1人の音楽家の半生を貴重な記録として未来につなぎたい。

大分育ちの野球少年が明治大学マンドリン倶楽部と出会い、周囲の反対をよそに突き進んだ音楽の道。これまで歩んできた山あり谷ありの人生を貴重な記録として未来につなぎたい。そんな教え子やファンの思いを1冊の半生記(兼 反省記!?)にします。皆さまのご声援に応えFINAL GOALに挑戦します!

現在の支援総額

5,136,269

146%

目標金額は3,500,000円

支援者数

178

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2026/04/25に募集を開始し、 178人の支援により 5,136,269円の資金を集め、 2026/06/30に募集を終了しました

1人の音楽家の半生を貴重な記録として未来につなぎたい。

現在の支援総額

5,136,269

146%達成

終了

目標金額3,500,000

支援者数178

このプロジェクトは、2026/04/25に募集を開始し、 178人の支援により 5,136,269円の資金を集め、 2026/06/30に募集を終了しました

大分育ちの野球少年が明治大学マンドリン倶楽部と出会い、周囲の反対をよそに突き進んだ音楽の道。これまで歩んできた山あり谷ありの人生を貴重な記録として未来につなぎたい。そんな教え子やファンの思いを1冊の半生記(兼 反省記!?)にします。皆さまのご声援に応えFINAL GOALに挑戦します!

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 本日プロジェクトの最終日を待つことなく、ついにFINAL GOALを達成することができました。これまでご支援いただいた皆さま1人ひとりに心からお礼申し上げます。甲斐先生にも嬉しい報告ができます。本当にありがとうございました。 また、本日行われたFIFAワールドカップ 日本対スウェーデン戦も引き分けながら、グループ2位となり、決勝トーナメント進出が決定しました。奇しくも対戦日は甲斐先生の誕生日で、本プロジェクトの最終日となる6月30日(火)です。相手は強豪ブラジルですがプロジェクトの勢いさながらに勝利を信じて皆で応援したいと思います! さて、この活動報告のAI面白画像シリーズ「もし甲斐先生がサッカー選手だったら」ですが、日本代表の勝利を願い、お守り代わりに第4弾を掲載します。面白画像の第4弾。甲斐先生がドリブルで攻めたら・・・もちろんAIの生成画像です


 おはようございます。本日はいよいよFIFAワールドカップ 日本対スウェーデン戦ですね。今日も皆さまワクワク・ドキドキだと思いますのでコメントは少なめに・・・。 お陰様でFINAL GOALも目前に迫ってきました。ご支援いただいた皆さまに心よりお礼申し上げます。本日も日本代表および本プロジェクトの応援をよろしくお願い致します。さて、活動報告でAI面白画像シリーズ「もし甲斐先生がサッカー選手だったら」が意外にも反響が多かったので第3弾を掲載します。これからテレビで応援する皆さま、通勤・通学の皆さまの憩いのひと時になれば幸いです。面白画像のPart3。もし甲斐先生がヘディングを決めたら・・・こちらもAIの生成画像です


 皆様のご支援のお陰で「甲斐靖文半生記出版プロジェクトクラウドファンディング」も後5日間でファイナルゴールを迎えます。心より感謝申し上げます。 この写真は甲斐先生の作曲家生活20周年パーティーの折、歌手の藤山一郎さんと先生そして奥様との素敵なワンショットです。奥様は先生と同郷の大分のご出身で先生のお仕事を秘書のように陰から支え続けて来られました。奥様は大和撫子を地でゆく素晴らしい方です。先生との馴れ初めは半世記の完成をお待ちください・・・先生も「女房がいたからこれまでやってこれた」と話されていました。そんな意味で私どももこの「半生記」は二人三脚で先生と歩んで来られた奥様に先ずはお届けしたいと思います。後5日間となりましたが皆様のご支援を宜しくお願い致します。


 残すところ6日間となりましたが、お陰様でFINAL GOALに向けて、日々を追うごとにご支援の輪が広がっています。皆さまに心より感謝申し上げます。最終日までよろしくご支援のほどお願い申しあげます。 さて、今回は第100回定期演奏会からのエピソードPart3です。過去の活動報告でもご紹介しましたが、この定期演奏会は日本コロムビアより二枚組のアルバムとして発売されました。その中に「明治大学マンドリン倶楽部と私」という甲斐先生の挨拶が載っています。 本当に毎日朝から晩まで練習の日々で、今では考えられないスパルタでした。先生もまだ30代後半ですから元気いっぱい、怖さ100倍(顔も含む)。口を開けば「走る!」「遅れる!」「合わせろ!」「強く!」「弱く!」「下手くそ!」「何度言わせるんだ!」「やる気はあるのか!」は常套句。後はここでは語れない・・・言い換えると「言葉の正拳突き」のオンパレード、昭和の時代だからこそ受け入れられたのでしょう。本当に毎日ビビってました。 しかし、その厳しさは良い演奏会にしたい情熱から生まれるもの、あの伝説の演奏会が成功裡に終えたのも、そんな先生の厳しい指導の賜物以外何物でもありません。上記の挨拶文を読んで、当時は怖いだけの先生でしたが、学生への限りない愛情が理解できた次第です。今でも厳しい一面はありますが、学生の前ではすっかり好々爺。あの時のビデオがあればご本人に見せてあげたい・・・


本プロジェクトの最終日まで残すところ後7日となりましたが、皆さまのお陰でFINAL GOALに着実に近づいています。ご支援いただいた皆さまに心より感謝申し上げます。 さて、一昨日の日本対チュニジア戦はFIFAワールドカップの記念すべき1000試合目でした。第1回大会は1930年(昭和5年)だそうです。この年は「影を慕いて/日本橋から」が佐藤千夜子さんの歌唱で発売された、古賀先生の作曲家としてのデビューの年でした。この時は売れ行きは芳しくありませんでしたが、翌1931年(昭和6年)に先生は日本コロムビアの専属となり、歌手の藤山一郎さんと出会ったことで、「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「影を慕いて」と次々にヒット曲を生み出していくことになります。まさに音楽人生のターゲットとなった頃ですね。 一方、マンドリン倶楽部はというと、大正12年創設後、古賀先生の指導のもと活動は活発化しており、同年には第16回・第17回の定期演奏会を開催しています。その当時の写真が明治大学の創立50周年の記念に出版された「明大グラフ」に写真つきで紹介されています。当時の明治大学では卒業生が運営する「校友会」に対し、学生が運営する「学友会」という組織があり、その中の音楽部傘下にマンドリン倶楽部、ハーモニカソサエティ、管弦楽団がありました。紹介文には「今夏中国、九州、沖縄方面に出で、今や都下6大学随一との称がある」と記されており、写真を見ても多くのお客様が来場されているのが見て取れます。ここから古賀先生の名声と共にマンドリン倶楽部が知られていくようになります。昭和6年12月 明治大学発行「明大グラフ」改めて、学生音楽団体が現在まで歴史を紡ぎ続けていることがすごいことですね。指導者として導いてこられた古賀先生と甲斐先生のお陰です。このプロジェクトも最後まで頑張ります。皆さま引き続きご支援ご声援のほどよろしくお願い申し上げます。


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