
ばらばらに見えていた出来事が、ひとつの線になって、つながっていく。
そして、その線は、さらに過去へとさかのぼっていきます。
じつは、酒田とのつながりは、今回がはじめてではありませんでした。
2011年4月から始まった、南三陸復幸市。
東日本大震災の直後、大きな被害を受けた南三陸のまちで、「人が集まる場を取り戻したい」という思いから立ち上がりました。
復幸市は、単なるイベントではなく、地域の人たちが再び集い、外から訪れる人たちとつながる“場”として続けられてきました。
そして、この取り組みは、震災後に突然生まれたものではありません。
震災前から、昆野慶弥さんが中心となって取り組んでいた「ぼうさい朝市ネットワーク」の活動が、その土台にありました。
各地の朝市や地域がゆるやかにつながり、日常の交流の中で関係を育てていく。
テントを立て、食材を持ち寄り、人が集う。その一つひとつが、非常時を想定した実践でもありました。
楽しさの中に、防災の知恵が組み込まれている。
それは、“防災”を特別なものにするのではなく、日常の延長として捉える取り組みでした。
震災後、そのネットワークでつながっていた人たちが、南三陸に足を運び、復幸市を支え、関わり続けてきました。
酒田の人たちが、南三陸の復幸市に足を運んでいたのも、こうしたつながりの中でのことでした。
時間をかけて育まれてきた関係が、震災という出来事を越えて、なお続き、
そしていま、令和6年7月25日の大雨災害を経た酒田へと、あらためてつながり直そうとしています。
震災前、昆野慶弥さんとともに、まちづくりに取り組んでいた私。
そして震災後、宮城と山形の女性たちの交流の場で、酒田の友人と出会いました。
2011年1月。
震災前の南三陸町・志津川で開催された「寒たらまつり」
それぞれ別の時間、別の場所で生まれたご縁が、いま、ひとつの線となってつながっていきます。
ばらばらに見えていた出来事が、ひとつの線になり、
時間を越えて、もう一度、動き出している。
だから私は、この“旅する石”を、酒田へ届けたのです。
想いをのせて、また誰かのもとへ届くように。



