後まで読んでくださり、ありがとうございました!


あしたば加工工場さんが、昨年取材してくださった動画をこの度アップロードしてくださいました。【#八丈島 で「楽しい」を作る男】 <オラキノビレッジ(後編)若き後継者の挑戦>1年前に撮影した映像で、台本もなくアドリブで話した内容でした。自分でも何を話したのか正直覚えていなかったのですが、改めて見返してみると、「今も変わらず同じ思いで走っているな」と感じられ、そして「これまで進んできた方向は間違っていなかったんだ」と再確認できて、少し嬉しくなる内容でした。今回ご支援いただいた方の中には、私と直接お会いしたことがない方も多くいらっしゃると思います。「この人はどういう事業をしているんだろう?」と思われた方も、もしよければぜひご覧いただけたら嬉しいです。きっとオラキノの空気感や想いが伝わると思います。動画で見るのが難しい方のために、以下に内容の概要もまとめておきます。※今回の台風であしたば加工工場さんも甚大な被害を受けております。良ければこちらもチェックしていただけると嬉しいです。40年の歴史、台風で全壊。父が守った明日葉工場をなんとか復活させたい!あしたば加工工場Youtube概要今回の動画では、八丈島で新しい風を吹かせる後継者・日比野有海が登場。生まれ育った島を舞台に、宿泊業・ダンス・地域交流を融合させたオラキノの現在と未来を語っています。島へ戻り、家業を継いだきっかけ有海は八丈島出身。中学卒業と同時に上京し、ダンスインストラクターとして活動していました。10年前、父が営む宿「ケンチャルマ」やダイビングショップの今後を家族で話し合い、4年前に島へ帰郷。「2代目」として宿業を継ぐことを決意しました。詳細は活動報告vol.1にありますオラキノ誕生の背景帰郷当時はコロナ禍の真っ只中。島の観光業も大きく落ち込みましたが、「事業再構築補助金」を活用して新しい試みに挑戦。「雨の日でも楽しめる場所」「地元民と来島者が交わる空間」という発想から、多目的カフェ・スタジオ機能を備えた“複合型宿泊施設”オラキノビレッジが誕生しました。現在は「ケンチャルマ」「ステイインオラキノ」「トロンカーム」の3棟で宿泊を展開。さらにレンタカー事業やダイビング手配、レンタルスペース、個人ではダンスレッスン、イベント企画など、幅広く事業を展開しています。今後の展望今後は通年で人が訪れる仕組みを整えるほか、ケンチャルマの改修、オラキノのアップグレードにも着手。施設外構を整え、デッキ・植栽・BBQエリア・オートキャンプサイトの整備も進めていく予定です。「島内と島外をつなぐ場」を目指し、八丈島カルチャーの発信拠点として進化を続けます。オラキノビレッジ=“健康”の村「オラキノ」はハワイ語で“健康”という意味。体の健康はもちろん、心の健やかさ、そして人と人のつながりから生まれる“豊かさ”を大切にしています。ヨガ、料理、音楽、ダンス——それぞれの特技や想いを持つ人たちが集まり、島で交流できる「心身の健康の場」として、この名をつけました。編集後記動画の最後には、「八丈の文化がここから生まれていく予感」というナレーションで締めくくられています。まさに、オラキノが目指す“人と自然が共に生きる健康村”の姿がそこにありました。この映像を通して、これまで応援してくださった方々にも、今の私たちの活動の原点を感じていただけたら幸いです。今回の台風やコロナ、インバウンド、物価高騰などの世の情勢。色々ありますが、自分達が大切にしている仲間や物が揺るがない確固たる文化をここに築き上げていきます。


現在の支援総額(11/3 0:30現在)な、なんと300万円、そして300人を達成しました。本当にありがとうございます。きっと私に見えない所でもみんなが拡散を続けてくれているんでしょうね...最近毎日泣ける、うれし泣きおじさんです...このみなさんの想いを無駄にしないためにも現在毎日何かできることはと動いているのですが、いかんせん報告をかけておらずすみません...11月入ったのにまだ10月13日の報告(笑)細かく伝えたいのは山々なのですが、現場を回しながら記事を書くのって難しいのだなと実感、というか記事を書くのが自分下手で時間かかりすぎてると思うのと、キャンプファイアの仕様的に・イイネとか押せないし活動報告記事の閲覧数とかも見られない(もしくは見方がわからない)からどのくらいの人が読んでくれているとかわからない・絵文字使えない・動画はいちいちYouTubeにアップしないと貼れないなどなど中々テンションのあがらないメンタルに来る仕様となっております。。クラウドファンディングの事というか、キャンプファイアの事今回でかなり詳しくなったので、いつかキャンプファイアのメリットデメリットを書いて、被災した方がすぐに動き出せる選択肢を提供できるよう、クラファン情報をまとめられたらと思います。イトーマンが繋げてくれたクラウドファンディングも続々と立ち上がっております。八丈LOVERSのみなさん、そちらもぜひチェックしてみてください。40年の歴史、台風で全壊。父が守った明日葉工場をなんとか復活させたい!八丈島「うみかぜ椎茸」復興プロジェクト - 台風で壊れた八丈島の味を、もう一度島民に愛されるラーメンを1日でも早く提供して、八丈島を元気にしたい!本日ハロウィンパーティ(11月2日)10月はほんと大変だったのでずっとダンススタジオも休みにしていたのですが、子供たちには何の罪もない。。ということで、久しぶりにオラキノのダンススタジオでちょっと遅れたハロウィンイベントを開催しました。      学年で分けて3クラス仮装レッスンを行いました。子どもたちが何も気にせず、思いっきり踊る姿を見て、「めっちゃ楽しい!」という声も聞こえてきて、胸が熱くなりました。この子たちも長い間、我慢の日々を過ごしていたんだなと感じ、少しでも息抜きの場を作れたことが本当に嬉しかったです。明日は午前中のみの開催で、大賀郷小学校の運動会が行われるそうです。短い時間でも、思い切り楽しんで、頑張ってくださいね。それでは引き続き、台風直後の様子を共有していきます。10月13日 発表会と八丈島まずこの日ですがもともと私は内地(三鷹)で行われる、ダンススタジオ「emotionS」の発表会に出演する予定だったのです。Vol.1から参加しており、今年で10周年私は以前emotionSでインストラクターをしており、退任後もオーナーのユミさんのご好意で、毎年振付作品を出させてもらっていました。今回もインストラクター陣の作品と自分たちの作品や細々した途中のアクティングなどで出演予定で、ペアダンスを一緒に踊るえりちゃんとその旦那のゆめちゃん、そしてりさで半年以上かけて作品を準備してきました。18名の仲間で7月に行った決起会の様子八丈島に住んでいる関係で、リハーサルや振り作りのたびに上京し、時間のやりくりを重ねながら作ってきた作品でした。私にとってこの発表会は、毎年1年を通しての大きな目標であり、「このために上京している」と言っても過言ではないほど大切なイベントでした。しかし、今回はどうしても島の状況を放っておくことができず、えりちゃんとユミさんに相談しました。二人とも「今回は無理せず、島のことに集中して」と心よく送り出してくれて、本当に救われました。本番の日、我々の名前入りの写真を送ってくれました(´;ω;`)もし帰れていなかったら、家財はすべて雨でダメになっていたと思うので、本当に島に戻って正解でした。宿のほうでも、復旧員の受け入れや、友人たちのサポート、アパートの住民の荷物避難など、できる限りのことに取り組むことができました。発表会には出られなかったけれど、八丈島の人たちのために動けたことは、自分にとって大きな意味のある選択だったと思っています。   18日にも、今年の夏八丈島の夏祭りで八丈太鼓×八丈藍染×ダンスのコラボでパフォーマンスを一緒に企画したひろたかのイベントに再演で出演予定でしたが、そちらもキャンセル。本当ドタキャンで申し訳なかったのに、18日のイベントではポップと寄せ書きTシャツを作ってくれて支援金を募ってくれました。東京から届けてくれたポップとTシャツは枕元に飾って、毎日見て元気出してから活動してます。イベント参加人数約40人対して約100杯のテキーラが出て無事みなさん爆酔いしたそう(笑)台風23号後の被害確認とがれき回収さて13日の話に戻ります。午前中は、台風23号が直撃した後の被害状況を確認しました。前回の報告でも「メリメリ」と音を立てて屋根材が飛ぶ様子を動画にのせましたが、改めて見てみると、網戸の枠が曲がって飛び、雨樋も変形していました。排水の勾配が崩れて水が流れず、詰まったます目から水があふれ、あちこちに水溜りができていました。レピュートの外に置いていたものも、すべて撤去したはずなのに、屋根材やがれきが再び散乱していて、運ぼうとしても男3人でびくともせず、被害の大きさを痛感しました。どうやって飛んできたのこれ笑この日は三宅さんとチェさんと一緒に、がれきの回収作業を行いました。軽箱2台を使い、南原のスポーツ公園の仮ゴミ回収場まで4往復 それでもまだ半分も運びきれないほどの量でしたが、男手2人のパワーで本当に作業が進みました。私一人では到底ここまでできなかったので、心から感謝です。 ちなみにゴミ置き場の誘導などは役場の人が雨の日も朝から晩までやってくれています。避難猫との出会い作業を終えて三宅さんを見送ったあと、被災して家を失い避難中の友人のもとを訪ねました。その友人は猫を飼っていて、9月14日に子猫が5匹生まれたばかりでした。このとき出会った猫ちゃんのうちの一匹を、後日私が引き取ることになります。いわば「避難猫」です。笑親猫ちゃんがネロちゃんで台風22号がハーロンだったので、ハロちゃんと名付けました。断然犬派だった自分。猫飼う人生なんて想像もしてなかったな~この出会いも、台風がもたらした縁のひとつでした。か、かわぁ...といっても私もまだ家がないので(笑)、家の準備ができたら引き取りに行きます。ハロちゃん、待っててね~!これまでが台風直後の記録になります。次回以降の報告では、もうちょっとペースをあげたいので14日以降の動きや復興の進展を、箇条書きのようにわかりやすくまとめてお伝えしていこうと思います。また、最近の近況についても並行して発信していきます。最後まで読んでくださって、ありがとうございました( ^)o(^ )


雨が多く、中々作業が進みません。。外作業もできないので今日は保険屋さんや建築会社さんと打合せ、被災後はじめて会社の経理の入力などしました。肌寒くなってきたので、風邪には気を付けていきましょうね...支援総額(10/29 23:00 現在)支援総額「2,843,611円」、支援者数は「286名」となりました。クラウドファンディング開始からちょうど一週間、7日目になりますが、皆さんのご支援のおかげで、当初では考えられなかった支援が集まってきています。本当にありがとうございます。また、八丈島内で他のクラウドファンディングが続々とスタートしています。実際、私よりもひどい被害にあっている所もありますので、ぜひ今後、そちらもチェックしてみてください。【八丈島の奇跡を再び】溶岩サウナLAVA復興と未来への挑戦10月11日 帰ってきた八丈島この日は到着できるかどうか分からないほどの天気と波と風でした。いつも通りアネロン(酔い止め薬)を飲もうと思って、竹芝桟橋のファミリーマートに行くと、薬剤師が不在との事で薬コーナーが閉まっている、、そのまま「まぁいっか」と乗船。結果、見事に船酔いでした(^^;普段は船内でシャワーや食事はせず酒飲んで景色見て爆睡なのですが、この先しばらく食料が手に入らない可能性もあったので、パンをいくつか買って頑張って食べる。ああ気持ち悪い。。朝は海苔茶漬けシャワーも浴びました。ちなみに東海汽船のシャワーは快適できれいでした、1回100円5分くらい、ボディーソープ付き、水量もしっかりしていておすすめです。シャンプーは持参が必要です。 無事に上陸。この日、船を降りたのはわずか18人だけでした。東海汽船、ナイスファイト。。。リサも飛行機でちょうど同じタイミングで着くことができ、2人とも無事に八丈島に戻ることができました。町は地域住民や建設会社の方々の連携で、主要道路の7割くらいは通行可能になっていました。元自衛隊のトミー、草野君、こみなと君、荒井君など力強い仲間たちが自主的にチェーンソーを持って倒木を片付けてくれていて、なんとか動ける状態にしてくれたそう。それでも、見渡す限りの被害に言葉を失いました。上陸してすぐ、スーパーあさぬまが「今日から営業再開」と聞き、様子を見に行きました。台風直後の初オープン日にも関わらず、長蛇の列。駐車場も満車。親不孝通りでは炊き出しも行われていましたが、そこも同じく長蛇の列。その光景を見て、改めて実感しました。「ここは今、被災地なんだ」と。。自宅は断水・停電。2階は屋根が飛んでしまっていて、雨が染み込み、石膏ボードが崩れ落ちてくる状態。すぐに避難が必要だったため、ベッドなどを軽トラックで運び出しました。友人のたけちゃんが手伝ってくれて、「guesthouse sasaosou(ささおそう)」のおかみさんが軽トラを貸してくれました。本当に助かりました。 ダブルベッドは軽トラの荷台にすっぽり入るんだなと学んだ日ベッドフレームの下に綺麗に入ってます(笑)sasaosou IG あったかくてほっかりするゲストハウスですたけちゃんIG 6月移住8月起業したばかりだけど島に必要不可欠な素敵マンオラキノ空き部屋に避難いまだに何がどこにあるかわからないものだらけ(笑)ここは元々ジム作る予定だったが予算がなく頓挫していた部屋空いている部屋があって良かった、、その日は幸いにもオラキノはシャワーが出たので、その情報を友人やダンスの生徒、地域の方々に共有し、シャワーを貸し出しました。夜は停電・断水中の友人たちを呼んで、みんなで過ごしました。住んでた家の冷凍庫の中身が溶けてしまっていたので、それを消費しながら、携帯の電波も届かない中で四目並べをして過ごしました。明かりも水もない夜は、想像以上に心細く、みんな精神的にもきつさを感じていたみたい。そんな中でも、仲間と集まれる空間を提供できたことが、少しでも心の支えになったのではないかと思います。10月12日 支えに来てくれた仲間たちこの日は、前日から連絡をくれていた仲の良いダンス仲間の三宅さんとチェさんが、「2日間だけなら島の手伝いに行ける。力仕事も必要でしょう」ということで来てくれました。お、おとこ前すぎぃいい。。。ただ、この状況の中で島に外から入ることに配慮してくれて、「インスタとかに書かなくていいよ」という“サイレント”な形で来島。本当に見栄じゃない、純粋な“無償の愛”を感じました。時が経って発信できるようになった今、ここに書かせていただきますよ、本当に助かりました。三宅さんは建設会社の副社長で、解体や修繕作業に慣れており、能登の震災でもダンスを通じた復興支援で現地に入った経験があります。被災地での知識も深く、頼もしすぎる存在でした。スーツケースいっぱいの支援物資を持ってきてくれて、スーツケースごとおいて行ってくれました(笑)チェさんは医師で、怪我や衛生面での知識も豊富。身長180センチを超える体格で力仕事も抜群。頼れる2人が来てくれたことに、心から感謝しました。保存食はもちろんコンビニがない島でレンチンギルティ弁当は至福の極み。。元気でました前日大きな家具は運べなかったので、この日はトミーも手伝ってくれて、冷蔵庫や机などの大型家具をすべて運び出しました。さらに、同じ建物に住んでいた韓国人のおばちゃんの家具まで一緒に運び出してくれました。余談ですが、そのおばちゃんの家には「キムチ専用冷蔵庫(通称キムチっ庫)」があり、停電の影響で家中がキムチの香りに包まれていました(き、きつかった...)。その方の肌ツヤが驚くほど綺麗で、みんなで発酵食品の力を実感しました。ビューホテルさんが、断水地域の方々のために大浴場を開放してくれました。一日中荷物を運び続けて体も限界だったので、ありがたく利用させていただきました。湯につかれるの最高すぎ。。。(次の日から500人超入ることになったらしく断水地域の方のためにこの日以降遠慮しました(^^;)その夜、三宅さんとチェさんが「少しでもみんなの気持ちが明るくなるように」と、USBを持ってきてくれていたのでオラキノで音楽をかけ、即席のパーティーを開いてくれました。毎日インフラ復旧している電気屋さんのぴーちゃんなどもきてくれて、色々な話をしながら、少しでも笑顔を取り戻せた時間になったのかなと。私自身、友達がこうして来てくれて、普段通りに音楽を流して踊る——そんな“日常の一コマ”を取り戻せたことが、心の救いになりました。正直かなり絶望していたけど、こうやって助けてくれる仲間のためにも、1日も早くみんなに元気よくおじゃりやれ!(八丈の方言でようこそ)と言える日を作ろうと決心しました。いつもと違う場所にある冷蔵庫や棚、それさえも今は「被災の風景」だけど、いつかこの日が「懐かしい思い出」になるようにと願います。その日の夜というか明け方、台風23号が直撃。私的にかなり怖かったんですが、22号はこれの何倍とかじゃないくらいすごかったって言ってました。 このあとメキメキという音とともに網戸は吹っ飛びました。。。窓は風でしなりフロアの半分くらいは雨漏りしました。次回の活動報告では、13日にあった発表会や出演を断念したイベントについて以降の復旧作業の進展や、地域での協力体制を中心にお伝えします。最後までお読みいただきありがとうございました( ^^ )


新しいアイデアや挑戦を、アプリで見つけるcampfireにアプリが登場しました!
App Storeからダウンロード Google Playで手に入れよう
スマートフォンでQRコードを読み取って、アプリをダウンロード!