
ぜひ読んで知ってほしいです。岩見沢ねぶたと私のこと。
【出会いと気付き】
岩教に入学しなかったら、一生関わることがなかったかもしれない岩見沢ねぶた。
いくつかの活動を経験する中で、1年生の早い段階から 「4年生まで続けるのは、きっとねぶたなんだろうな」 と漠然と感じてた。
ふと気づけば、何をするにも「これ、ねぶたでも応用できるかも」「ねぶたのみんなだったらどういう表現にするんだろう」そんな風に考えてる自分がいた。
そのことを自覚してからは、他の団体での経験も“ねぶたにどう還元できるか” を常に意識して動くようになった。
私の軸には、いつもねぶたがあった。

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【仲間・初めての本祭】
私、ねぶたのメンバーと話してると挑戦してみたいことがどんどん浮かんできて止まらないんです。
それは少し無茶なことでも簡単に想像を超えてきてくれちゃうポテンシャルがある、このメンバーだからこそ。
ここにいたら、できないことなんてないんじゃないかと思うくらい、
”人の宝箱”みたいな場所"
大学1年目の本祭は、祭りが始まってからもまだねぶたの補修をしてたし、台車も完成してなかった。私はその”未完成さ”にワクワクした。
完成してないからこそ、自分で作っていける”余白”に惹かれたんだと思う。
未完成だからこそ、自分の一言が全体の動きに直結する。その責任感と、何とも言えない高揚感。「やばい、楽しいかもしれない」 そう思った。
多分私は、この瞬間、ねぶたに沼った。

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【祭りの未来と危機感】
一度、岩見沢ねぶたプロジェクト実行委員会のメンバーと話してみたらきっと分かる。
祭り、文化継承、そして帰ってこれる場所"岩見沢"をどう作るか。本気で考えている人たちがいる。
このメンバーと一緒に祭りを作れていることが、ちょっと自慢だったりする。
この祭りは、いい意味でまだ未完成。自分たちの手で作っていける。何にでもなれる可能性を秘めている。
だからこそ、この祭りの可能性を広げていきたい。
一方で、「大学生のお祭りでしょ」と言われることも少なくない。大学生が主体の祭りは、学科再編のときのあやめ祭りのように、大学が変われば一緒に消えてしまう危うさを抱えている。そんな終わり方させたくない。
岩見沢ねぶたを、100年続く文化にしたい。
そのために必要なのは、長く続けられる”基盤”と“次世代育成”。私が目指すのは、『文化を継承していくための基盤をつくり、次世代育成のレールを敷くこと。』
現状、私たちだけでは未熟で、大人の皆さんの手や経験を借りながら、少しずつ形にしていく段階。
だからこそ、拙いかもしれないけれど、1人でも多くの人に届くことを願ってこうして想いを書き記していこうと思う。
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【青春が続く場所 】
祭りは今年で6年目。人間で言えばまだ6歳。守るべきものの増えてきたし、挑戦できる伸びしろもある。
社会人で関わってくださっている方が「岩見沢ねぶた祭の期間は、学生時代みたいな青春を感じられる」 と言っていたのが忘れられない。
大人になっても、毎年あの青春を感じられるなんて、そんな場所なかなかない。
祭りを作る過程は大変なことだらけ。でも当日を迎えたら、忙しくて、楽しくて、終わってほしくなくて、また"岩見沢ねぶたの虜"になっていく自分がいる。
この気持ちをもっと多くの人と共有したい。
配信では伝えきれないこの熱を、ぜひ祭りの会場でリアルに感じてもらいたい。
「ねぶたって青森まで行ってやってるの?」 と誤解されることもまだ多い。だからこそ、ちゃんと知ってほしい。
岩見沢ねぶたのこと。
岩見沢ねぶたプロジェクト実行委員会のこと。
岩見沢のこと。
そして本場青森ねぶたのことも。

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【事務局としての成長・青森とのつながり】
私は岩見沢ねぶたプロジェクト実行委員会で事務局として活動し、今は事務局長を任せていただいています。
これまでの経験の中で、一番自分にしっくりきた役職。曖昧だった自信が、確信に変わった場所。
無知を理由に”できない””やらない”と決めつけるのが嫌だった。知らないなら、知らないなりにやり方を探す。先輩や同期、後輩、時には大人の皆さんに助けてもらいながら、少しずつできることを増やしてきた。今後はそれを伝えていくフェーズ。

初めて研修で行った青森ねぶた祭り。10年以上太鼓をやってたこともあってお囃子の太鼓に目が奪われた。あの迫力、あの音、あの空気。最高だった。太鼓を見てた記憶しかないくらい釘付けだった。写真を見返しても太鼓台車の写真ばかりで笑っちゃうくらい、自分にとって太鼓が特別なものであることを再認識できた。
2年目まで太鼓で参加した岩鳴。でも、祭り直前まで太鼓が手元になくて思うように練習ができなかった。青森組のみんなが本番2日前に来てくれて一緒に練習して、自分の下手さに絶望して、家でクッション積んでめちゃくちゃ練習した時もある。当日の運行は太鼓を打てるメンバーが限られていてとにかくハードで長く感じた 。
運行前にテーピングで手をぐるぐる巻きにして、それでも手がボロボロになって。
「もう無理、打てないかも」って思った瞬間に「みーやんもう限界来てる!交代!」って笑顔で青森の先輩が交代してくれたこともあった。流石青森人って思ったし、格好良すぎた。これも青春の1ページ。しんどかったはずなのに、気づいたら全部“いい思い出”になってるのが不思議。ああいう瞬間を思い出して、みんなで笑い合う時間がたまらなく好きだったりする。関わる人が本当に温かくて岩見沢に並んで青森も第二の故郷みたいになりつつある。 本祭中はあちこちから青森の方言が聞こえてきて、訛りがうつるメンバーもいて、そんな現場にワクワクしてる自分がいる。

人と環境に恵まれてきた。いい同期、いい先輩、いい後輩。両親をはじめ、見守ってくれる社会人の皆さん。
日々感謝の気持ちが尽きない。
この祭りは、まだ未完成。
だからこそ、自分たちでまだまだ作っていける。何にでもなれる可能性を秘めている。
大学生活最後の年、 私はこの岩見沢ねぶたプロジェクト実行委員会で駆け抜けたい。
事務局長 髙野 美憂



