
前回は、情報のつながりを可視化する『付箋』と『矢印』を使った方法に出会い、「これなら難しいと感じるアセスメントもわかりやすくなるはず!」と確信したところまでお話ししました。
……が、現実はそう簡単ではありませんでした。
そもそも、自分からやりたくて始めた講師ではありません。むしろ「絶対に嫌だ」と思っていた役割です。それでも、組織から与えられた役割である以上は「やらねば!」という一心で取り組んでいました。
最初は人前で話すだけで精一杯。教えられた通りのやり方をこなすだけで、余裕なんて全くありませんでした。
しかし、少しずつ授業に慣れてくるにつれ、ある大きな疑問が膨らんでいきました。
「……この教え方、すごくわかりにくいんじゃないか?」
講師同士の定例勉強会でも、その「わかりにくさ」をどう解決すべきか何度も相談をしました。
ですが、授業の解説も、勉強会でのアドバイスも、すべては「口頭」で行われます。聴いているうちはわかったような気になるのですが、しばらく経つと結局わからなくなる。
もちろん、説明がとても上手い講師もいます。その人の話を聴けば、確かにその場では納得はできます。
でも、全員が同じように話せるわけではありませんし、併せて全く同じ話を聴いていても聴く側のレベルによって同じように聴いて考えられるかはわかりません。
講師の伝え方によって研修の質が左右されてしまう。それでは受講生にとって不公平ですし、研修としての質が安定しないと感じていました。
そこで、私が感じていたことを相談してみたんですが…返ってきたのはこんな言葉でした。
「介護に答えはないからね」
よく使われる言葉ですが、私には何を言っているんだ?と思いました。
一人ひとり性格も環境も違い、状況は刻一刻と変わる。だから誰にでも当てはまる正解はないという意味での「介護に答えはない」というのであればわかります。しかし、どう考えるか?という「その方の、その瞬間の答え」に辿り着くためには、情報を丁寧に分析し、根拠を持って考える力が必要です。そのプロセスを教えなければいけないのではないか?考えるための『思考の整理の仕方』が必要なんじゃないか?
ほかにも改善案をいろいろと出してみましたが、全国規模のカレッジということもあってか、私の提案が聞き入れられることは一度もありませんでした。
そのおかげで?今の当カレッジ独自の『わかりやすい』と評価していただける方法が生まれたので良かったのですが……。
その「ほか」というのは次回にお話するとします。



