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究極のエンターテイメントとしての村作り-「あの村プロジェクト」

あの村をご支援下さいました皆様、本当にありがとうございました。 2017年7月より、あの村は会員制サービスとして正式にスタート致します。 村作りをしてみたい方は、こちらの公式サイトから体験入村にお申込み下さい!

─リアル”DASH村”、始めませんか? 舞台は、千葉県鴨川市の1400坪の土地。広大な平野と竹林を、少しずつ開拓して村にしていく。あの村プロジェクトは”世界で最も創造的な遊び場”をあなたに提供します。

現在の支援総額

1,515,000

151%

目標金額は1,000,000円

支援者数

119

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2017/02/25に募集を開始し、 119人の支援により 1,515,000円の資金を集め、 2017/04/08に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,515,000

151%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数119

このプロジェクトは、2017/02/25に募集を開始し、 119人の支援により 1,515,000円の資金を集め、 2017/04/08に募集を終了しました

─リアル”DASH村”、始めませんか? 舞台は、千葉県鴨川市の1400坪の土地。広大な平野と竹林を、少しずつ開拓して村にしていく。あの村プロジェクトは”世界で最も創造的な遊び場”をあなたに提供します。

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こんにちは。村長の堀元です。  これが「あの村プロジェクト」のクラウドファンディングの最後の活動報告となります。 最後は、僕があの村プロジェクトを始めた理由について書かせて頂きます。   皆さんは、面白い遊びが好きですか? 僕は大好きです。「これ面白い!」と思える遊びに出会うためにはどこにでも行きますし、何でも挑戦します。 しかし残念ながら、皆が日常的にやっている遊びは僕にとってはあんまり面白くないんですよね…。   典型的なのは、河原でやるバーベキューとか、飲み会の後のダーツ。   いや、その場が盛り上がって楽しいのは分かるんですが、僕はあんまり好きじゃありません。 なぜなら、何も生まれないからです。 ルールややり方が決まっていて、大体いつも同じ展開になるからです。   僕は大学生の頃、ふと思いました。「あれ、これそんなに面白くない…?」と。 それから、僕は「面白い遊びとは何か?」について考え続けてきました。自分でも遊びを作ってみたりしました。 例えば、「大晦日に巨大なかまくらを作ってその中で年越しをする」というイベントをやりました。大人10人がかりで8時間かけてかまくらを作りました。 この時の発見は、「かまくらの中は暖かいし、めちゃくちゃ落ち着く」ということと、「とはいえ、調子に乗って冷えた缶ビールを飲むと凍死しそうになる」ということです。   この発見をした時は、めちゃくちゃ盛り上がりました。 ”うおお!!すっげえ暖かい!!これもう家だよ!!” ”よっしゃ!ビール飲んじゃおうか!キンキンに冷えたやつ!” ”…と思ったけど、ビール飲んだら寒い!!家じゃなかった!!” そんな会話をしながら、一生分くらい笑った気がします。   ずっと、面白い遊びとは何かを考え、遊びを作り続けた後、結論が出ました。 最高に面白い遊びは、「生産すること」です。 自分でアイデアを出して試行錯誤して、何かを生み出すのが面白い遊びです。 「あれやってみたらどうだろう?」「これやってみたらどうだろう?」 その結果、「あ!こうなるのか!」という発見や「できた!」という達成感が生まれます。   展開が分かりきった遊びをするよりも、ずっと楽しいと思いませんか?   あの村は、そんな「生産」の宝庫です。 あの村では、皆の「あれやってみたい!」を原動力にして村作りを進めていきます。皆で作業しながら、発見も達成感も分け合います。 あなたはあの村でどんなアイデアを出し、どんな発見をするのでしょうか?   その答えを確かめに、是非あの村にお越し下さいませ。 クラウドファンディングはついに明日で終了となります。 皆様のご支援をお待ちしております。


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こんにちは!あの村スタッフのゴリです! 長いようで短かった、クラウドファンディングも間もなく終わってしまいます。。 連日SNS上にてお騒がせしておりました。今一度感謝を申し上げます。本当にありがとうございました!   土壇場での支援も、もちろんお待ちいたしております!最後までよろしくお願いいたします!   僕があの村に関わろうと思ったのは「なんかツリーハウス作りたいなぁ」という、とても私的な理由からでした。 そんな僕に、村長は「いいね!やろう!」と即答してくれました。 村長から、あの村の理念、目標、将来、課題、妄想などなどをたくさん聞かされて、元々アウトドアやDIYが好きだった僕は、一気に楽しい雰囲気にのめり込み、晴れてスタッフになりました。   ・・・本当のところ、ちょっと参画を簡単に決めすぎたのではないかと思っていました。 しかし!色々と考えるうちに「そうではない」という結論に至りました。 その道程を今日は書いてみたいと思います。     僕の名字は「赤木(アカギ)」と言います。 そのため、出席番号はほとんど1番でした。青木くんにだけは勝てませんでしたが。   そうすると、入学式後の自己紹介も、跳び箱のテストも、卒業証書授与も、僕が最初になることが多くなりました。 何をするにも一番最初。恥ずかしがり屋だった僕は初めは嫌でしたが、次第に嫌ではなくなっていきました。   僕が自己紹介をすると、次の人も、その次の人も、僕の自己紹介を真似する。 跳び箱で失敗すれば、次の人の参考データになり、うまく跳ぶことができる。 卒業証書を元気よく大声で受け取れば、次の人も元気よく大声で受け取る。   皆が、僕の行動を参考にし始めたのです。 人を導き、手本を示し、不安を取り去る。 「先駆者になる」という快感を、このときに学んでいたのです。     先月、あの村の話を一般の人に説明しているときに「スタッフって何をしてるんですか?」と聞かれました。 それまでよく考えたこともない質問でした。村作りが好きなだけなら、村民でもいいじゃないか、と。「すごい情熱的な村民」と「あの村スタッフ」の違いってなんだろうと、その時初めて考えました。   でも僕は、初めて答えるはずなのに、スラスラとこんなことを言いました。   「あの村ってまだ本当になんにもなくて、これからみんなでいろんな建物とか施設を作っていくんですけど、いきなり未経験者に家とかを建てさせる訳にはいかないじゃないですか。だからスタッフが準備をしておく。知識を蓄えて、資材を用意して、危険を把握しておく。そうやって村民の人たちに『選択肢を与える』。それがスタッフの仕事です。」     あの村は、一言で表すなら「開拓」。 まさに、僕が喜びとしてきたものだったのだと気付かされました。 無意識的に、そういった「開拓をしやすい環境を開拓する」ことを求めていたと、気付いたのです。     「DASH村って面白いよね!あんなことしてみたいな〜!こんなことしてみたいな〜!   ・でも、アウトドアって大変そうだし、苦手そうだな・・ ・でも、トンカチなんて持ったこと無いし、作り方もわからない・・ ・でも、結局山に入るんでしょ?危なそうだ、危険そうだ・・ ・でも、大きな小屋とかの作り方なんてわからない・・ ・でも、不器用だから絶対失敗しちゃう・・     そんな人達のために、スタッフがいます。 特に僕は、そのためにここにいます。   たくさんの文献を読み、あらゆる素材の特性を知り尽くし、可能な限り実験を繰り返し、どんなモノを作りたいと言われても、よし任せろと胸を張って言えるスタッフになります。   失敗は僕が先にできるだけ済ませておきます。転んだときに危ない石は全部拾っておきます。人目につく範囲の毒草も撤去します。お子様も安心して連れてきてください。   もちろん一人では無理でしょう。他のスタッフや、すでに詳しい村民を頼ることもあると思います。それでも足りなければ、外部から知識人を呼ぶ手配を整えます。村を発展させるに当たり、必要となるものは全てスタッフが手配します。   それでも不安がある、という方は、ぜひあの村に持ってきてください。僕がおいしいピザに変えてあげます。     一緒に開拓者、始めませんか? あの村で、待っています。


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こんにちは。副村長のナナシロです。 クラウドファンディングもついにラストスパートに入りましたね。ありがたいことに、僕らのプロジェクトはご支援いただいた皆さまのお陰で、既にサクセスしております。 とはいえ、最後まで、できるだけ多くの人に僕らのサービスが認知されるように頑張って参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。 ----- さて、今回の活動報告ではちょっと僕の個人的なお話をしようと思います。 僕は、生まれも育ちも東京で、小学生の頃から新宿で遊んでいたような典型的な都会っ子です。 核家族で親戚もあまり多くないため、小さい頃に田舎へ遊びに行くなんてこともほとんどありませんでした。 (よりによって、少ない親戚が、名古屋近くと大阪に住んでいたため、どこへ行ってもそんなに田舎ではありませんでした。) 性格もあまりアウトドアではなく、中学高校時代は部活に、大学時代はアルバイトに明け暮れていたため、国内旅行すらもほとんど行ったことがありませんでした。 その結果、、、   大学卒業するまで田んぼを目の前で見たことがありませんでした。   いや、これ嘘ではないですよ、本当に見たことないんです。 僕が住んでいる町は畑すら一つもない(庭がある家が珍しい)ので、田んぼなんてテレビの中の世界でした。 -- そんな生粋の都会育ちの僕が、シティーボーイらしい娯楽を楽しめたかというと、、、まったく楽しめませんでした。 前にあの村スタッフのカンザキも書いていましたが、僕もとにかくサービスとして用意された遊びをすることが好きではありませんでした。 家族全員がクリエイティブ系のクリエイティブ一家に育ったこともあってか、自分で何かを生みだすということ強いこだわりがあったため、どんなサービスを体験しても「僕が作った方が面白い」と感じてしまうのです。 遊園地へ行っても、漫画を読んでも、映画を観ても、ミュージシャンのライブへ行っても、常に「僕がやった方が絶対いい!」という謎の自尊心がありました。 その上、非常にひねくれ者だったため、常に他の人とは逆のことを考えたり実行したりしていました。 クラスに一人はいる、妙に斜に構えていて面倒くさいタイプの人の出来上がりです。 -- そういう難のある性格だったため、大人になって社会へ出たときも、あらゆるものに理不尽さや疑問を感じ、仕事にも生活にもあらゆる物事に何一つ身を入れて臨めませんでした。 仕事を辞めたり、YouTuberになったり、芸術家になったり、全財産お酒に使ってしまったり、様々な経験をしました。 あれだけ「誰かに用意されたモノなんてつまんねぇ」と息まいていた僕でしたが、蓋を開けてみれば、会社という用意された場所で働き、既存のサービスで動画配信をおこない、大枚をはたいて作品を作り、ギャラリーを借りて展示をし、飲み屋で女の子に絡んでいました。 結局、僕は何も作り上げていませんでした。 -- その事実に愕然した僕は、生まれて初めての一人旅に出ました。 2015年3月のことです。 一人旅、と大げさに言いましたが、二泊三日で和歌山の熊野へ行っただけです。 ですが、当時の僕からすると大きなトライでした。 なんの前触れもなく、「神様に会いたい」というおおいにクレイジーな理由で赴いた熊野でしたが、僕はそこでこれまでの人生でも最高と言えるほど楽しかった体験をしました。 なんてことはないです。 ただ、土を踏みしめ、空を見上げ、鳥の声を聴き、空気を吸っただけです。 それだけのことでしたが、僕は楽しくて仕方ありませんでした。 オフシーズンだったため、周りに人は誰もおらず、うっすら雪が積もっていました。 山の上だったためスマホの電波も消え、けもの道を迷いながら進み、僕は白い息を吐きながら笑っていました。 -- 都会で育った僕は、勝手に「人がいないところには何もない」と思っていました。 人が作ったものにはケチをつけるのに、たくさんの人がいることが前提で世の中を考えていたのです。(今考えると幼稚だなぁって思います。) でも、実際そんなことはありませんでした。 木が生えている、風が吹いている、水が湧き出ている、その中に自分がいる。 それだけで、「生きているのめっちゃ楽しい」となりました。 そして、人が作ったモノと闘ってばかりいたこれまでの僕にはなかった、”純粋なクリエイティビティ”が湧き上がってきたのです。 ----- 僕は、そんなワクワクする気持ちをみなさんにおすそ分けしたく、あの村で副村長をやることにしました。 僕のようなひねくれ者はそうそういないかと思いますが(笑)、都会で無理して楽しいを探している方がいらっしゃったら、是非村へ遊びに来てほしいです。 改めてですが、『あの村プロジェクト』のクラウドファンディングはラストスパートに入りました。 4/8(土)までです。 もし僕の話を読んで感じ入ることがあった方は、是非クラウドファンディングにご支援いただき、一度村へお越しください。 あの村でお会いしましょう。


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あの村運営スタッフのカンザキですいつもご支援ありがとうございます。なんと130万円も突破致しました!本当にありがとうございます!今回は改めて私が思うあの村の魅力と、なぜあの村プロジェクトに参加したのかお話ししたいです。突然ですが、私はいわゆるエンターテイメント施設があまり好きではありません。特に千葉県にある巨大テーマパークとかには興味がほぼないですし、もらったチケットか親と行った事しかないので、無課金ユーザーでもあります。なぜああいった施設が好きではないのかというと、「何が起こるかわかっている」からです。「安全で守られた空間」で「がっかりすることもまず無い」からです。そしてそう行った場所では「新しい発見」に出会うことは本当に少ないと思っているからです。期待を大きく裏切られることはないけど、期待を大きく上回ることもないと思っています。正にある意味夢の世界だなーと思うのです。さて、それにひきかえ、あの村では、何が起こるかわかりません。先日スタッフがスタードームの天幕を作成する際には次々問題が起こるので、皆で頭をひねって苦労しながら夜通し布を裁断しました。因みにまだ終わってません。絶対的に安全でもないと思います。自然が相手なので怪我をする可能性はあると思いますし、自分の力量を見極めながら作業しないといけません。がっかりすることもあると思います。先日の小屋作りワークショップは雨天のため現地まで行ったのに中止になってしまいました。でも、だからこそ新しい発見や新しい感情に出逢えると思っています。天幕作りをする際には、如何に身の回りにあるものを使いながら直線を引くか(フローリングの継ぎ目を使って直線を引くというソリューションを発見しました)如何に効率よく図形を作成するか(慶應理工出身の村長がすげぇ方程式書いてました。寝落ちしてたけど)という点において問題解決策を編み出しました。深夜のテンションも相まってとにかく楽しかったです。焚き火ワークショップの際には葉っぱで手を軽く切った参加者がいましたが、周りのみんなが寄ってたかって介護して、笑いながら仲良くなりました。雨で中止になってしまったワークショップでしたが、悔しいという感情や、次回への反省もあり、次こそは絶対に成功させてあげたいという思いも生まれました。こんなに新しい発見や感情が体験出来るなんて、普通のエンターテイメント施設では無理だと思います。何が起こるかわからないこと、失敗すること、たくさんの発見をすること。そういうことをちゃんと「娯楽」として提供出来て、「娯楽」として提供したいと思っている場所は恐らく日本中探しても「あの村」プロジェクトだけなのではないでしょうか。だから、私はあの村運営スタッフに参加しました。そして同じような思いを持った仲間たちに囲まれてとても嬉しいですし、日々ワクワクしています。これから村が本格始動していく中で、一体何が起こるのか、どう変化していくのか、私たちスタッフもわかりません。だからこそ最高に面白いと思いませんか??130万円の目標は突破しましたが、私は1人でも多くの人と一緒にこの面白さを共有したいと思っています!


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皆さん、こんにちは!あの村スタッフきのこです。   クラウドファンディングも残り1週間と佳境を迎えております。 今日は、新しい体験に触れることで何がもたらされるかを書きたいと思います。   私が、あの村プロジェクトに関わるようになったのはごく最近のことです。 基本的にインドア派で出不精な上、一人が好きでSNSもほぼ利用せず、家と会社を往復して日々の作業をこなすだけの生活を送っていました。   それが、「あの村」に関わるようになってから、 ・これまで接点のないタイプの人と交流する ・自然に触れる ・アウトドア知識が深まる(知識だけでなく、もちろん「あの村」で体験も!) ・活動報告のために文章を書く/企画プレゼンをする(人との会話でも文章でも、言語化がとにかく苦手です) ・ITまわりのツールに詳しくなる ・SNSを利用するようになる   といった今までの日常であったら無縁であったと思われることを次々に経験しています。   その結果、何がもたらされたかというと…   一つ大きなものは、自信です。 これまで無縁であると思われた世界で、当初不安もありましたが、運営スタッフの皆さんが親切で良い方達というおかげもあり、少しづつ適応出来てきています。 このことが自信につながっています。   それから、新しい視点を持つようになりました。自身の興味の幅も広がったのか、街中の広告一つでもこれまでとは違った側面で見ていることに気付きました。 新しい視点を持つことは、自分をとりまく世界に新しい意味を見出すことが出来るということでもあります。   まだ、あの村プロジェクトに関わりだしてから日が浅いにもかかわらず、このように自分に大きな変化があることにとても驚いています。   新しい体験や非日常的な体験は、「感動」を生みます。 このことが私にイノベーションを起こすきっかけとなっているのではないでしょうか。   「あの村」での生活は多くの人にとって新しい体験に触れるものになると思います。今までにない体験をしてみたい!という方は是非お越しください。   もちろん「あの村プロジェクト」はどなたでも楽しんでいただけるオープンな娯楽ですので、どんな方でもお気楽にご参加くださいね!