「それが当たり前の暮らしだった」
いつも温かい応援をいただき、本当にありがとうございます。
先日、高齢の方が静かにこう話してくださいました。
震災前は、年末になると家の大掃除や迎え入れの準備で忙しくしていたこと。ご親族が帰省し、食卓を囲むのが毎年の楽しみだったこと。「それが当たり前の暮らしだった」と。
しかし震災でご自宅は住めない状態に。避難所を経て今は公営アパートに住まわれているそうですが、それも当初の約束では来年春まで。
避難所から出ていくよう言われ 行先がないと申し出、案内されたのが今のお住まい。本当は1階を希望していたけれど空いていたのは2階だけ。階段を休み休み上り下りしながら、「病院も薬もお金がかかる。散歩も1時間できていたのに今は20分で足が痛む」と、「年をとって働けないのに、次の住む場所をどう探せばいいのか分からない」と、不安をこぼされました。
さらに、唯一のお話し相手だった住人の方が施設に入所され、「自分もいずれ同じ道なのかなと思うと、さみしい」と涙を浮かべていました。
——こうしたご相談や声は、決して特別ではありません。能登のように高齢者が多い地域では、全国大都市の震災モデルと同じ仕組みでは、暮らしを守りきれない現実があります。
家の被害判定は「損壊度」だけ。地盤が泥状になり家が傾いていても、建物の損壊が軽ければ一部損壊。傾きの修繕には1千万円以上、多ければ2千万近くかかるケースもありますが、補助はわずか。働き世代でも難しい負担を、高齢者が背負うのはほぼ不可能です。退居は来来春に期限を延ばしてもらえたそうです。
だからこそ——「居場所」と「支え」が必要なのです。
自宅を失った人が、1人暮らしになった人が、話し相手を失った人が、“次の春”ではなく、“明日をどう生きるか”に不安を感じている。
私たちがナーシングホームや病児保育、お話ができる地域スペースを急いでつくろうとしている理由は、ここにあります。
誰かが困ったときに、「ここに行けば大丈夫」と言える場所を一日でも早く届けたい。
そのための準備を、決して止めずに進めています。
現在、ナーシングホーム建設に向けて リースバック形式で協力してくださるパートナーの募集を継続しています。「地域で最期まで安心して暮らしたい」「家族と過ごせる場所がほしい」という声に応えるために、木のぬくもりを感じられる木造建築を採用し、ご家族や地域の方が気軽に立ち寄れる カフェや就労支援スペース、託児サービス も併設する計画です。
また、働き世代の大きな悩みである「子どもが熱を出したとき、預けられる場所がない」という問題に対応するため、少人数制の病児保育も開設に向けて準備を進めています。小さな一歩ではありますが、確かな一歩です。
さらに、心と身体を整えていただける リラクゼーションサービス の導入も準備中です。ナーシングホームを地域の「安心の拠点」として機能させるために、できることを一つずつ積み重ねています。
皆さまからのご支援とメッセージに励まされながら、プロジェクトは少しずつ、前へ進んでいます。
これからも進捗を大切にお伝えしていきます。引き続き見守っていただけますと幸いです。皆さまの応援が、私たちの大きな力になっています。いつも本当にありがとうございます。
応援・拡散いただけたら嬉しいです!
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