沖縄を救った男『比嘉太郎物語』を音楽で未来へ。サントラCD制作プロジェクト

「沖縄を救った男が、私たちの村にいた。」沖縄戦から80年、通訳兵・比嘉太郎の生き様を描いた村民劇の主題歌『ガジュマルの花』をCD化し、平和への願いを後世へ届けます。

目標突破
ネクストゴール挑戦中!

現在の支援総額

564,000

112%

ネクストゴールは1,250,000円

支援者数

66

募集終了まで残り

11

沖縄を救った男『比嘉太郎物語』を音楽で未来へ。サントラCD制作プロジェクト

目標突破
ネクストゴール挑戦中!

現在の支援総額

564,000

初期目標100%突破

あと 11
112%

ネクストゴールは1,250,000

支援者数66

「沖縄を救った男が、私たちの村にいた。」沖縄戦から80年、通訳兵・比嘉太郎の生き様を描いた村民劇の主題歌『ガジュマルの花』をCD化し、平和への願いを後世へ届けます。

楽曲の再編集〜
2026/03/17 21:04

こんにちは、ピアノのユイカです!先日は三線のユイカがテレビ出演していましたね〜。私は演奏のお仕事のため出演はなかったのですが、私の写真がテレビに映っていたようで見たよーと連絡がありました、ありがとうございました♪さてさて最近は劇中曲にバイオリンを収録してミックスダウンが進んでおります。昨年からお世話になっているギタリストの矢野憲治さんこと、けんけんにレコーディングの仕上げをお願いしています♪仕上がりが楽しみ〜♪けんけんはハワイアンミュージックを得意としており、このサウンドトラックの中でも何曲かギターを弾いていただいてます。ハワイ移民について描いたこの物語にぴったりな南国サウンドにもぜひご注目くださいね〜⭐︎いろんな人が関わっているこのサウンドトラック、みなさんに応援していただき、本当に嬉しいです、ありがとうございます!


まずはじめに、皆様のたくさんのご支援に心より感謝申し上げます。おかげさまで、本プロジェクトは残り19日を残して目標金額を達成することができました!ご支援くださった皆様、そしてこのプロジェクトを応援し広めてくださった皆様、想いを寄せてくださる全ての方へ心より御礼申し上げます。また、支援とともに寄せていただいた温かい応援のお声やコメントの一つひとつが、私たちにとって大きな励みとなっています。本当にありがとうございます。今回のクラウドファンディングは、単に資金を補うことだけが目的ではありません。CDを制作する決意に至るまでの“想い”、そして歴史に埋もれてしまった偉人の存在を、より多くの方々に知っていただきたい。このプロジェクトが平和を創り上げていく上での一助となれれば。そんな想いから始まりました。そしてありがたいことに、クラウドファンディング終了までまだ19日残っています。そこで私たちは――ネクストゴールに挑戦します!目標金額 125万円次の目標は、より多くの方にこのプロジェクトを知っていただくことです。特に、これからの未来を担う子ども達の心を育み、平和をつないでいく為の助力になりたい。そんな想いから、平和教育、情操教育の教材として、役立てて頂くため沖縄県本島内のすべての小中学校(約330校)へCDの寄贈することを目指します。この物語と音楽が、子どもたちや皆様の心に残り、「平和」について考えるきっかけとなることを願っています。皆様からの応援が、未来の平和へとつながっていきます。残りの期間も、このプロジェクトをより多くの方へ届けて行きたいと思っています。引き続き、温かいご支援と応援をどうぞよろしくお願いいたします。


こんにちは!ピアノのユイカです。本日でクラファン目標金額の500000円を達成することができました。本当にありがとうございます。まだお一人お一人に直接お礼を言えてないのですが…!!!残り半月を残してこんなにたくさんのご支援を頂けたことを心から感謝申し上げます(´;Д;`)昨年の舞台をきっかけにした音楽制作がこんなにたくさんの人を巻き込んだ動きになっていくとは思ってもいなかったです。次なる動きに向けて頑張っていきますので引き続き応援よろしくお願いいたします( ;  ; )


皆様こんばんは☪︎* 三線のYUIKAです!3/16(月)QAB琉球朝日放送『CATCHY』(16:15〜) に告知のため出演させていただきます!私の出演は 16:20頃予定 しています。現在挑戦しているクラウドファンディングや、CD制作に込めた想いについてお話しさせていただく予定です。沖縄とハワイをつなぐ物語から生まれた音楽、そして地域の子どもたちと一緒に創り上げている作品について、少しでも多くの方に知っていただけたら嬉しいです。お時間の合う方はぜひご覧ください♪


こんにちは!ピアノのユイカです。先日、私の祖父のいとこにあたり、比嘉太郎さんと同じハワイ移民二世である タケジロウ・ヒガさん について少しご紹介させていただきました。今日は、タケジロウさんのことをもう少し詳しく書いてみようと思います♪前回ご紹介した通り、タケジロウさんはハワイに生まれ、2歳から少年期までを北中城村島袋で過ごしました。1936年にハワイへ戻りますが、1941年の真珠湾攻撃後、ハワイでも日系兵の募集が始まり、日系人への風当たりも強まります。そのような状況の中で葛藤を抱えながらも、タケジロウさんはアメリカ軍への志願を決意しました。沖縄戦では、沖縄育ちで日本語にも堪能であったことから、アメリカ陸軍情報部隊の一員として任務に就きます。捕虜や住民への聞き取りや尋問を通して得られた沖縄の情報を軍へ伝える役割を担いました。こうしてタケジロウさんは、故郷である日本、そして沖縄を敵に回さざるを得ない立場となります。タケジロウさんは、避難している住民たちにうちなーぐちで投降を呼びかけ、多くの県民の命を救いました。また、尋問を命じられた捕虜の中には、小学校時代の恩師や同級生がいたとも伝えられています。なんだか、比嘉太郎さんのエピソードととてもよく似ていますよね。当時、日系兵たちの呼びかけを信じることができず命を落とした住民も多く、沖縄戦で亡くなった民間人は10万人以上とも言われています。しかし、アメリカ陸軍情報部の日系兵の存在がなければ、その犠牲はさらに増えていたとも言われています。日系兵の方々の働きによって救われた命が数多くあったことを思うと、改めてご先祖様たちの歩みに感謝の気持ちが湧いてきます。太郎さんやタケジロウさんをはじめ、多くの日系兵が民間人の救出に大きく貢献しました。しかし、日米両方のアイデンティティを持ちながら、どちらにも完全には属することができず、さらにはゆかりある沖縄を敵に回さざるを得なかった彼らの心情は、想像することさえ難しいものです。舞台、比嘉太郎物語の劇中では、戦後の荒廃した沖縄に、ハワイから物資を送るシーンが描かれていましたが、タケジロウさんも協力していたようです。親戚の方から聞いたお話ですが、豚だけでなく、ヤギも送ったそうです(ヒージャー汁はうちなーんちゅのソウルフードですからね笑)そして沖縄に向かう船の中で、子ヤギが生まれ、行く時よりも増えていたとも言っていました笑タケジロウさんは2017年、94歳でお亡くなりになりました。戦後は何度も沖縄を訪れ、戦争体験を語る授業や平和についての講演を行い、生涯を通して平和を伝える活動を続けられました。実は、私も小さい頃に何度かお会いしているのですが、その記憶がなく……。舞台をきっかけにするまでは深く知ることもなく、今となっては少し恥ずかしく思っています。ちなみに、こちらの写真は沖縄を訪れた際のもので、左が私の祖父、右がタケジロウさんです。さて本日は、比嘉太郎さんと並ぶハワイ移民もう一人の重要な人物、タケジロウ・ヒガさんについてご紹介しました。今後もこのプロジェクトの応援、どうぞよろしくお願いします!


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